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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ムンク展に行った

ムンク展に行ったが、正直なところ「困った」。
物凄い人出で皆さんムンクの絵を見ておられる。
わたしもその仲間に入ろうと思うのだが、どうにもムンクのどこがどうよいのかが実は全くわからない。
これはもう随分前から明らかにしていることなのでこのブログをお読みの方には「ああ、はいはい」かもしれないが、わたしには明らかにニガテな画家がいる。
その一人がムンクなのだ。
日本では萬鉄五郎。どちらも配色や描写がニガテ。
なのでムンクの絵を熱烈に見ておられる皆さんに尋ねてみたい衝動にかられた。
それを抑えて作品の前に立つ。

ムンク展といえばブリヂストン美術館で開催されたムンク展に行ったのが最初だった。1989年11月。
当時、ムンクと言えば「叫び」くらいしか知らず、そこで「マドンナ」「吸血鬼」の連作を見て、非常に気持ち悪くなった。
わたしは吸血鬼といえばクリストファー・リーのドラキュラ伯爵に幼いころから恐怖を抱いており、この当時はまだ克服できていなかった。
そこへずらりと女吸血鬼が並ぶのを目の当たりにしたのだ。
マドンナもあれだ、なにか堕胎児の怨嗟の声が聞こえそうな絵で、そんなのがずらりとあるのは、幽霊画や妖怪画を見るのと違う厭さがある。
この展覧会でムンク=叫び、マドンナ、吸血鬼と気持ちのよくないものが三つ揃ったことになる。それに負けた。

「病める子」や「思春期」には惹かれたが、どちらにしろニガテ意識がとても強くなったのは確かだ。
それでもムンクを<観ること>が出来るようになったのは、これは間違いなく出光美術館のおかげだった。

1995年から2015年10月まで出光美術館・東京でノルウェー・オスロ市立ムンク美術館から毎年三点ずつの作品が展示されていて、それを見ることでだいぶ慣れてきた。
わたしは2006年の正月から東京の出光美術館に通うようになった。つまり十年間で合わせて30点のムンク作品を観るようになったわけだ。
内訳はこちら

中でも「夏の夕暮れの官能」と「殺人」はよかった。
よかったと書いたが、あまり「道徳的」ではない歓びがあった。
ムンク作品がナチスによって「退廃芸術」扱いされたのもわかるように思うのはこのあたりだ。

今回の展覧会はあれ以来ほぼ30年ぶりの鑑賞となるわけだが、わたしとしてはかなり構えての行為となった。

最初に自画像が延々と続く。
実在人物の自画像、肖像画はニガテだが、特定個人ではなくモデルがあっても主語が人でなく絵ならば平気だという難儀なところがわたしにはある。
どうもこれは安井曾太郎の描いた一連の肖像画がそうさせているらしい。

スペイン風邪の後の自画像 1919  よくまあ生き延びたな、とそっちの感想が先に出てしまうのには反省するしかない。
つまりこういうことを絵を見ながら考えてしまうので、自画像も肖像画もニガテなのだ。

ああ、やっぱり1920年代だ…
そう思わせてくれる色彩の肖像画もあった。
イメージ (1537)

こういう配色は好きだ。
それにしても度の肖像画も自撮りぼい風情なのだなあ。
肖像画のうちマラルメ、イプセンがけっこうこわいな…

病める子 この子の優しい眼がいただまれない、
イメージ (1532)
ムンクのおねえさん。少女のうちに死んでしまった。哀しい。

ニガテなものでも見ていくうちに「これはいい、あれは好み」というのが大体現れるものだ。
実際この記事に挙げている画像のいくつかはわたしの所有する絵ハガキなので、その絵ハガキを購入したのは、やっぱり惹かれるものがあるからなのだ。

ブローチ、エヴァ・ムドッチ 1903  綺麗な女で、バイオリニスト。ストラディバリの所蔵者。彼女に魅せられたムンクは、とても綺麗に描く。

夏の夜、人魚 1893 カラフルな石がいろいろ。こちら向きの女が人魚らしいが、奥にいる女たちには足がある。
アンデルセンはデンマークの人で、儚くも美しい人魚姫を描いたが、ノルウェイのムンクもスイスのベックリンもなんだか逞しい人魚を描いている。
イメージ (1531)

