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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ギュスタヴ・モロー展をみる

ギュスタヴ・モロー美術館の所蔵品展が汐留美術館で開催されている。
汐留ミュージアムが名称変更してパナソニック汐留美術館になったのだ。
ここで6月まで開催され、7月からはあべのハルカス美術館に巡回する。
早く見たいと思ったので、わたしは汐留でモロー展を見た。
イメージ (1894)

パリのギュスタヴ・モロー美術館には一度だけ行った。
そもそもパリに一度しか行っていない。その時の目的の一つがここへ行くことだった。
モローがいつから好きになったかははっきり覚えている。高1の時だった。
友人が学校行事で高野山に数日間読経しに行って、土産にモロー「雅歌」の絵ハガキをくれたのだ。
何故高野山のショップにモローの絵ハガキがあったのかは知らない。
だが、この時の感激は今も身の底に活きている。
あれからずっとモローが好きだ。

そして1988年、当時のわたしにはとても痛かったが、大岡信がギュスタヴ・モロー美術館の所蔵品を中心とした「夢のとりで」を刊行したとき、ふるえながら購入した。
素晴らしい本だった。
イメージ (1897)
今もそうだが、やはりモローのサロメにつよく惹かれる。


汐留では以前に「モローとルオー」展を開催している。
当時の感想はこちら
その時にモロー先生が生徒ルオーに対し優しい愛情をみせていたことを教わった。
モロー先生は実に多くの生徒を育てた。
中で最も有名なのがそのルオーとマティスとマルケだが、他にも随分多くの生徒がいる。みんながルオー先生の生徒であった。
学校で教えたから、と言うだけでなく、モローは「教師」として素晴らしい人だったのだ。
自分の作品は頑なにその世界観を守り抜いたが、生徒たちには全く押し付けず、彼らの個性に合わせた作風が生まれ、育つのを支援した。
この教室からフォーヴィズムの作家たちが生まれたというのが、実は凄いことなのだ。

イメージ (1896)

この展示を見終えてツイートしたのがこちら。


パリを再訪するのは現状不可能なわたしだが、この展示のおかげで様々なことが思い出された。


少し中央の合わせが重なったが、パリのモロー美術館の階段。
イメージ (1898)イメージ (1899)
川田喜久治の撮影。
蠱惑的な美がモノクロ写真の中に生きる。
これは展示品ではない。

1. モローが愛した女たち
モローの人気が高まって研究も進んで、彼に長年のパートナーがいたこともはっきりした。
母親をとても大事にしていた彼だが、結婚はしなかったとはいえ特定のパートナーがいて、最後まで仲良くしていたというのがいい。
パリでは事実婚が多数を占めている。
いつからそうなのかきちんと調べていないが、事実婚で生涯を終える人も昔からいたに違いなく、そうした下地があるから現代もその選択が出来るのだ。
とはいえ、モローの母とパートナーとの関係性を見ると、ドイツのケストナーを思い起こさせもする。
かれも随分な母孝行の人で、作品に随所にそうした描写も出ている。
昔からこういう人もいるのだ。
ひとくくりにしてはいけないが、そんな理解がある。

ここではモローの愛した現実の女たちの資料が出ている。
非現実の、物語の女たちは別な章で妖しく微笑んでいる。

母ポーリーヌの肖像画はリアルな描写だった。美化はしていないようだ。
二枚の肖像があるが、明らかに経年変化を見せている。
老眼鏡、小鼻のくっきり感。老齢女性の横顔である。

母に対してモローは自作の詳細な説明を書き送っている。
絵描きなのだから絵を見てもらえれば一目瞭然ではないのかと思うが、色々と事情があり、絵ではなく、絵の様子を文章で表現する方法を選んだ。
これが実はモロー芸術の秘密を知る最大の資料でもあった。
どういった意図でその表現を選んだか・色彩の理由も何もかもを書いている。

観客であるわれわれはモローの絵に魅惑されるばかりだが、研究者は更にその魅力の根源を調べる仕事がある。その仕事をやりやすくするのがこの手紙なのだった。
これを見て思い起こすことがあった。
「ボールルームへようこそ」という社交ダンスを素材にしたマンガがあり、この中で主人公・多々羅少年は目の悪い祖母にTVの内容をいちいち解説する。解説することで客観的な視点が彼に具わる。それがダンスに生かされるのではないか、といった期待がある。
モローは「作者による自註解説」で、こちらは少年が自分の見ている物を祖母に説明する状況だが、「他者に伝える」工夫を凝らしている、という共通性がある。

