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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

色彩の画家 オットー・ネーベル展をみる

知らない画家の展覧会を見る場合、チラシはとても重要になる。
スイスで長く活躍したオットー・ネーベル展のチラシは、とてもわたしの好きな色で構成されていた。

イメージ (1067)
これは「ナポリ」と題された作品の一部。
ナポリというとあの「ナポリを見て死ね」のあのナポリか、とわたしは自分が行った時の様子を脳内再生させもする。
ベスビオ火山、暑かったこと、ガイドさんが激しく日本語上手だったこと、ポンペイ遺跡の轍、ナポリの街の洗濯物干し事情などなど。
しかしこれはあくまでもわたしの見たナポリでありネーベルの記憶と記録とは違う。
この作品は「イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)」の一つだそうで、イタリアへ来てネーベルの芸術がもう一歩進化したことの証拠のようなものだった。

ネーベルは1892年にベルリンに生まれ1933年にベルンに移住し、1973年に亡くなった。
日本でいえば白樺派の連中や折口信夫らと同世代である。
同じドイツ人と言えばケストナーが1899年生まれか。
この世代のドイツ人はナチスを「望み」「迎合」するか、「反発」するかという選択を迫られた。
ケストナーはナチスを批判しつつドイツ国内にとどまったが、バウハウスの関係者をはじめとした芸術家はスイスに避難することでナチスから逃れた。

ナチスの台頭する直前のドイツ経済は第一次大戦での敗戦の痛手が長く尾を引き、どうしようもない状況にあった。
バウハウスのヘルベルト・バイヤーがデザインしたマルク札の見本がある。
デザイン自体はいい。☆もついていてシンプルでカッコいいが、まず紙質が悪く、偽札も作れやすそうである。
そして何より物凄いインフレである。
1923年当時、200万マルク、1億マルクといった札が流通していたのだ。
なるほど、これはもうだめだ…
とはいえ、芸術活動に関しては、1920年代のドイツは目覚ましかった。

バウハウスの仕事が紹介されている。
家具類、実験住宅の紹介などなど、シンプルで装飾を排除し、1920年代のモダンさを体現したものばかりだった。

ネーベルはバウハウスには属さなかったが、バウハウスの人々との交流はあったそうだ。
特にバウル・クレーのことはしばしば日記に記されている。
クレーはヒトを誉めない人だが、そのクレーにほめられたことを持って回った表現で記してもいる。

初期の絵画作品はシャガールの影響を受けたものが多い。
ここにシャガールの作品が並んでいるので比較してみるとよくわかる。
あら、木に逆さ磔になってる男がいる絵とかあるやん…びっくりした。

やがて1933年が来る。




そしてパウル・クレーもドイツを脱出する。
その年には「恥辱」という作品が生まれる。
ネーベルの「避難民」同様ここにも矢印が描かれる。
矢印は権力の比喩なのか、彼らを導くのではなく追い立てたり、攻撃的でありさえする。謎の丸顔の登場である。
「サラバ」のあの顔でもある。

抽象表現で出現する「建築的景観」が並ぶ。
常にカラフルな作品を生み出すネーベル。
色彩が形を構成する。
それらの作品を見るうちに、自分の内側へ向かい始めているのを感じた。
自問しても答えはない。
だが、ネーベルの描く建物や風景ーあくまでも抽象的なのだがーを見ればみるほど、どんどん深く自分の奥へ入り込んでいくのは確かだった。
その理由はわからないままに、このことは忘れないでいようと思った。

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色彩表現にネーベルは工夫を凝らした。
支持体に樹脂絵の具、白亜地、キャンバスという組み合わせのものは、まるで日本画の胡粉や雲母を使ったような質感を見せた。

大聖堂とカテドラル
ネーベルは教会を描いたが、ほかの画家のように外観を描こうとせず、対象はいつでもその内側にあった。
ゴシック様式の教会内部は高く高く天へ向かうように伸びる。
その内部の柱列とステンドグラス、袖廊への道なのか、様々な空間を描いた。
いずれもはきはきした彩色である。

この作品群がいちばん好ましかった。

イタリアへ行ったネーベルは決定的な色彩の豊かさを手に入れる。そしてそれを分析し研究した。
それがカラーアトラス(色彩地図帳)。
色彩を集合させて都市や風景を構築する。




ネーベルは架空の町も構築する。
千の眺めの町ムサルターヤ
連作のいくつかがここにある。
点描で構成された風景もあれば、ある法則によって構築された景観もある。
建築にも深い関心を持つネーベルだけに、彼の描く都市風景は興味深い趣を見せていた。
わたしはかれのこの傾向を好ましいと思った。




撮影可能な作品が現れた。
抽象的な作品群であるが、「音楽的」な作品はわたしにその素養がないために、面白くはあるが理解に届かなかった。
むしろ聴覚を視覚に置き換えたときの様子だと思ってしまった。それが正しいか否かは分からないが。
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カンディンスキーの作品が現れる。
比較することで少しはわたしにも前掲の作品群が理解できるように気がしてきた。
抽象表現を確実に理解できる脳ではないので、距離が生まれるのは仕方ないことだが、少しでも近づきたいとは思っている。
とはいえ…


要するにこうした感想しか挙げられないのだ。

この後も何故かルーン文字が現れる。しかしこれがケルトのルーン文字かどうかわたしには判別できない。
ただそれらは戦後に生まれた作品だということにわたしの関心は向いている。

最後はリノカットの可愛らしい作品がいろいろ現れた。
やっぱり色彩感覚が優れているので、まず可愛い・綺麗という視覚的な楽しみがある。

ところでネーベルは俳優としても働いた。
若いうちかと思ったらそうではなく案外年を取ってからいい味を出す役者として人気があったそうだ。
なので今もご年輩には記憶が残っているという。

この展覧会はBunkamuraで始まり京都文化博物館へ来た。
スイスのベルンには彼の財団があり、世界中にネーベルの作品を知ってもらおうと活動している。
Bunkamuraでこの展覧会が始まったことは本当にスゴい。
日本では知られていない画家をこうして紹介してくれたことに感謝するばかりだ。
さすがだと改めて思う。


一方、京都文化博物館でもこの展覧会に力を入れている。
現在開催中の展覧会は以下の三展。
・抽象画のオットー・ネーベル展
・石元泰博の撮影した「桂離宮」
・祇園祭の蟷螂山

色彩豊かなネーベルを見てからモノクロの桂離宮を見ると、違和感があるかと思いきや、逆に親和力を感じた。
それは石元が桂離宮をバウハウス流のモダニズムの視点で捉えたからだった。
こうした並びは、とても有意義だと思う。
これらの展覧会が時間と空間を共有できるとは素晴らしいことだ。
京都文化博物館に感謝したい。

オットー・ネーベル展は6/24まで。
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