とか何とかいううちにとうとう「叫び」にきてしまった。
イメージ (1527)
色んなパターンがあるそうなが、この絵と写楽の「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」はみんな顔技やってしまうよね。
絶対する。わたしもやった。チラシを見ると黒柳徹子さんもしてる。やるよなあ、これは。

それで俯きながら次へ向かうと、今度は「絶望」と来た。
イメージ (1541)
いやいや、あかんでしょう。しっかりしないと。
帰宅してから気づいたが、この絵は以前に絵はがき購入していた。出光美術館で入手。

接吻 1897  開いた窓の前で裸で抱き合いながらしてますね。つまり見せてる・見せつけてるわけですね。はいはい。
…もっとスゴイコトヲシテクレ。

いよいよ「マドンナ」や「吸血鬼」がずらずら並ぶゾーンへやってきてしまった。
かつてほどの恐怖はないけど、まぁあまり気持ちのいいもんではないわね。
イメージ (1539) イメージ (1535)
どうしても端っこの赤子が堕胎された子供に見えて仕方ない。

そしてバンパイア
イメージ (1540)
「妖怪人間ベム」に出てきそうなんですよね…

緑の中の吸血鬼 これはあれでしょ、なんかヨーロッパ的ではないでしょ、この吸血鬼は。
イメージ (1534)
まぁ会いたくは、ないな。

愛情の縺れを描いた作品をいろいろみる。
別離 1896 男は心臓を押さえ、おんなはもう顔のない様子に。
別離2 1896  黒一色。こちらの方がいいな。ああ別れてしまったのだという納得がゆく。

女の髪に埋まる男の顔 1896  赤毛は淫らだとでもいうのか、わるく思われるようだが、それが魅力的でもある。
わたしはこれを見てて「聖闘士星矢」の黄金聖闘士のアクエリアスのカミュを少しばかり思い出した。

売春宿の情景がいくつか。淫売宿と言うほうがふさわしそうな感じもある。
要するに絵から臭いまで感じてしまうのだ。

マラーの死 1907  これもあれだ、事後のぐったりにしか見えない。全裸の女がこちらを向いて立ち、マラーは実はムンクと言う仕立てなのも面白い。

生命のダンス 1925 つよい色の取り合わせ。海に反映する月光が逆ⅰの字に見えて仕方ない。
イメージ (1529)
なんだかもう色々と人間関係のまずいのまで見えてきそうである。


再び肖像画。
ニーチェとその妹の肖像画がある。
兄の著作を宣伝し倒したのはいいが、色々やらかしたひとである。
「新ゲルマニア」の件と言い、難儀な話が色々残っている。
ムンクが何故彼らを描いたかは知らないが、そのあたりのことを聞いてみたいとは思う。

緑色の服を着たインゲボルグ  背景の緑と女の服とが区別がつかなくなりそうだが、素敵だ。
イメージ (1530)

青いエプロンをつけた二人の少女 1904-05  珍しいことにニコニコしている少女を描いている。山吹色に近い色がよく似合う。

並木道の新雪 1906  おどろおどろしい並木と消失点が気になる一枚…

黄色い丸太 1912  どーんと丸太があるのだが、どうもセザンヌ風なのが目立つ。

水浴する岩の上の男たち 1915  こちらもそう。主題もそうだし。

疾駆する馬 1910-12  走る!!人は銅でもいいが、走る!かっこいい。

太陽 1910-13 おおおおお。黄色く強い光があまねく降り注ぐ。
イメージ (1538)

そして晩年。
孤独と鬱屈が溢れていて、みていてつらかった…

庭のリンゴの樹 1932-43  まだまし。しかしナチスから退廃芸術だと見做されたのもわかる気がする…

なんというか、やっぱりムンクの本当の良さと言うものは多分わかっていないままだと思う。
隠しておきたいものを露わにされた感覚がつらいな。
でも見ておいてよかった。

1/20まで。
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