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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

華麗なるササン王朝―正倉院宝物の源流―

天理参考館で「華麗なるササン王朝―正倉院宝物の源流―」をみた。
丁度正倉院展に合わせての展示で、これはなんとしても見に行かねばと朝も早くから天理を目指してくてくてくてく…
がんばって出かけた甲斐があり、よい展示を見ることが出来た。
イメージ (1432)

ササン朝の硬貨をみる。日本のそれとは違うカンカンコンコン打つお金である。
打刻方式。基本的に当時の王様や英雄などが刻まれている。
全然関係ないが、青池保子「エロイカより愛をこめて」の守銭奴ジェイムズ君をメインキャラに据えた中世が舞台の番外編では、王位を簒奪したジェイムズ君は夜ごとコキンコキンと打刻し続けていた。
極端なたとえだが、ああいう形で古代や中世の打刻貨幣は作られていたのだ。

ガラス製品が並ぶ。
長く土中にあったガラスは化学変化を起こし、銀化し、不思議な様相を見せる。
あるものは玉虫色に輝き、あるものは石のようになる。
意図せぬ変化は思いがけない美をみせる。
その変容したガラスが並ぶ様子をみて、ガラスの終焉のようだと思った。
最期に近づくほど逆に美の純度が増す。

切子ガラスランプ 1 4~5世紀  杯のように見える。ナトロンガラスというそうだ。カッティングはササン朝だがどうやらローマのものらしい。

円形切子ガラス碗がずらりと並ぶ。カッティングが同じなので正倉院のガラス椀ととても良く似ている。
しかし正倉院のガラスは現代でもガラス性を保っている。
これは早いうちから「伝世品」として正倉院に収められ、土とは無縁でいたからだそう。
土に入ることで珪酸や鉄分などが華麗な(あるいは退嬰的な)変化をもたらすが、千年以上作られた当時の姿のままでいる正倉院のガラス碗は、やはり唯一無二の宝なのだ。

「海中道の正倉院」と称えられる沖ノ島にもガラス碗があったようで、その破片が今は残るそう。
沖ノ島の宝は本来は一切外部に出してはいけないそうだが…

浮出円形切子ガラス碗 この筒状の浮出しを見ると、どうしても仁徳天皇陵の石棺模型を思い出す。明治六年に調査で入った際のスケッチが堺市博物館にあり、それを基にして模型が作られている。なにかしら不思議な合致というか、あまり考え続けたくないようなうすら寒い恐怖を感じる。

イメージ (1435)

青銅器も案外多い。
紀元前の古代中国の青銅器に親しみを懐いているのでササン朝の青銅器はそれらの遥か後輩だと思い、可愛く思う。

紀元後数百年たった頃に作られた工芸品は華麗なものが目に付く。武器も儀礼用のものなのか実際の戦闘用のものなのかわたしには区別がつかないが、金製の武具を見るとやっぱり「黄金聖闘士」をちらりと思い出す。

指輪も耳飾りなどは華麗で、印章付きの指輪も豪奢。
そうそう、わたしが「印章付き指輪」を知ったのはエリザベス一世治世下のイングランドを舞台にした山本鈴美香「七つの黄金郷」からだった。新法王に無理を言って「黄金の聖書」と呼ばれる指輪を賜る話があり、それからかな。

ササン朝の歴史についても解説があった。
色々と苦労をしたようで、最後の王に至っては亡命し、可哀想がられてシルクロードのどこかの司令になったが、結局殺されたそうだ。
それでこれは「世界史の窓」からの引用だが、そもそもササン朝ペルシアとは何かというと、こういう説明がある。
「古代のイランにおいて、紀元後226年、パルティアに替わって登場した王朝。パルティアが遊牧イラン人主体であったのに対し、ササン朝は農耕イラン人であるペルシア人が建国した。」

そのパルティアについてもこの展覧会で少しばかり紹介がある。
パルティアン・ショットの図様である。そしてこれは法隆寺や正倉院に残る「獅子狩文」の図様でもある。

ここにあるのは二点。
鍍金帝王狩猟文銀皿 7~8世紀
イメージ (1433)
実はこの図様はササン朝が滅びてから人気になった柄だそう。
「今終わったものが一番新しい」という名言を吐いた人もいるが、なんとなく納得である。
ちょっとこの人の顎が長すぎて高畑勲監督の「かぐや姫の物語」の帝を思い出した。

鉛製胡瓶 唐  飛ぶ鳥に狙いをつける騎馬の男装女子図。いかにも唐らしい。

いい感じの器も多く、白鶴美術館にあるのと同形のものがいくつかあった。
それにしてもこの文様は何を意味しているのだろうか。
イメージ (1434)

他には唐三彩がある。
やはりこの華やかな国際交流の時代の遺宝は今なお煌めきを失わない。
いいものをみせてもらった。
11/26まで。
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