美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

吉田謙吉「満洲風俗・1934年」

既に終了したがJCIIフォトサロンの吉田謙吉の「満洲風俗・1934年」展はたいへん魅力的な展覧会だった。
考現学で活躍した吉田謙吉はその「目」を以て満州の人々の姿を追った。
決して「王道楽土」に住まうニコニコ住民をとったのではない、リアルな住民のリアルな様子をリアルにとらえている。
記録写真としてとても有意義な撮影である。

1934年といえば満州事変の後、リットン調査団が世界に報告した後の状況である。
この年は久世光彦が乱歩失踪をモチーフに「一九三四年冬 乱歩」の舞台にした年であり、名建築と誉れ高い蒲郡ホテルと明治生命館と築地本願寺が出来た年である。
そして展覧会関係でいえばこの年の三月に愛新覚羅溥儀が皇帝になり、十月には満州を疾走する特急あじあ号が大連・新京間で運転を開始した。

出来たばかりの満州という「国家」へ吉田は撮影に行ったのだ。
「国家」をではなく、その「国内」に住まう人々を写したのが、今回の展示作品である。
どういう理由でかは知らないが、残された写真はみんなとても小さいサイズで、たまに大きく引き伸ばしたパネル展示もあったが、基本は小さいものばかりである。受付ではそのためにルーペの貸し出しを行っていた。3.5cm x 2.5cmである。
きちんとそうした説明もあったが、感想ノートを読むと老人が吠えてる一文があり、ちょっと苦く笑った。

今回、チラシも何も手に入れられず、千代田区の広報からこれらを得た。
拡大化すると画像が荒くなったが、吉田の手書き文字も読める。
イメージ (972)

吉田謙吉は8月7日午後に神戸港を出港する。日満連絡船「扶桑丸」での旅である。
関係ないがわたしの誕生日である。司馬遼太郎、藤田元治、野比のび太も同じ仲間である。
当時の客船の優美さについてはここで詳しく書かないが、本当に素晴らしい。わたしはかれら客船がとても好きで、のちに軍に徴用され沈没したことを想うと胸が痛くなり、日本郵船博物館にあるかれらの沈没地とその日時が記されたものと往時の姿を写したものとが刻まれた墓碑を見るだけで胸を衝かれる。今も思い出すだけで涙がにじむ。

さすが考現学の徒・吉田の観察眼は鋭く、同乗する人々の様子を細かに記していた。
「浴衣よりアッパッパッが多い」といったことも他ではあまり見ない。
アッパッパッは小篠綾子をモデルにしたドラマ「カーネーション」で全国区になったが、関西の古い夏着で、今も着る人は大体高齢者である。しかしこの当時はそうでもなく、若い女でも着てはいた。ハワイのムームーとはまた違う。

8/12朝到着、写真を見ると白テープがすごい。そうだ、この頃はみんなテープを投げた。
…今もか。
奉天へ。様々なエピソードがあるが、びっくりなのは捨て子を拾ってしまった話。その子はどうなったかは知らない。
城壁周囲の「泥棒市場」へ行く。たいへんにぎやか。中国人だけでなくアジア人の雑多な市場はどの時代でも大抵活気がある。あかんのは現代日本か。
芝居も見に行き、客席を写している。京劇である。たいへんな興奮と人気である。
演者はわからない。梅蘭芳ではなさそうだが。

こういうのを見ると映画「さらば、わが愛 覇王別姫」を思い出す。
京劇だけでなく地方の崑劇などもあるが、奉天辺りの芝居は何だったのだろう。
ところで京劇は北京オペラとも呼ばれていて、「Mバタフライ」でフランスの外交官のジェレミー・アイアンズは舞台を見ながら陶然とした様子を見せた。

各地にあるヤマトホテルだが、奉天のそれは駅に併設されているそうで、現在も3つ星ホテル遼寧賓館として存続しているらしい。
1910年建造の素敵な建物をロングで捉える。

町は人力車が行き交っている。吉田によると人力車は奉天が一番いいらしい。大連のより。
構造が違うそうだが、その辺りは説明を読んでもわからない。なにしろ現物を知らないからなあ、わたしは。連続アーチがなかなかいい。
中国の人力車といえば生島治郎「黄土の奔流」で主人公・紅真吾の専用人力車夫・飯桶(ウェイドン)は力持で、街中を力強く走っていた。
後にかれは紅から人力車をもらい、旅先で知り合った嫁さんをその人力車で養うことになる。

ライカを使う吉田。この時代のライカの性能は素晴らしかった。
このJCIIフォトサロンと縁の深い名取洋之助もライカのおかげで活きた。
ライカにはわたしも憧れがある。

