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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

水木しげる 魂の漫画 その2

「水木しげる 魂の漫画」展の続きである。
イメージ (1386)
二階の展示室へ降りた。痛烈な展示風景があった。

4.総員玉砕せよ! 壮絶な戦争体験記
いやでも気づくものがある。何かといえばそれは爆弾の絵のパネルだ。
それが頭上に林立する風景がそこにある。
わたしはツイッターでこのようにつぶやいた。

そう、作中の爆弾がパネルとなり頭上にずらりと並んでいる。
爆弾の種類はわたしにはわからない。しかし間違いなく殺傷能力の高い爆弾でしかも連続して投下できるものなのだ。
それが頭上に列をなしている。
これには参った。
絵空事ではないのだ。実際にあった戦争の悲惨さを経験した当事者が描き、それを我々は追体験するのだ。
無論完全な追体験ではないが、無視出来ぬ重さがある。

その頭上の爆弾の下に「総員玉砕せよ!」の原画が列んでいるのに胸が重くなる。
一枚一枚一コマ一コマ濃密な絶望感と虚無とが漂っている。
わたしはこれまであえてこの作品を避けてきたが、今日は遂に捉まってしまった。
逃れようのない状況の中で、仕組まれた無駄死にを遂げる人々を容赦なく描いているこの作品に。
人間性も失われ、不条理な上官の命令に従うしかないく、生き延びることは決して許されない中で、何の綺麗ごともなくただただ死んでゆく。
「これが戦争なのだ」
そのことがずしんと胸を圧す。

戦後20数年後に生まれたわたしは、親や教師世代から戦争の悲惨な話を聴き、授業でも学んできた。
だが彼らは全員が内地にいて逃げまどっていた人々なのだ。戦地に行った人の話をリアルに聞く体験をわたしは持たなかった。
わたしの祖父世代は戦地に行って帰ってこれなかった人が多く、帰ってきた人であってもわたしは彼らと接点がなかった。
わたしの母方の祖父は裁判官であり、内地にとどまっていた。父方の祖父はわたしの生まれた頃に亡くなっている。
母方の祖父の弟は戦地から帰ったが、ついにこの人と会う機会を持たなかった。
映画などでみる戦争は「被害者」としてのそれであり、加害者側・当事者側を描いたものはほとんどなかった。
「人間の条件」「独立愚連隊」「兵隊やくざ」がそれにあたるだろうか。
理不尽な死が蔓延する中、武良茂青年がその死者の列に加わらなかったのは、やはり奇跡だと言っていいのではないか。

水木サンのこの作品があるからこそ、21世紀の今日に「ペリリュー 楽園のゲルニカ」という作品が生まれた。
リアルに理不尽さを無残さとを骨髄まで味わった水木サンとは違い、1975年生まれの武田一義さんとでは「実感・実体験」が違うのは確かだが、それでも武田さんがこの作品を描くことは、まだこの世界に希望があることを感じさせられる。
戦争は絶対悪だという認識への。

戦争で南方に行った水木サンの幸運の一つは、現地のトライ族の人々との温かな交流だと思う。
実際このことが水木サンの支柱となって、後年再訪するのだから、南洋の憧憬は根深いものだった。
そのことについてはここに設置された電気紙芝居で、弁士の坂本頼光氏も熱演していた。
26年後に再訪した時、現地の皆さんはそれなりに年を取ってはいたが、篤い歓迎の心を見せたのだ。

ところで戦争により左腕をなくしてしまったが、それとは全く別に模型で連合艦隊を拵えたりするのが大好きだったようだ。
これは自作にも描かれている。
その連合艦隊模型が展示されていて、やっぱりすごいなと思った。
ご夫婦で一緒に拵えたそうだ。奥さんも楽しかったという。
そして小松崎茂にも学びに行っていたそうだ。

