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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

石井林響展をふりかえる

「千葉に出づる風雲児」石井林響の生誕135年の記念展を千葉市美術館で見た。
石井林響はいくつか作品を見ていたが、全容を知ることがないので、今回このように大きな展覧会が開かれて、たいへんよかった。

イメージ (1635)

わたしの知る彼の絵はこの「童女の姿となりて」である。
ヲウスノミコが熊襲のもとへ潜伏し、叔母の倭媛より賜りし装束を身につけて美しい少女の姿となる。
その様子に熊襲尊兄弟は喜び、油断し、夜半かれらは先の偽美少女に襲撃されて命を落とす。
熊襲兄弟は絶命寸前にヲウスノミコに名を贈る。
彼はそれで「ヤマトタケルノミコト」となる。
古事記では「倭建命」、日本書紀では「日本武尊」と表記されている。
この絵は随分以前に明治神宮宝物殿でのヤマトタケルの展覧会でみている。
ヤマトタケルが好きなわたしとしては嬉しい始まりだった。
イメージ (1636)
青銅鏡や衣裳の文様、装飾品も素敵だ。

20世紀初頭というより明治30年代、日清戦争で勝った勢いを忘れられず日露戦争に向かった日本では、日本神話をモチーフとした作品が多く作られていた。
時代背景と「何を描くか」ということは複雑に絡み合う。
以前奈良県立美術館で「神話-日本美術の想像力- 」展があり、その出品策を見ながら色々と納得がいった。
当時の感想はこちら
そこにも「童女の姿になりて」がある。

初期の林響は天風という雅名を用いていた。

二枚の「霊泉」がある。日露戦争の頃とその後。
霊泉ノ図  額にサークレットをする、中世的な胸乳の美、比礼を泉に浸し、そのしずくが落ちる様子、水面の波紋は大きい。
霊泉  天女が美しい胸を羅で隠す。
少しずつ違うが、どちらも明治の「日本神話」の美がある。

また、1908年の「観音」もこの仲間だと言える。
やや幅広の顔、窟の内で金の蓮に乗る観音。神話から仏教に変わっているが。

梅の古木にもたれる羅浮仙女の絵もいい。ややきついめの顔立ちをみせる。

木華開耶姫 1906
イメージ (1646)
後の胡散臭い男は天孫降臨してきたニニギで、一晩で身ごもった彼女をいぶかしんでいるところだと思う。
違うとすれば、女を値踏みしているところか。
姫は潔白を証明するためにこの後とんでもないことを決行する。

ここまでは神話などからの美人も多いのだが、実はこの先からは美人が全く出なくなる。
最初の頃にこういう古いタイプの美人・美少年を見たので期待するのだが、あとはもう本当にそういうのが無縁となる。
丁度竹内栖鳳の「絵になる最初」「アレ夕立が」の二点だけ見て美人画家なのかとついつい勘違いてしまうのと似ている。

寒山拾得、蝦蟇仙人、東方朔、弘法大師…こういうのが少なくない。
黄初平もじいさんとして描かれていた。

王者の瑞 キリンをモデルに麒麟を描くというのも他にはいないな
イメージ (1642)

イメージ (1640)

ところで石井林響は小鳥好きだそうで、絵にも可愛いのがいくつかある。
雀、可愛いなあ。

だんだんと画風が変わってゆく。
大正になった。

イメージ (1639)

南画へ向かい始めている頃のを見るのは面白かった。
キモチが明るくなったような感じがする。
旅先の風景の良さに感銘を受けてえがいた三部作がいい。
イメージ (1643) イメージ (1645) イメージ (1644)総南の旅から  ・砂丘の夕・隧道口・仁右衛門島
千葉県なのかな、どこだろう。
隧道口をよくよく見る。
イメージ (1641)
働くおばちゃんたちのほっと一息タイムでした。


この虎もいいなあ。
イメージ (1647)
南画を描く方向へいってから、融通無碍な感じになり、心の自由度が高まって行ってるようだった。

林響が一時所有していた清朝初めの石濤の「黄山八勝冊」が出ていた。
これは今では泉屋博古館の本館に所蔵されている名画。
石濤の作品の良さを知ったのは泉屋博古館のおかげだが、そこからわたしも少しずつ南画のよさがわかってきたような気もする。
イメージ (1648)


戯画な雰囲気のものも出てきた。
兎月図
イメージ (1637)  イメージ (1638)
いいなあ、段々と気分もライトになってきたみたい。
そしてこの鍾馗もいい。獅子がまた可愛いし。

のびやかな心持が絵に表れている。
南画っていいなあ。
初めてそんな風に思えた。

いい作品をたくさん見せて貰えてよかった。
もう終了したが、見に行けてわかった。





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