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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「モダン都市大阪の記憶」を楽しむ その2

続き
イメージ (1797)

明治24年1月、難波新地の阪堺鉄道停車場前にパノラマ館開館。
中では「セダンの戦い」という外国の戦闘シーンが360度パノラマ展開されたものがみれるようになっていたそう。
これについてはこちらに年譜や資料がある。

27年には今の日本橋辺りの有宝池眺望閣(通称ミナミの5階)が完成。これは浅草の十二階より早い。
そしてキタの9階こと凌雲閣も今の茶屋町辺りにあったそう。
昔は高いものがなかったのでそれこそ「見晴るかす」のもエエ建物でした楼。←ろう。
画像や詳しいことはこちらのサイトに。

こうした古写真はデジタルアーカイヴにもあるので助かる。
そしてその眺望閣から見える周辺を描いた絵図がある。桜で囲んだぁる。
高津、真田山、一心寺が下に、左には住吉っさん、海。右に中之島、前に天保山、遠くに六甲。

これで思い出すのが小出楢重の随筆で、ここではキタの9階、ミナミの5階の紹介があった。

「私の子供の時分には、大阪に二つの高塔があった、これは天王寺五重の塔とは違って、当時のハイカラな洋風の塔であった、一方は難波なんばにあって五階であり、一方は北の梅田辺あたりと記憶するが九階のものだった。九階は白き木造で聳そびえ五階は八角柱であり、白と黒とのだんだん染めであったと思う。私は二つとも昇のぼって見た事を夢の如く思い起す事が出来る。」

小出は案外遠見するのが好きらしい。
こんなのもある。

「私は子供の如く、百貨店の屋上からの展望を好む。例えば大丸の屋上からの眺めは、あまりいいものではないが、さて大阪は驚くべく黒く低い屋根の海である。その最も近代らしい顔つきは漸く北と西とにそれらしい一群が聳えている、特に西方の煙突と煙だけは素晴らしさを持っている。しかし、東南を望めば、天王寺、茶臼山、高津宮、下寺町の寺々に至るまで、坦々たる徳川時代の家並である。あの黒い小さな屋根の下で愛して頂戴ねと女給たちが歌っているのかと思うと不思議なくらいの名所図会的情景である。ただ遠い森の中にJOBKの鉄柱が漸く近代を示す燈台であるかの如く聳えている。
 大阪の近代的な都市風景としては、私は大正橋や野田附近の工場地帯も面白く思うが、中央電信局中之島公園一帯は先ず優秀だといっていい。なおこれからも、大建築が増加すればするだけその都会としての構成的にして近代的な美しさは増加することと思う。ただあの辺あたりの風景にして気にかかる構成上の欠点は、図書館の近くにある豊国神社の屋根と鳥居である。あれは、誰れかが置き忘れて行った風呂敷包みであるかも知れないという感じである。」


この塔も今から思えばそない高いわけでもないが、上った人らはそれこそ「わぁい」だったでしょうなあ。
そうそう、こんな戯れ唄も大阪には昔からありました。

「お母ちゃん、ダイヤモンド買うてんか」「ダイヤモンドは高い」「高いは通天閣」「通天閣はこわい」「怖いは幽霊」「幽霊は消える」「消えるは煙」……

まあ地域により歌い手により歌詞も変わるが、大体は「ダイヤモンドは高い」から始まるもんです。そして「通天閣は高い」が入る。
つまりそれだけ人々の意識に通天閣の高さと言うのが浸透していたわけですな。
その通天閣の話はまた後ほど。

ところで大阪には大昔も大昔、物凄く高いものがあった。
それは何かというと、古事記に出てくる後に「枯野」と呼ばれることになるもの。
仁徳天皇の御代にあった巨木の話。

「この御世に、冤寸河の西に一つの高樹ありき。その樹の影、且日に當たれば、淡道島に逮び、夕日に當たれぱ、高安山を越えき。故、この樹を切りて船を作りしに、甚捷く行く船なりき。時にその船を號けて枯野と謂ひき。故、この船をもち旦夕淡道島の寒泉を酌みて、大御水献りき。
この船、破れ壊れて塩を焼き、その焼け遺りし木を取りて琴に作りしに、
その音七里に響みき。ここに歌ひけらく、
枯野を 塩に焼き 其が余り 琴に作り かき弾くや 由良の門の
門中の海石に 觸れ立つ 浸漬の木の さやさや
とうたひき。こは志都歌の歌返しなり。」

