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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「ショーメ」展に溺れる

美の光、美の影。
イメージ (1291)

三菱一号館で開催中の「ショーメ」展に行った。
あまりに精緻巧妙な宝飾工芸に眼が眩み、「綺麗綺麗」としか言葉が出ず、他に何か言おうにも唖然となるばかりだった。
しかもその開いた口にも宝飾品のきらめきが容赦なく飛び込んできて、目や心だけでなく内臓にもその煌びやかさが染み渡った。

非常にというより、非常識なほどにキラキラしいものをみて、普段そうした宝飾の世界から遠く離れて生きているわたしは戸惑った。
あまりに美しすぎるのだ。

これまでにも表慶館、庭園美術館、西洋美術館などで数々の美麗な宝飾品を見てきた。
それは真珠であったり、指輪コレクションであったり、かつての王侯貴族の鍾愛した装飾品であったりした。
こうした美麗すぎるものは展示する場を選ぶ。
明治初めに作られたフレンチルネサンスの粋の美術館、アールデコの館として生まれた皇族の旧邸、モダニズムの建造物、そして明治初めの丸ノ内を代表する建造物を再現したこの三菱一号館。
いずれも宝飾品が飾られるのに遜色のない場が選ばれ、そこで宝飾品は燦然と耀いていた。

わたしは遠方から東京へ向かうので、あまり仰々しい身なりはしない。
だが、こうした展覧会に行くときは、その宝飾品と建物とに失礼のないように、ある程度以上の拵えをして出向く。
そうしないといけない気がしている。
ただしこれはあくまでもわたしだけの話で、他は知らない。
そしてこの行為にはもう一つ意味がある。
それは何かというと、ここだけの話だが、ガラスに反映するわたしの顔と宝飾品の影とが合成されるのを見るのが楽しみなのだ。
綺麗なものにはこちらも合わせる必要がある。たとえ混雑していようとも。

ショーメは1780年に始まり、ジョゼフィーヌ御用達のジュエラーだとサイトに説明がある。
240年近い歴史があるのだ。
「伝統を重んじつつ今なお革新性を追求し続けています」という言葉に、その時代時代の流行と、時代を超えて愛される不易とを共に創造し続けたことを知る。

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展示は時代の流れに沿っている。
皇妃ジョゼフィーヌの登場により、ロココ時代は完全に失われた。
新たなファッションリーダーとして君臨したジョゼフィーヌのための宝飾品の数々を目の当たりにし、その華やかさ・エレガントな美に陶酔する。

その一方でわたしは前代のマリー=アントワネットを巡る高額詐欺の「首飾り事件」を思い起こしていた。
本物は無論見ることは叶わないが、わたしの脳裏には池田理代子「ベルサイユのばら」に現れるあの大層な首飾りが浮かんでいる。素晴らしい美貌の宝飾品だった。
そしてこれは王室御用達の宝石商ベーマーが当初デュ・バリー夫人の為に拵えたものが宙に浮いたことから生まれた事件だった。

池田理代子は「ベルサイユのばら」「オルフェウスの窓」「エロイカ」「女帝エカテリーナ」といった歴史大作で豪奢な宝飾品を描き、貴族の優雅な装いをみせた。
わたしなどは常に彼女の描いた世界が意識に生き、豪奢な装いと言うとすぐに彼女の描いた人々の姿が蘇る。
なので、豪奢な宝飾品のヴィジュアルイメージは全て池田理代子作品が基礎となっている。


ティアラが集まった壁面にきた。
一つとして同じもののないティアラたち。
ここは撮影可能と言うことなので、延々と撮り続けてしまった。
本体自体も美麗だが、その影もまた美しく、中には影のその形の方が魅力的なものもあった。

ティアラを眺めるうちに、あしべゆうほ「クリスタルドラゴン」を思い出した。
ケルトの妖精世界が活きるエリン(アイルランド)と、キリスト教が拡がりだしたローマなどが舞台のファンタジー大作である。
わたしが中高生の頃から始まり、いまだに結末が生まれない作品でもある。
作中、重要なアイテムとしてサークレットが登場する。
中でも妖精の拵えたサークレットには重要な意味が込められていた。
今、目の前にあるティアラたちは、むしろ「クリスタルドラゴン」でのサークレットに近いように思えた。

横長に並ぶティアラの群れ。その部屋の照明はかなり明度が低く、モノクロに近い空間となっていた。
ティアラと向かい合う位置にはまた別な展示があり、最前列で見たい人々は列を成していた。
「見たい」という欲望のうごめきは、その対面の位置にあるティアラの群れと共に印象深いものだった。

1920年代、アールデコの時代がくる。
優雅な装いの貴婦人写真があった。
前田侯爵夫人の肖像である。そのティアラはショーメで購入した物だった。
モノクロ写真は鮮明ではなかったが、美しさは隠しようがなく、目に焼き付いた。

様々な時代に生まれてきたショーメのジュエリー。
ロシア最大の富豪貴族ユスーポフ家の夫人もショーメのコレクターだった。
ここでもやはり「オル窓」が蘇ってくる。
帝政ロシアは宮廷ではフランス語を話すことがよしとされていた。
フランス文化を美とみなしていた傾向がある。

ロシア革命で宝飾品は一時的に無価値なものにされてしまった。
夢野久作「死後の恋」では皇女アナスタシアが父母から与えられた伝来の宝飾品を隠し持って生き延びるという設定がある。
少年兵に偽装した彼女はやがて捕まり、その正体を知らぬ兵たちによって殺害されるが、彼らが銃に詰めたのはその数々の宝石だった。それが吊り下げられた遺体となった彼女の腹でキラキラと輝き、主人公に「死後の恋」を発生させる。
宝飾品のたどる運命の中でも、無残さと美しさの極致をゆく話だと思う。


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この展覧会に合わせてショーメが制作した作品群である。
彼らが持つ「日本」のイメージを形にしたものらしい。
とても愛らしい作品たちである。
イヤリングとブローチは実際に着けてみたいと思った。


この展覧会では素敵なリーフレットももらえた。
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ハチドリほモチーフにした綺麗な作品…

見終えて少しの時間が経ったが、今もなおあの煌めきと、それを目の当たりにした昂揚が自分の中に残っているのを感じる。
そして見歩いたとき、わたしはしばしば目を閉じ、不意にあけるという行為を繰り返した。
「美しいものを見つめすぎると麻痺しちゃう」だから目を閉じる。そして不意に目をあける」
これは立原あゆみ『夭折家族』という作品での台詞と行為だが、わたしもこれを繰り返していた。

9/17まで。
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