大陸浪人という言葉がある。
日本人で大陸に渡り、その地で何をしているのかよくわからないが、もう内地に帰れない・帰らない男たちである。
薄天鬼という髭を伸ばした人の和装写真がある。書割が背景なのかそれとも実写か、バルコニーにいるようだ。素敵な洋館に見える。
かれを知らないので調べると馬賊だった。
もっと調べると本名は薄益三といい、「天鬼将軍」と呼ばれていた。
そして1925年には「蒙古横断」というドキュメント映画を製作しているようだ。
日本人で馬賊の頭目といえば「夕日と拳銃」のモデル伊達順之助、「狼の星座」のモデル小日向白郎を思い出すが、この人もそうなのだ。

新京へ。
そうそう、ATOKは「シンキン」と打ってもこの地名を出してはくれない。

いい電柱がある。目立つ電柱。国都建設局の塔からの眺め。…つまり何もない。
遠くに何かがある。ああ、関東軍司令部か。これだけは立派。
あとはすべて工事中。1934年の新京。1945年には何もかも終わる。

新京西公園 柳が大きい。楊と書くべきか。柳絮の時季。
そしてこの公園のベンチを見て村上もとか「龍 RON」のあるシーンが蘇る。
田鶴ていのもとへ弟の戦死公報が入る。ていは深い悲しみに掴まれる。
そこへ久しぶりに妻子の元へ戻ってこれた龍が現れる。
このシーンはここをモデルにしたのに違いない。

伸びゆく忠魂碑。これも1945年以降はどうなったことか。
なにもかもが幻の国。

哈爾濱へ向かう線路。コーリャン畑が続く。
ロシア人が多い。列車にもロシア語。
シベリア鉄道ではないが、ロシア語で列車と言うとすぐに「さらばシベリア鉄道」が蘇る。

哈爾濱へ。8/18到着。
哈爾濱はとてもおしゃれな街で、これも村上もとか「フイチン再見」で描かれている。
ロシア人のいた街なのだ。キタイスカヤ街のおしゃれさはわたしも以前から資料などで見聞きしている。
店舗にはロシア語の表記もたくさん。

アジアホテルの内部写真がある。ベッドとテーブル。それだけだがおしゃれである。
華やかなキタイスカヤ街。

駅に上がる旗を見る。上が満州・下がソ連の染め分け。
1917年のロシア革命で白軍派の人々や貴族たちは大勢亡命した。
新京の建国大学の学生も日本・朝鮮・ロシア・モンゴル・中国の出自の青年がいた。
安彦良和「虹色のトロッキー」が脳裏に浮かぶ。
彼らは皆仲が良かった。先年、生き残りの方が取材を受けているのをみた。

吉田の考現学ノートも出ている。さすが詳しく記されていた。
衣服のちがいなどについても。銀座での調査を思い出す。
色々と考察する吉田。
1940年のアサヒカメラに考現学ノートが出ている。

電車の窓から顔を出す少女の写真。
イメージ (971)
可愛い。

キタイスカヤ街の風景写真を見る。
額縁屋の扇が素敵だ。ロシア風な建物もたくさんある。
白ロシアの子と満人の子とが仲良くするスナップショット。
だが、ロシア人から活気がなくなっている。

素敵な街並みだが、19時になると閉店である。上海とは違うのだ。カフェも素敵だが夜は早い。
哈爾濱駅にはネオンがキラキラ。「安居樂業 大満州國」とある。
そうだ、ここで伊藤博文が安重根に暗殺されたのだったな。
安は安彦良和「天の血脈」にも現れる。

ソーダ水の店があった。クワズではなくソーダ水である。
喫煙する女、公園でデートする人、買い物する人…
「上海から来た女」の頽廃とは無縁な様子である。

ロシア風寺院の五本の尖塔。アスピリンの看板。アスピリンは上海の外灘でも見た。
ただしロシア語。そして哈爾濱の「中華街」。面白い現象だな、これは。
フーチャデンと呼ばれる中華街。「平安シネマ」では何が上映されているのか。
「粉紅色的夢」というタイトルが見えた。
調べると蔡楚性という監督の作品のようだ。

つべに主題歌の動画があった。

吉田は撫順にも向かう。すごいな、としか言いようがない。
「平康里」へも向かう。一流どころを取材している。
この名称も高校の頃から知ってはいたが写真で見るのは初めてである。
なおこちらのブログのルポが詳しい。

たいへん面白い展示だった。
名古屋市美術館の「異郷のモダニズム 満州写真全史」展と共に重要な展覧会だと思う。
当時の感想はこちら
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