武田祐吉訳のを挙げる。

「枯野からのという船  ――琴の歌。――
 この御世にウキ河の西の方に高い樹がありました。その樹の影は、朝日に當れば淡路島に到り、夕日に當れば河内の高安山を越えました。そこでこの樹を切つて船に作りましたところ、非常に早く行く船でした。その船の名はカラノといいました。それでこの船で、朝夕に淡路島の清水を汲んで御料の水と致しました。この船が壞れましてから、鹽を燒き、その燒け殘つた木を取つて琴に作りましたところ、その音が七郷に聞えました。それで歌に、

船のカラノで鹽を燒いて、
その餘りを琴に作つて、
彈きなせば、鳴るユラの海峽の
海中の岩に觸れて立つている
海の木のようにさやさやと鳴響く。
と歌いました。これは靜歌(しずうた)の歌い返しです。


枯野も朽ち、キタの9階、ミナミの5階も今は遠い夢のような話だが、大阪にはあべのハルカスという日本一高いビルがあるのだった。


第五回内国勧業博覧会は大阪が舞台で、天王寺公園で開催。
それでエッフェル塔+凱旋門のイメージで作られたのが通天閣。
けっこうなことです。
この時と聖徳太子1300年遠忌で四天王寺が新しい鐘を鋳造したそうな。
当時の博覧会のガイドマップには「九龍噴水」と四天王寺の鐘とが描かれている。
なんやかんや言うても大阪の人間はまだまだ根には信仰心があったので、寄付もようけ出したようです。
その当時「世界一大きい」鐘やと認定されたらしい。
二丈六尺・厚み二尺二寸・周囲五丈四尺・4200t。
なんちゅう大きさでしたろう。そしてこの鐘は昭和になってから戦争の為に供出されて溶かされて帰ってこないのです。

またまた脱線するけど横溝正史「獄門島」は島の寺の鐘を供出したのが返ってくることで条件がそろい、恐ろしい計画が発動してしまうのでした。

博覧会の紹介で面白いのがあった。
どうぶつ園と動物館の違い。前者は今の天王寺動物園でつまりZOO。
後者は家畜品評会などを催す場所。納得はしたが、実際のところ見たこともないので「そうなのか」くらいしか思わないが、この博覧会はそもそも「内国勧業」だから、遊ぶのと経済の発展と二つの方向があるのだ。

動物園の案内図がある。結構シリアス系の絵で鰐・トラ・ゾウ・蛇・亀・リス・ヤマネコ・ジャワ蜥蜴などが描かれ、しかも難しい漢字を当てていたりする。
枠外にはそれぞれのどうぶつの説明が記されているので、博物誌風な感じに仕上がっているのもいい。
江戸時代の大阪には「知の巨人」と讃えられる木村蒹葭堂もいたが、かれの時代にもしこの博覧会が開催されたなら、総合プロデューサーとして活躍したかもしれない。

木村蒹葭堂の昔からこの地にはとんでもなく優秀な頭脳の人間が生まれることが多い。
小松左京、手塚治虫、司馬遼太郎、開高健……
現代は――… 

戯画や風刺画の集まった「大阪パック」の展示もある。
「東京パック」と仲間の本。これが戯画な表紙絵が楽しい。
花の雨に泣く大佛、人絹vs天絹を擬人化した二人お絹の争いなどなど。

イメージ (1798)

大大阪時代はやはり何というても御堂筋の開通。
地下鉄もモダン都市の象徴。
そして心斎橋大丸は紛れもなくモダンだった。
だから大丸をモチーフにした数々のものが作られた。

大丸を中心としたメリーゴーラウンド、大丸遊覧双六、梅田から心斎橋大丸までの立版古
大丸のパンフも素敵だ。

ところで三越のパンフなのだが、この下の画像は以前に手に入れたもので、非水の絵だとあるが、前掲のチラシは霜鳥になっている。でもこれは非水の絵のはず。
イメージ (1123)