ここで道順に従い5を飛ばして6へゆく。
6.短編に宿る時代へのまなざし
正直なところ、非常にシビアでラストがつらい作品が多い。
わたしが最初に読んだ水木サンのマンガは大人向けの短編集で、子供心に「こらあかん、不幸が寄ってくる」と思ったものばかりだった。
子供向けの作品「縄文少年ヨギ」の紹介もあったが、これは通読していないのでどうともいえないが、悲惨なラストが待つ作品が多いのなんの。
これは1970年代までのほかの作家の作品にもその傾向が高く、わたしなどは読みふけっている最中に激しく鬱屈する。
景気が上向いてきてても1970年代はアカン。子供心にも強くそう思ったものだ。
他方70年代は少女マンガの開花の時代でもあり、非常に優れた名作がこの時代にあふれている。

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7.妖怪世界へようこそ
ドラマ「ゲゲゲの女房」でも描かれていたが、80年代になって水木サンの作品発表も落ち着き、妖怪画、妖怪図鑑の制作に軸足を移した。このあたりの作品は先年三井記念美術館でもたくさん展示されていた。
当時の感想はこちら
大妖怪展 鬼と妖怪とそしてゲゲゲ

これらの作品は今も版を重ね、年代を問わず愛されている。そしてこの作品群が水木サンの再評価へとつながるのだ。

5.溢れる好奇心 人物伝
90年代に入り、水木サンは人物伝を多く世に贈った。これが実に面白い。
まだ90年代に入る以前に描かれた人物伝の紹介もあるが、その当時からこうした人物伝を描く下地はあったわけで、いずれもたいへん面白い。
原画があったのは「近藤勇」と「ヒットラー」である。
そしていよいよ列伝の紹介が出てくる。

スウェーデンボルグが神と邂逅するシーンなどはやはり水木サンでなくば表現できない情景となっていた。
わたしはスウェーデンボルグは雑誌「ALLAN」や私市保彦「幻想物語の文法―『ギルガメシュ』から『ゲド戦記』へ」などから知ったが、それ以前にどうやら「悪魔くん」で見ていた可能性がある。
神秘家としてのウィリアム・ブレイクを知ったのは水木サンまたはつのだじろう・永井豪両氏の作品からか判然とはしない。
しかしこの三人の作品から知ったのは間違いないのだ。

「東西奇っ怪紳士録」のうちから平賀源内のエレキテルのシーンが出ていた。
この本はもう本当にあまりに面白くて何度読み返したかわからないし、今も折々読み返している。
わたしが本当に水木ファンになったのはどう考えても90年代以降からだった。
TVで鬼太郎アニメを見、「悪魔くん」「河童の三平」を大切に保存しつつも、大してよい読者でもなかったのだ。
しかし90年代から最期まではずーっと一貫してリアルタイムに読み続けてきた。
特にこの人物列伝は最高に面白いと思っている。

8.人生の達人 水木しげる
筆書きという珍しい表現法による一枚絵が並ぶ。そこに水木サンの人生訓??と言うべき文言が記されている。
「なまけものになりなさい」
いや、それは困るねんけど。

2000年代に制作され未完に終わった水彩画の「虹の絵本」も公開されていた。
さらりと描かれたとても綺麗な絵の連なりだった。
人生のスタート頃に絵本を描いた水木サンだが、晩年に到り「初心忘れず」というところなのだろうか。
それとも単に日々の楽しみの一つだったのだろうか。

やがて京都会場限定コーナーが現れた。
水木サンx宗教文化
ここで幼少期の「のんのんばあ」の思い出が紹介されている。
のんのんばあから地獄やオバケの話を聞いて育つ水木サン。
その時に見たお寺の地獄極楽図の複製画が現れる。
龍谷ミュージアムでこの展覧会が開催された価値がここで活きる。
ようやくここで納得した。
そうか、そうだ、と一人で納得する。

やがて2015年、水木サンは新しい旅に出た。
水木サンの新しい旅先はあの世だ。水木サンは全ての生命体の先達として、旅に出た。
死の世界へ行くのも旅だ。
多くの旅をした水木サンだが、今度の旅にはツレはいない。
だがそれは淋しい旅ではないと思う。
いつか追いつく人々のために水木サンは新しい知見を発見するのに忙しい気がする。

去年この「追悼水木しげる ゲゲゲの人生 」展の時から思っていたが、この展覧会を見てますますその意を強くした。
当時の感想はこちら

いい展覧会だった。
11/25まで。


追記


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