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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

藤田嗣治展を見ながら思うことなど

東京都美術館で藤田嗣治展をみた。
いいタイミングで見たので適度な混雑があった。
これくらいの方がほっとする。

近年になり、藤田の展覧会が開催されるようになった。
色々と事情があるが、やはり素直に嬉しいと思う。
しかし亡くなって大分経つが、誰か藤田に謝った人はいるのだろうか。
藤田が日本を追われるように出ていき、日本に愛想尽かしをしたことに対して、その原因について藤田に謝った人は…
わたしが知らないだけかもしれないが、まだ誰かが藤田に謝った話は聞かない。
そんなことを思いながら藤田の絵を見る。
だからか、たまにわたしは鬱屈に噛まれる。

わたしは専門家でも研究者でもないただの観客なので、好きなことを以下、勝手に記す。

藤田の生涯を追うスタイルの展示である。
先年、藤田の挿絵関連ばかり集めたオシャレな展覧会が西宮と目黒で開催されたが、こちらはクロニクル形式である。
随分若い頃の絵から始まっている。
美学校の学生としてアカデミックな教育を受けていた藤田の絵を見る。

藤田の父は決して息子が画家になるのを厭だと思わなかったそうだ。
かれは陸軍軍医で、森鴎外の同僚であり、かつ鴎外を尊敬する人でもあった。
藤田の描いた父の肖像画を見る。
たいへん似ている。軍服姿の藤田嗣治だと思うくらい、似ている。
藤田はこの父を敬い、そして愛した。
父親もこの次男を愛し、応援した。

藤田嗣治にはいとこに劇作家の小山内薫・岡田八千代がいる。この兄妹はなかなか美貌の人だが、藤田とはあまり似ていない。それは藤田が父親似で小山内兄妹とは母方の血縁者だからだろう。
以前に藤田と小山内兄妹がいとこだと知りびっくりしたが、藤田の芸術家の血は母方に由来するのかもしれないと思うと、勝手に納得できた。
藤田の血縁を調べると、建築家の芦原義信までいたので、たいへん興味深く思えた。
尤も明治の名家は縁を繋ぐのを好んだので、名のある人はどこかで姻戚だったりする。
有島武郎を長兄とする有島兄弟は長女の孫に山本直純がいるし、四男の里見弴の息子には映画プロデューサーも出たし、武郎の息子の一人は俳優・森雅之という、そんな華やかな家系も少なくはない。

藤田の父・嗣章は尊敬する森鴎外のもとを、息子を連れて訪ねた。息子の進路についての意見を求めたのである。
陸軍軍医総監であり文化に造詣の深い鴎外の言葉をうけて、藤田父子はきちんと日本の学校を卒業させる。
鴎外はこの面会のことを日記に記しており、それは「東京・文学・ひとめぐり~鴎外と山手線一周の旅」展にも出ていた。
偶然ながらわたしはこの藤田展の後、てくてくと歩いて団子坂上の鴎外記念館へ向かった。
鴎外と藤田のつながりを知ることが出来てよかったと思う。

パリへの「留学」時代の絵はどうも裏寂れていて、あまり気持ちのいいものでもない。
この静けさは侘しい静けさで、俯いて感情を殺して生きているような世界の絵にみえる。

瞽女の絵で有名な斎藤真一は学生時代に藤田の絵のとりことなり、戦後ようようパリへ出て藤田に会いに行った。
藤田はこの若者に親切だった。
藤田から東北へ行くことを勧められ、かれはそこでライフワークとなる対象を見出し、制作と追及に生涯を費やした。
その斎藤真一の描く瞽女や哀れな女性たちは、この時代の藤田の絵に似ている。
少年だった斎藤真一が「見た」藤田の絵は、「グラン・フォン・ブラン」、豪奢な白い裸婦の絵だったことを思うと、とても興味深い。
2010年に武蔵野市立吉祥寺美術館で見た斎藤真一展の感想はこちら


ようよう1920年代になり、藤田の才能と人気が大爆発という時代が来た。
百年近い前の、この狂乱の1920年代ほど魅力的な時代はないのではないか。
本当に素敵だ。

ああ、猫「の」いる自画像、猫「と」いる自画像、猫がいなくては彼の自画像とは思えないほどだ。
猫はキジ柄が多いのか、可愛いなあ。キジ猫は特にかわいい顔をしている。

エミリー・クレイン= シャドボーンの肖像 1922 油彩・銀箔・ 金粉、カンヴァス シカゴ美術館  この絵は初見。背景がこれより40年くらい後の創造美術の日本画家または江戸時代の絵師がやりそうな箔貼り。それが壁面となり、長椅子で猫と共にくつろぐ様子を見せる婦人を美しく見せる。
鮮やかな青地に文様の入ったガウン、黒地に金糸で綴られた大きな牡丹文様の入った服も素敵だ。靴だけちょっと色合わせが良くないように思う。
黒いシャムとキジの混じったような猫もいい。

ヴァイオリンを持つ子ども 1923 熊本県立美術館  熊本で見たとき、この子が少年か少女かわからなかったが、当時は上流の子供は少女めいた装いもしていたことから少年だと考え、絵ハガキ購入後は自分のファイルの美少年フォルダに収納している。
そう、少年なのですよ。可愛いなあ。

