FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

水木しげる 魂の漫画 その1

龍谷ミュージアムで「水木しげる 魂の漫画」展が開催されている。
イメージ (1375)

龍谷ミュージアムと言えば仏教系の展示が多く、ここで「妖怪マンガ」を数多世に送った水木サンの展覧会をする意図は何か。
仏教と妖怪の関わりか…!?
とかそんなことをチラリとも考えず、ただ単に水木ファンとして喜んで美術館へ向かった。
予想以上にお客が多く、皆さん熱心に見ている。
展示リストはないが(何しろあまりに膨大な作品数からピックアップするのである)、展示室のマップをもらった。
モノクロのこちらである。
イメージ (1383)

1. 武良茂アートギャラリー 天才少年画家あらわる!
時系列での展示なので、鳥取・境港での天才少年の絵の軌跡を見ることから始まる。

水木サンの本名は武良茂である。子供の頃から抜群に絵がうまく、タブローだけでなく物語絵を描くことに長けていた。
これは以前からの展覧会でも大きく紹介されていることなので、わたしも心得ていた。
まずは絵本「白雪姫」である。これは以前にも見ているが、今回は更に小人たちの様子を描いたシーンも出ていた。
実はこれらはディズニーの映画が輸入される以前に描かれた作品だという。制作は1938年。ディズニーの「白雪姫」もほぼ同年だが、現代と違い、当時は情報が軽々と手に入ることはなく、しかも鳥取という場所から考えても、当時の武良茂少年がディズニーの作品を少しでも観たとは考えられない。実際「白雪姫」のアニメーションは1950年に日本へ来たのである。

グリムの作中で姫は「炭のように黒い髪・血のように赤い唇・雪のように白い肌」を持つ娘として描かれている。
16歳の武良茂少年が何を参考にしたかはわからない。
当時のどの本を読んで・誰の挿絵を見たかもわからない。文中の描写と、それ以前に見てきた様々な絵本からの情報で、このような表現を採ったにしても、とても魅力的な作品になっている。

他にも原本のわからない「グリム童話」の物語絵がある。
当時流通していた本を全て知ることは出来ないので、武良茂少年が何を作品化したかはわからないし、もしかするとそれをベースにしたオリジナルなのかもしれず、その辺りは何もわからない。
だが、物語絵としてはたいへん上質なのは確かだ。
タイトルはドイツ語をそのままカナ書き。
「ルムペルシュティルッヘン」

あとは虫絵巻が凄い。こちらは童画家・武井武雄、初山滋らを思い起こさせる。
手塚治虫、松本零士、水木しげる、みんなとても虫を愛し、虫のマンガを描いている。
松本零士の作品集の解説に「虫を愛する者は心が優しい」とあったが、三人の作品に共通するものはとても多いと思う。
作風というのではなく。ある種の強烈な意識である。
これについてはここで記すと長くなるので措く。

そしてそれ以前のもっと幼ない時分に描いた水彩画も展示されている。
これらは高等小学校時代に描き貯めたもので、当時鳥取県の二科展と関わりを持っていた教師の勧めで、地元の公民館で「個展」を開催した時に展示された作品だそう。
幼少期から青年期を振り返ったエッセー「ほんまにオレはアホやろか」を踏まえつつこれらを見ると、単に勉強が苦手なだけの才ある少年だということがわかる。

紙芝居作者であった様子を再現するかのような設えがある。
そこで水木サンの「波乱万丈人生紙芝居」映像が流れる。弁士は坂本頼光氏である。
観客は熱心に映像を見ている。わたしもじっくり見たかったが、垣根越しになったのであきらめた。

2. 水木しげる漫画研究 片腕で生み出す独自の画法
一時染め物工場で働いたことからか、染粉を溶いてそれで彩色をしたそうだ。
あの独特の色彩感覚はこうしたところから生まれたのか。
実際の使っていたガラス瓶が並んでいた。

と、ここで丁度ミュージアムシアターで「水木しげる氏を語る」13分のプログラムが始まるというので、一旦離脱してシアターに入った。
・元講談社編集担当 田中利雄氏
・チーフアシスタント 村澤昌夫氏
・漫画家 池上遼一氏
このお三方による水木しげるという人物の思い出話である。
これはやはり面白かった。
田中氏は編集者という立場からの話をされ、村澤氏は仕事の様子などを語られた。
池上遼一氏は何故か背中からの撮影で(しかし若い頃の一緒に写した写真などが出ている)、思い出話である。

