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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「東京・文学・ひとめぐり~鴎外と山手線一周の旅」は楽しい その

鴎外記念館で「東京・文学・ひとめぐり~鴎外と山手線一周の旅」展を見た。
イメージ (1320)

都内には多くの文学の「痕跡」がある。
世田谷文学館、新宿歴史博物館、渋谷区郷土博物館・文学館などは特にかれらの足跡を追うのが面白い施設である。
今回の展示の目的についてサイトから。
「東京は、夏目漱石、幸田露伴、国木田独歩など、数多くの文学者が住んだ街です。『こころ』の雑司ヶ谷、『五重塔』の日暮里、『武蔵野』の渋谷など、文学者はそれぞれの視点から、街の風景を作品に遺しました。人生の大半を東京で過ごした鴎外もまた、『雁』『有楽門』などの作品や日記に、東京の風物を記しています。これらの描写の中には、現代の私たちにとって馴染み深い風景もあれば、今とは全く異なる景色もあります。
 本展では、現在東京都心を環状運転する山手線周辺の地域に焦点を当て、ゆかりのある近代の文学作品、文学者や鴎外の足跡を館蔵資料から紹介します。明治大正から賑やかだった上野や新橋、当時は郊外だった新宿や渋谷はどのように描かれたのでしょうか。文学者が描いた風景や風物、名所やそこに集まった人々の様子などを眺めながら、東京をひとめぐりします。
江戸から東京へと改称されて150年の今年、鴎外と共に時代を超えた山手線一周の旅の始まりです。」


だからこの双六を前面にしたチラシはとてもマッチしている。

室内では鴎外のいた頃の都市風景写真がスライドショーとして流れていた。
それを見るだけでも非常に楽しい。
そしてその画像はここに展示されている資料をより身近に感じさせてくれる。

文学者が描いた山手線周辺の地域
神田に始まり、地域と関連する文学が紹介されている。

・神田
「夏木立」山田美妙 …そのうちの「武蔵野」が出ている。これはもう口語体で、意外に読みやすい。ただし会話は古めかしい。それについて前置きもある。
青空文庫はこちら
なおタイトル通りの「夏木立」全編はこちら

硯友社の山田美妙などは今の時代、明治文学が好きな人くらいしか知らないと思う。
この人は既に昭和初期というか戦前にはもうお気の毒に人気が廃れていたようだ。
それについては泉鏡花の研究者として名高い村松定孝が「わたしはゆうれいを見た」という児童向けの本にも書いているくらいだ。
それを読んだのはわたしが小学3年生だから随分昔の話。

美妙から鴎外あての書簡もある。明治半ばの頃の交友。

「青年」鴎外 これは冒頭から東京の地名がいくつも出てくる。
冒頭を挙げる。
「小泉純一は芝日蔭町の宿屋を出て、東京方眼図を片手に人にうるさく問うて、新橋停留場から上野行の電車に乗った。目まぐろしい須田町の乗換も無事に済んだ。さて本郷三丁目で電車を降りて、追分から高等学校に附いて右に曲がって、根津権現の表坂上にある袖浦館という下宿屋の前に到着したのは、十月二十何日かの午前八時であった。」

この場合の電車はなんになるのか。
今だと地下鉄銀座線だが、新橋停留場から出ているのは路面電車か、それとも国鉄なのか。
地下鉄はこの15年後に開業。東京駅は「青年」の翌年大正3年に開業。
やはりこの場合は市電ということになる。
なので神田須田町の乗り換え云々というのも納得だ。なにしろ線が違ったのだ。
東京電車鉄道から東京市街鉄道への乗り換えなのだ。
作中、主人公は国府津にも出るが、それは国鉄。
明治39年の路線図を拵えた方がおられるので、それを参考にした。
こちら

そしてわたしの考えが間違っているのなら、どなたかどうか正しい回答をお願いしたいと思います。
正解がある方がいい。

神田須田町には軍神・広瀬中佐の銅像が立っていた。戦後に撤去されたそうだが、供出されなかったのは「軍神」だからか。
スライドショーにもその名所絵ハガキがある。

・御徒町
「雁」鴎外 
舞台となった「無縁坂」の戦後の写真が出ている。
無縁坂と言えばわたしなどは「グレープ」の歌が蘇るが、やはり坂の名前が魅力的なのでみんな使う。
それでわたしなども無縁坂を随分前にそーっと歩いてみたりした。

あのあたりの様子について鴎外はこう書いた。
「そのころから無縁坂の南側は岩崎の邸であったが、まだ今のような巍々(ぎぎ)たる土塀で囲ってはなかった。きたない石垣が築いてあって、苔蒸した石と石との間から、歯朶や杉菜が覗いていた。あの石垣の上あたりは平地だか、それとも小山のようにでもなっているか、岩崎の邸の中に這入って見たことのない僕は、今でも知らないが、とにかく当時は石垣の上の所に、雑木が生えたい程生えて、育ちたい程育っているのが、往来から根まで見えていて、その根に茂っている草もめったに苅かられることがなかった。」

ところで「雁」では冒頭に「金瓶梅」が出てくるが、あの頃の翻訳は誰だったのだろう。
やっぱり伏字が多かったのか、それともそのまま…

・鶯谷
「子規遺稿 第二編 子規小品文集」高浜虚子編 国立国会図書館のデータとリンクしている。
書道博物館のお向かいに子規の暮らした家がある。

久世光彦は「飲食男女」で子規がここで何を食べたかを書き、作中の「わたし」にそれを食べさせている。
久世さんらしい隠微な物語なのでここでは紹介できないが、既に体の自由を失った子規の生への執着が快い。

長くなりすぎるのでここで一旦下車。
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