神戸や大阪で活躍した田村孝之介も雑誌表紙に素敵な女性像を描いた。
わたしは田村の挿絵も好きだ。

それで驚いたのが1936年、大阪で刊行された雑誌「粋」の編集長は女性だった。
今の時代ならともかくあの時代になあ…びっくりした。
そのまま平和が続いていたらよかったのに。

大阪は「そこまでするのか」な看板がミナミを中心にたくさんあるが、昔も実は目立つ看板が少なくなかった。
現存するのかどうか知らんが、小出楢重の実家の薬舗の看板は亀で、火事が迫ってきたとき水を吐いて店を守ったという伝説もあった。
あの看板は小出の本によると市立博物館に寄贈したらしいが、昔々わたしが尋ねたところ「いやーわからんわー」とのことだった。
なんしかあまりに歳月がたち過ぎているしなあ。

菅楯彦 天狗の履物屋  この看板を描いたのがまた面白い。面白いから菅も描いたのだろが。
後年、鍋井克之もそれについて書いている。

をぐら屋ビルディング ここは当時とてもおしゃれな場所だった。
ここについては美留町まことさんの「ぶらり近代建築」が詳しい。
こちら

丹平ハウスの紹介も少しばかり。ソーダファウンテンが素敵だ。

映画のポスターもある。
新世界松竹座ポスター
マダムサタン」1931 いかにも1920―30年代のレトロモダンなカッコ良さがある。
監督はセシル・B・デミル。戦後には「サムソンとデリラ」がある。

フーマンチュー博士の秘密」 凄いな、忘れてた。謎の中国人。

千日前楽天地ポスター
「乃木大将」と「高橋お伝」の二本立て!これはなにかあれかな、ブラックジョークか?

さて昔は大阪の芸妓さんたちはそれぞれ踊りを披露していた。
南地の芦辺踊、新町の浪花踊、堀江の木の花踊などなど。
その写真がなかなか素敵。
手彩色なのかコダックぽいような色にも見える写真がグラビアに載っている。
中でもすごいのが、孔雀のコスプレをした舞妓。
緑の孔雀の衣裳が素晴らしい。


版画が並ぶ。
川瀬巴水、徳力富吉郎、神原浩…それぞれの個性がよく出た素敵な大阪をモチーフにした風景版画。
こういうのを見るとますます近代版画の良さに惹きこまれる。

ところで大阪人は芸術活動は仕事の片手間にするヒトが少なくなかった。
玄人はだし、というところでとどめて、プロにはならず、あくまでも素人だという節度の見せ方をした。
本業の傍らにこんな楽しい活動してます、というのがそれ。

「宝船」をテーマにしたすりものなどを見ると、当時の大阪の趣味人たちの楽しみ方がよくわかる。
イメージ (1861)
澪標に難波橋のライオンさんがいる宝船の図。

他にも桃太郎の船、エジプト壁画の船、ガレー船などなどがあった。
これをみんなで頒布したり交換したりして楽しんだのだ。

遊び心は無限。
しかしあくまでも「遊び」の範疇にとどめてしまう。

世界にたった6台しかなかったカール・ツァイスのプラネタリウム。
これが四ツ橋にあった大阪電気科学館に設置され、多くの人を楽しませてくれた。
わたしも廃館になるまで何度か見た。
泣ける…
このプラネタリウムについて今江祥智が「ぼんぼん」か「兄貴」に書いている。
戦時中に兄弟がここで今後の相談をするのだ…

色んな紹介がある。
美津濃が出してたベースボールニュース、新大阪ホテルの豪奢な宣伝などなど。
コメディマンガ「滑稽マンガ 大阪見物」千葉かずのぶ これも好きだ。とても楽しい。

ああ、面白いものをたくさん見た。
橋爪先生の個人コレクションの膨大さに感嘆するばかりだ。
大阪よ、もう一度モダン都市であったころを思い出せ、知れ、実行せよ。
4/7まで。

最後に北野恒富の美人画を
イメージ (1866)
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