皆さんかなり面白い話をされた。
・オチが浮かばない時、つげ義春氏を呼び二人でぼそぼそと話をする。
・妖怪画「雪女」の髪を担当したのは池上氏。水木サンの奥さんとその妹さんも美人で、だからか「雪女」などにその面影が出ていて、描かれた雪女はたいへん美人に。
・点描を担当する池上氏はついつい居眠りしてしまい、水木サンから小言を食らった。
・背景画の凄まじいばかりのリアリズムとデフォルメされたキャラとの落差。これが水木マンガの魅力。
その背景は「背景画」として大量に制作されていた。そして使われるときはストックから物語の情景にぴったりのものをコマにはめ、切り抜いたりして製作時間の短縮を図った。

実際、どの作品でも背景の見事さには常に粟立っていた。
特に山中や石仏の集合体、夜の田舎道、異界…
わたしなどは田舎はニガテ、季節性鬱、要するに誰もいないところ・暗いところがたいへんニガテなので子供の頃からあの背景が怖くて仕方なかった。
そのピースをここで見てやっぱり震え上がった。

田舎の民家の絵などは二川幸夫の「日本の民家」を思い起こさせもした。
というより、あの写真展を見たとき「水木サンの作品みたいだ…」と思ったことを改めて思い出した。
当時の感想はこちら
日本の民家 一九五五年 二川幸夫・建築写真の原点

無縁仏の集合はやはり恐ろしかった。

シアターを出てからまたブレイク前の作品を見る。
絶望の町 1948  浜田知明の初年兵にも似た髑髏風なキャラがしょんぼりしている。

ここには展示されていないが元祖デスノートのような作品が水木サンにはあって、現代ものは「糞神様」に収録されているが、そのもとになったような「死人帖」とかいう作品もこの時代に生まれている。

非情な「猫忍」もある。こういう無残で不条理な話が水木サンにはとても多い。
前述の手塚・松本零士と共通する云々はこうした点をも。

水木サンの這い上がるきっかけとなった「テレビくん」もある。この作品はわたしも好きだ。
羨ましさとちょっぴり悲しいような何かがあり、「児童漫画」の傑作だというのも納得の作品。

3.水木しげる人気三大漫画 鬼太郎、悪魔くん、河童の三平
今日までどころか未来にもこれらの作品は愛され続けるだろう。
2018年現在も「鬼太郎」はアニメ化されて放送中である。

鬼太郎の原画の内「大海獣」の表紙が出ていたのを見て震え上がった。
鬼太郎の変身が並んで描かれているからだ。
実はもうこの作品こそがわたしの中では最大のトラウマの一つで、今に至るまでおののき続けている。

鬼太郎の67年の第一巻表紙、鬼太郎が掌を開いてこちらを止めるようなポーズ、いつみてもカッコいい。
とてもアクティブでアグレッシブで。
18102501.jpg

「悪魔くん」は実写版をわたしも見ている。ただし1982年の話。当時テレビ大阪が「懐かしの少年ドラマ」シリーズとして「月光仮面」「隠密剣士」「ハリマオ」「悪魔くん」などを放映したのだ。
この当時から既に戦前の少年小説、戦後の少年マンガに関心が高かったわたしは非常に面白く見た。
そしてその実写版の出演者たちの写真があった。メフィストは吉田義男。真吾は金子光伸君。百目もいる。
金子君が若くして亡くなったことを知ったのは今夏だった…
彼はわたしの中では「ジャイアントロボ」のU-7大作くんでもある。泣ける。今もファンサイトがある。こちら

とはいえ以前の水木しげる展の感想にも書いたが、「悪魔くん」は山田真吾版と松下一郎版があり、全くの別物である。
真吾は水木サンのキャラで唯一の美少年。一郎は1万年に一人の異能児で、非常にクールで、苦々しい表情もいい。
わたしはどちらも好きだが、やっぱりややこしいのでタイトルを変えてくれたらよいのに…と今もよく思う。

「河童の三平」の原画では河童の世界に連れて行かれて人間だとばれて必死の逃走をする三平と河童たちのシーンが出ていたが、あの超絶な背景画がいい効果を生んでいた。

終盤、三平はまさかの死を迎える。そして知り合いの死神と共に黄泉路を行く。
普通の人の目には見えない道だが、同居しているタヌキは人ではないのでその道が見え、三平と言葉を交わせる。
三平はタヌキに自分のいない後のことを託し、タヌキはこれまでの三平の厚意に感謝の言葉を挙げつつ泣く。

せつなかったなあ…
解説によると当時このタヌキはなかなか人気があったそうだ。

長くなるので続きは後日。
関連記事
スポンサーサイト
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア