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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ルーベンス展 ―バロックの誕生 その1

ルーベンス展にいった。
イメージ (1486)

行く前から頭に浮かぶのはアニメ「フランダースの犬」ラストシーンである。
貧しい少年ネロと愛犬パトラッシュが雪の中、酷い誤解を受けて迫害され、金もなく、助けてくれる人もなく、とうとう教会へたどり着いたとき、いつもは高価な見学料を取る教会のルーベンスの絵がクリスマスだからか、カーテンが開け放たれ、ネロの前に燦然と耀いていた。
ネロは歓喜極まって叫ぶ。
「ああ、神様!僕はもう何もいりません」
そしてその感動を胸に抱いたまま、愛犬パトラッシュと共に眠りにつく。
ネロとパトラッシュは小さな天使たちに迎えられて幸せそうに天へ上ってゆく。
魂は救済されたが、現実の肉体は凍死・餓死状況で発見される。
ネロを迫害したしたことを後悔する人々の前にその遺体がある。

思い出すだけで涙がにじんでくる。あまりにネロとパトラッシュが可哀想で。
ルーベンスの絵がそんなにいいのかどうかはわからない。
だが、ルーベンスの絵に憧れ、人生の最期をそこで迎えた、という状況に胸が揺さぶられるのである。

国立西洋美術館ではルーベンスを「イタリアとのかかわりに焦点を当てて」紹介すると宣言した。
そうした視点で来るとは思いもしなかった。
だが、あの輝くばかりの肉体表現はやはりバロックのものだ。
ルーベンス自身強くイタリアに憧れ、そこで学び、ついには巨匠となった。
それを思うと、この展覧会への期待がいや増すばかりなのだった。

ルーベンスはフランドルそうフランダースのアントウェルペンに生まれ育った。
(ネロと全く同じである)
1600年、若いルーベンスはイタリアへ入り、断続的にそこで過ごした。
それは豊饒な時だったろう。
かれの訪ねた時から遡って百年前のイタリアにはルネッサンスの巨匠がいた。
ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ラファエロらである。
(イタリアの場合、統一国家としてはごく近代に成立したので、本来ならフィレンツェ、ヴェネツィア、ローマ、ナポリ、フェラーラなどと「国家」ごとに分けるべきだろうが、ここではそのことは措く)
そこで修業したルーベンスが照り輝く肌を描くようになったのは、当然のようにも思える。
ルーベンスは憧れの地を間違えず、自分に向いた地へ赴いて、本当に良かった。
後世の極東の片隅に住まうわたしの素直な思いである。
大きなお世話だとルーベンスを苦笑させるだろうが。

展示室に入る手前、映像で現地のルーベンス展示の様子を紹介していた。
アントワープの大聖堂か、そこの荘厳な様子と巨大なルーベンスの絵に圧倒された。
ネロが見たものはこれだったかもしれない、そんなことを思うだけで泣けてくる。
いたたまれなくなり、室内へ。

クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像 1615-16年  ルーベンス  ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
イメージ (1490)
この愛らしい幼女はルーベンスの娘で五彩の時の肖像。
幼児の死亡率が高い…というより、成人する確率の低かった時代、この子は12歳でなくなる。

リヒテンシュタイン侯爵家コレクションというと青池保子「エロイカより愛をこめて」のあるエピソードを思い出す。
泰西名画鑑賞家の伯爵がある機会を得て「ファドゥーツ・コレクション」の収蔵庫へ招待される。
そこで見た名画の数々に深い感動を受ける。そこにはルーベンスの名画が含まれている。
かれはなんとか厳しいセキュリティを突破してそれら名画の数々を盗み出したいと目論むのだが…

伯爵はこの連作の中でもしばしばルーベンスを讃えるシーンがある。
輝く肌についての描写が特に素晴らしく、わたしなどは伯爵からルーベンスの絵の美についてレクチャーを受けた気がする。
作者の青池さんがルーベンスを特に好きなのかどうかは知らないが、伯爵がルーベンスのファンなのはとても素敵だった。
なおクラナッハの絵については伯爵よりむしろNATOの部長の表現が意識に残っている。
そしてどちらの場合も芸術オンチのエーベルバッハ少佐の「三段腹のおばさん」「エロチックな三人娘」という呼び方に粉砕されるのだった。

眠るふたりの子供 1612 -13 年頃  この絵はここ国立西洋美術館に収蔵されていて、以前から親しく眺めている。
むっちりしたほっぺの愛らしいちびっこ二人がすやすや…可愛いなあ。

ルーベンスは美女・英雄・聖人・貴人もよいが、実はクピドを含めた幼児がいちばん佳いのではないかと思っている。
あのむちむちした愛らしさにはこちらもついついニコニコしてしまう。
次の絵もそうだ。

幼児イエスと洗礼者聖ヨハネ 1625 - 28 年 ローマ、フィンナット銀行  これまた可愛くてならない。左にちびっこ聖ヨハネがいて、羊を捕まえている。それに向き合いながら羊を撫でるイエス。茶色の髪のヨハネと金髪のイエス。可愛いなあ。
きちんとちびっこ体型なのがとてもいい。

カスパー・ショッペの肖像 1606 年頃 フィレンツェ、パラティーナ美術館  男前だな、この人。ちょっと渡辺裕之にも似ている。
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ティントレット ダヴィデを装った若い男の肖像 1555 - 60 年頃  これもここの所蔵。改めて見たらこの男あれだ、ルパン三世に似てるな。

さてルーベンスのイタリアでの修行の成果というか、彼が何を見て学んだかを知る。
そう、彫像。三次元の理想的な肉体を表現したものにときめいて、それを二次元化することに努力したのだ。

ラオコーンの胸像をみてそれを熱心に模写するルーベンス。
その現物と模写とがある。
蛇に巻きつかれているラオコーンとその息子たち。

アグリッピナとゲルマニクス 1614 年頃 ワシントン、ナショナル・ギャラリー  珍しく男女の横顔だと思ったら、コインのそれと同じ様式なのだった。こんな所にもルーベンスの古美術勉強の成果がある。
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実はこの日のわたし、このアグリッピナと似たような髪型をしていたのだった。とはいえ髪飾りにパールは使っていませんが。

老人の頭部 1609 年頃 サンクトペテルブルク、エルミタージュ美術館  とにかくやっぱりルーベンスは力強いわ。
この絵がここに入った経由は知らないが、もしかするとエカテリーナ二世がじかに欲しがったのかもしれないな。

ルーベンス、ティツィアーノに基づく 毛皮を着た若い女性像 1629 - 30 年頃 ブリスベン、クイーンズランド美術館  眼の描き方がやっぱり違うね。そしてルーベンスもやっぱりお肌の大家!←なんだ? 素敵だ。
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ところでティツィアーノの肌表現について、以前記している。
ティツィアーノの描く膚から思い出すこと

それでルーベンスはこの素肌に毛皮の女にときめいたようで、この主題を多く描いたそうだ。
むろんティツィアーノには「毛皮を着たヴィーナス」があり、それといえばマゾッホの小説がある。
はっはっはっ みんないい趣味だなあ。
そういえば谷崎は素肌に毛皮の女は描いてたかな…
痴人の愛」のナオミは素肌を黒いマントで包んで、ぱっと開いて見せていたが。
いやいや、みなさん芸術さ。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオと工房 洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ 1560 - 70 年頃  この絵もここの所蔵らしいが、案外覚えていないな。好きな主題なのに。むっちりしたサロメがドヤ顔しつつ銀盆の上の生首を突出す。傍らのマントの侍女の方がその生首をじーっとみている。
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逸名の画家によるラファエロの模写、ルーベンスによる紙の付け足しと補筆 賢明 1540 - 60 年頃と 1609 年頃 エディンバラ、スコットランド国立美術館  ヤヌスのように二面ある女。若く美しい顔と爺のような顔と。その美しい方の顔をクピドらしきチビの持つ鏡に向けている。
ルーベンスは旧いスケッチに手を加えて自作とすることも多かったそう。

ルーベンス、アブラハム・ファン・ディーペンベークに帰属されるフランチェスコ・プリマティッチョの模写に基づく 身体を洗うオデュッセウス、テレマコスと牧人たち 1635 年頃 エディンバラ、スコットランド国立美術館  20年ぶりに帰宅するオデュッセウスとその息子。帰宅すると妻に言い寄る男たちを殺す。そしてなんだかんだとバタバタ。
こういうのをみるとやはり百合若大臣はオデュッセイが元ネタなのかと思ったり。

ルーベンスと工房 セネカの死 1615 - 16 年 マドリード、プラド美術館  2世紀のローマの彫像もあるので、それを参照にしていたかも。セネカはなかなか死なないので盥に立って血を…
ジイサンであっても素晴らしく立派な肉体。ルーベンスの筋肉主義、凄いなあ。

長くなるので一旦ここまで。
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