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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

知られざるドイツ建築の継承者 矢部又吉と佐倉の近代建築

佐倉市立美術館のチラシを見て、急遽行くことにした。
これを見て同時期に都内にいるなら、やっぱり無理算段して佐倉に…と思うでしょう、わたし。
イメージ (1566)
この佐倉市立美術館、千葉市美術館のさや堂、大阪の堺筋倶楽部などを設計した矢部又吉の展覧会。




デ・ラランデの設計を実際に施工したのが父・國太郎であることから又吉も大いに刺激を受け、建築家になった。
かれは英国ではなくドイツに留学した。妻木頼黄つまき・よりなか に学んだことも大きかった。
そのドイツで学んだことを日本で実践するのだが、師匠ともいえるデ・ラランデの導きで川崎財閥と付き合いが生まれ、そこから全国に展開する川崎銀行また川崎貯蓄銀行の設計を一手に担った。

イメージ (1567)

これまでにわたしは知らぬ間にいくつもの矢部又吉の設計した建物をみていた。
大阪の旧川崎貯蓄銀行は今では人気のレストランとなっている。


以前見学したまとめはこちら。
堺筋倶楽部 旧川崎貯蓄銀行 1
ここで使われている巻貝のような照明は富沢町の旧川崎銀行のとほぼ同形である。




内部の様子はこちらにまとめている。
千葉市美術館 さや堂ホールをみる。

この二日間で旧川崎銀行を3つ回った。
佐倉、千葉、富沢町である。














この照明が堺筋のとよく似ていた。

展示にはいくつものマケットがあった。木製、紙製など色々。よく出来ている。
特に装飾の部分は手描きなんだが、こういうのを描けるのはいいなあ。
古写真と模型があるだけでも「失われた建造物」の面影をしのぶことが出来るのはありがたい。

昭和初期の金融恐慌があるまでは順調に支店の数を増やし、後の日本興亜損害保険も設立した川崎財閥。
その銀行建築を一手に担い、各地に魅力的な白い銀行を作り続けたが、いい作品ばかりなので、今日にも少なくない数が残され、リノベされ使われているのは、まことにめでたい。
イオニア式の列柱、ジャイアント・オーダー、この様式の銀行建築は本当に素敵だ。
合併後の第百銀行の一連の写真もあり、中には絵ハガキも作られていて、往時の魅力を今に伝えている。

こういうのいいよなあ、というものがいくつもある中で、装飾の現物が現れた。
御影石製の外壁装飾。いい感じ。これは矢部自身の設計ではなく内井進という人のデザイン。
石がキラキラしている。
横浜で今も使われている建物の元々の一部。

他方、時代が悪化するにつれ、装飾もへる。モダニズムのさきがけのような外観の銀行が出てきた。
第百銀行出町支店 1940年の竣工で、他の銀行に比べてシンプル。現存しない模様。イオニア柱が可愛い。

銀行ばかりでなく商店建築もある。
特に泰明商会が素晴らしい。1930年。京橋にあったようだが、惜しいことに30年ほど前に失われた。

森市商店が面白い。構成主義的な外観である。
イメージ (1568)

どこか村山知義のバラック建築を思わせる装飾性がある。
ここは会社案内を見ると1919年に「欧米諸国より各種機械・化学材料を輸入する販売商社として合資会社泰明商会を創立。」というだけに、こうしたモダンさを求めたのかもしれない。

個人住宅も手掛けている。
現存する邸宅の現状写真を見て、その素晴らしさに感嘆の声が漏れた。
一般公開されていない邸宅写真だが、これが本当に素晴らしい。
浴室が時に好ましかった。
ステンドグラスとモザイクタイルと。
船、双魚、鹿、猿らしきもの…
イメージ (1569)

千駄木の島薗邸も矢部の仕事。第1・第3土曜日の11時~16時、入館料一般300円で一般公開中。
ここは行ってなかったので、年明けには行きたいと思う。

他に佐倉ゆかりの建築家の仕事が紹介されていた。
堀田家別邸、佐倉高校記念館などである。今では記念館は非公開らしいが、わたしは2001年に訪ねたことがある。
明治末の堂々とした建造物だった。

伊東忠太、安井武雄らのミニ特集もある。
震災記念堂とそこに取り付けられている鳥飾りの紹介がいい。
どうもここを訪ねるのに抵抗があって未踏、
安井は高麗橋野村ビル、日本橋野村ビルの資料が展示されていた。

とても見ごたえのある展覧会で資料も豊富だった。
図面もたくさん出ているが、本当にすばらしい。

12/24まで。


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