猫 1932  可愛すぎて苦しいよ。

そしていよいよ偉大なる乳白色の時代へ。

先年、藤田がこの乳白色をどのように生成したか、その秘密の一端がわかったというようなニュースを見た。
天花粉、ベビーパウダーを転用したというのがその真相らしい。
画室の写真には確かに天花粉が映るが、だれもそれを絵に使ったとは思わず、藤田の汗抑えくらいにしか思っていなかった。
よくそれを絵に使った、と導けたなと感心している。
こうした秘密というのは当時もわからず後世もわからないまま、というのがままある。

居並ぶ白肌の裸婦たちを見ながら、「ああフランスの女の身体だ…」という感慨が胸にわく。
そしてこのフランスの女たちは男だけでなく女をも誘うのだ。

実をいうと、藤田展でいちばん期待していたのは、猫の絵が出来るだけたくさんあればいいなということだった。
わたしは藤田の裸婦より藤田の猫が好ましく、東京国立近代美術館にある藤田の絵をいつも猫目当てで見てしまう。
藤田は猫と女は同じものだというような意味の談話を残している。
女にひげをつければ猫になる、というような表現だったと思う。
なるほど。

五人の裸婦 1923 東京国立近代美術館  綺麗な裸婦たちが立ち並ぶのだが、いつもいつも今も今も、ちんまりくつろぐキジネコに眼がゆく。可愛くてならない。
この絵の右下にはパリらしいわんこもいるのだが、その存在に長らく気づかなかった。
要するにわたしは猫しか見ていなかったのだ。

猫たち14匹が暴れまくる絵もあって、たいへん嬉しかった。
この絵を見たくて東近美へ通った時期もある。
その当時、解説には「奇怪な」と記されていた。
今から思えば単に学芸員さんが猫が嫌いなだけなのだろうが、まだ20歳そこそこのわたしはすねてしまった。
藤田の描く猫はどんな状況でも可愛いのだよ、と今なら言い切れるのだが。

しかし猫の絵が輝いているのはやはり「グラン・ブラン」の時代で、メキシコや日本にいた頃のはどうもよくない。
それは定住せず、旅の人だったからではないかと思う。
猫は人より家に着くともいう。
藤田の旅に猫は連れていけなかったのだろう。
そして猫のいない藤田はどうにも侘しい。

若い頃の裏寂れた灰色のパリより、功成り名遂げた後のメキシコや東洋の旅を繰り返す頃の、あくどいような色調の(そのくせ妙にうらぶれた彩色)作品群は、どうにも酷く侘しい。
「旅絵師」を演じたかったのか、それとも心情的に漂泊者になりたかったのかは知らない。
好きな女を連れて、それまでとは違う作風の絵を描いて、旅を続ける。
その心情がどんなものかはわからない。

旅を続けてそこから名作を生みだした画家は多い。
浮世絵でいえば広重も北斎も旅をして、その感銘を絵にした。
広重の叙情性は後世の版画家・川瀬巴水にも活きていて、かれも旅をすることで心を新たにし、名作を次々と生み出した。
同時代の吉田博もそうだ。
かれは若い頃、義妹のちに妻となるふじをと共に欧州を旅し、その地その地で絵を描き、描いたものを売って長く旅を続けた。
その様子について夏目漱石が「三四郎」に書きもしている。

尤も旅に出て得たものより失ったものが多い画家もいる。
日本国内は良かったが、アメリカへ出た夢二はそれまで培ってきた技量も人気も矜持も何もかも手放す状況になり、失意ばかりを手に帰国し、ほどなく世を去ることになった。

どうも藤田の旅先の絵を見ているとうらぶれた侘しさがひしひしと身に染みるような気がするのだ。
本人がどう思っていたかは知らないが、あれだけの成功を捨てて、妙にものさびしいような荒んだような絵を描く必要はどこにあったのだろう。
並ぶ絵を見ながらそんなことばかりを考えてしまう。

その当時の藤田が描いた対象は言えば底辺の人々である。
華やかな世界からメキシコあたりへ「流れた」という気分でそうした絵を描くのか、それもポーズなのかは知らない。
中国人を描いた絵もどこかあざといようなものを感じもする。

やがて戦争画の時代になった。
いつも東近美でこのコーナーにたどり着くたび、言葉も何も飛んでしまう。
今回も何を言うことも出来ない。

きちんと向き合い、言語化できる人々はえらい。
わたしは言葉を持たない。


戦後、フランスへ戻り「レオナルド・フジタ」になってからの藤田の描く対象は架空の子どもたちだった。
どの子もみんな口をつぐんでいる。
そのことをいつも思う。
様々な行為・行動を行う様子を描いているが、どの子どもも皆口をつぐむ。

あまりこの子供らの絵は好きではない。
ただ、藤田がこの子供らを描いたことを、その心情を考える。


二年ほど前、兵庫県美術館で「生誕130年 藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画」という展覧会を見た。
当時の感想はこちら
府中市美術館、名古屋市美術館などを巡回した展覧会である。
今回はそれとは違う展覧会だが、本当にこの近年の間にこうして大小さまざまな藤田の展覧会が開催されるようになったことをめでたく、そしてありがたく思う。

没後数十年後の日本で、あなたの絵をこんなにも愉しむ人々が多いことを、フランス人・レオナルド・フジタに伝えたいと思う。
そして誰もあなたに責任をかぶせたりする人も今はいないことも。

10/8まで東京都美術館。その後に京都へ巡回予定。
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