モローの使用したパレットがある。35 × 29 木製  このパレットに残された絵の具の様子が、まるでドガの描く踊り子のいる様子に見えた。
こうした錯覚は面白い。パレットからその画家の作風を推定も出来るようだが、このように全く違う作家を思わせるものもあるのだ。
そしてパレットと言えば、梅原龍三郎と高峰秀子は仲良しさんで、梅原のパレットを貰った彼女は自宅にそれを梅原の仏壇として飾っていたそうだ。旦那さんと一緒に先生のパレット を拝む日もあったろうか。

ところでこの後に年譜を読んで知ったのだが、モローはドガと仲良しさんだったそうだ。
そうだったのか、なにかとても嬉しい気がする。


イメージ (1895)
上から「出現」
下左から「モロー24歳の肖像」、「アレクサンドリーヌ・デュルー」=かれの長年の恋人、「一角獣」

雲の上を歩く翼のあるアレクサンドリーヌ・デュルーと ギュスターヴ・モロー  可愛い絵がある。
大事にしていたのだね、仲良く。よかったよかった。
モローはお墓のデザインもした。ギュスターヴ本人、父ルイ、母ポーリーヌの墓と アレクサンドリーヌ・デュルーの墓、そのための習作とがあった。同じデザインの文字違い。
哀しいが、いい話である。


さてサロメ。
イメージ (1905)
この表情。サロメの激情。

様々な絵を描き続けた。早い時期に描いたのを晩年に手を加えたものもある。
同工異曲もある。とてもサロメに惹かれていたことがわかる。
ヨカナーンはサロメを拒絶したが、モローはそんなサロメに恋していたのかもしれない。

洗礼者聖ヨハネの斬首   二点来ていた。どちらも少しずつ違う絵。サロメの眼が絵によって変わる。
眼は心模様をあらわす。
サロメの眼の表現の違いにより、それぞれの絵でのサロメの心情を想う。

踊るサロメ、蓮の花を振りかざすサロメ、立ち尽くすサロメ…
様々なサロメがいる。

この章だけでも本当にサロメに溺れた。
そしてサロメだけでなく、その周辺人物の絵もある。
刑吏のための上半身の男性モデル (《ヘロデ王の前で踊るサロメ》に関わる習作)  陰惨な風景の中の、没個性でありながら重要な人物。

ビザンチン式の建造物、ドレス、西洋人から見たオリエントを思わせもする様相…
どの絵も全て魅惑的だ。

最晩年の描きくわえられた白線もまた魅力的だ。
柱飾り、サロメの身体にもその絵が入る。魔の像、謎の神。そしてそれらが却ってこの場から現実感を奪うことになる。
しかしその「現実感」は我々側の物ではなく、サロメのいる世界での現実なのだ。
この白い線描が入ることでサロメと生首と魔の像だけが生命を持って動いている…

この状況は「イデオン」にもあった。表現は逆だが。人々の動きが壁画のようになった中、幼児だけが動く…

3.宿命の女達
ここに集められた絵を見ると、実に多くのファム・ファタールがモローによって形を取られていることを知る。

トロイアの城壁に立つヘレネ  顔はない。遠くに血のような夕日。ヘレネーは石塔の上に立つ。その段下には折り重なる死者たちの群れ。
彼女の気まぐれがトロイア戦争を引き起こし、多数の死者を生み出したのだ。

ヘレネ  こちらの絵では豪奢な毛皮を身にまとっていた。柱の側にいる彼女はしかしここでも顔は見えない。
山岸凉子「黒のヘレネー」はヘレネーのひどい性質がよく描けていた。それ以来どうしてもヘレネーには同意も何も出来ない。

メッサリーナ  これもまた酷い女だ。赤いマントを持ち、艶めかしいポーズをとる。目のみが映るが、わるい性質が感じ取れる。
他にも二点あるが、いずれも悪行を楽しくやるようなところがみえる。

デリラをはじめ男を惑わせようとする女たちが現れる。
個人としての男をたぶらかして破滅させる分には別に構わないが、自分の享楽のために無関係な他者まで苦しめるメッサリーナやヘレネーはいやだ。

スフィンクス、オルフェウス、メディアといったギリシャ神話に登場するモノたちが現れる。
無惨な最期を約束された者たちを思いながら絵を見るのも実は愉しい…
クレオパトラも何点かある。その妖艶さ。小道具もいい。

4.一角獣と純潔の乙女
前章とは違う「無垢」の象徴たる存在を描いたものを集めている。
ファム・ファタールだけでなく、こうした絵もまた魅力的だ。

「優雅なる冷酷」という言葉を思い出した。
この言葉はチェーザレ・ボルジアへの言葉だが、モローの仕事にもあたると思う。
特にファム・ファタールたち。

とてもよいものを見た。
6/23まで。

次の大阪も楽しみだ。



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