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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「阪急沿線むかし図絵 大正・昭和のゆめとまち」は楽しいぞ

既に終了したが、逸翁美術館で池田文庫ポスターコレクションの展示があった。
表題の通り「阪急沿線むかし図絵 大正・昭和のゆめとまち」展である。
イメージ (2031)

会期中二度ばかり行った。
行ったのに感想をまとめられなかったのは、映像資料「阪急王国」と「楽しさのバラエティ王国 宝塚ファミリーランド」があまりに良すぎたせいだった。
特に後者は今は亡き宝塚ファミリーランドの映像なので、わたしがグニャグニャになるのも当然だった。

1935年の「阪急王国」という映像資料を見る。
つまりその当時既に開業していた阪急沿線の紹介。
この時代はうちの祖父母の若い頃。

梅田から始まる。
チケット売り場の様子。
少女歌劇「ジョコンダ姫の扇」看板がみえる。
阪急百貨店。マネキンの群れが一斉に同一方向を見る。
懐かしいレジスター。
昭和初期の阪急文化がこうしたところからも伺える。
五階売り場を経て食堂へ。
映像には出ないが、阪急百貨店の大食堂は色んな新発売があったのだ。
画面に中山太陽堂の「クラブ白粉」の宣伝も見えた。

宝塚線。
十三大橋をはじめ淀川を渡る橋の形の美しさが捉えられている。
今も変わらない魅力。

十三では名題の今里屋久兵衛の看板。
今これ書いてて初めて知ったが、2009年に移転してたのか…
ここで1727年から開業していたというのに。
いやそれどころか閉店していたのか…
十三で降りることがほぼないので知らなかった。

服部天神、曽根の萩の寺の参道などは住宅が増えた今も案外変わらないが、蛍池の円満寺いうのは知らない。
でも調べると七福神めぐりのお寺の一つだった。
自分が行かないと知らないものだなあ。

箕面。早速箕面名物紅葉の天ぷらを拵える風景が映る。わたしも大好き。もみじを基礎にした甘めのフリットということかな。
胡麻ふってあり、形も紅葉のまま。
そして水量豊かなかつての箕面の滝。江戸時代には谷文晁も来たし、大正はじめには野口英世も母を連れて遊んでいる。

能勢妙見山。こここそ北摂の小学生の必ず行く遠足場所だった。
今は知らないが、この映像から40年ほど後の時代でもそれは変わらない。今もいいところ。
なつかしい能勢のケーブル。
そして多田の満願寺、聖武天皇勅願の寺。
安産祈願の中山寺、かまどの神様の清荒神…
お地蔵さんにお水をかける風習は今も変わらず。

やがて宝塚。
武庫川をはさんだ先の宝塚温泉の大きな旅館が並ぶ様子もいい。
歌が脳内再生される。
「おお宝塚」
小さな湯の町宝塚に 生まれたその昔は
知る人もなき少女歌劇 それが今では
青い袴と共に 誰でも皆知ってる
…この歌は1930年なので既に歌は歌われている。

宝塚ファミリーランド。
少女歌劇、遊具、どうぶつえん…
映しだされた歌劇の演目はどうも都踊りふうなものだった。

どうぶつえん、遊園地の様子が映る。
園内の汽車乗り場、ゴーカート、ミニ飛行機、ライオン、カンガルー同士のパンチ、ミニ観覧車…
自力で動かせる丸太の上での攻防、ボートなどなど。

そして巨大な宝塚新温泉。ここは昭和末まで無料だった。
わたしもよく入ったなあ。
今の大劇場の場所。
グラウンドでは甲南vs浪高の野球。

ファミリーランドから離れて南口へ。
立派な宝塚ホテル。かつての方が大きいのか。

神戸線。
六甲山のケーブル、摩耶山の凄い石段…そうだ、ここは摩耶夫人を本尊とするお寺・忉利天上寺のあるところ。
空海が開いた。1976年に放火で失われたのが無念。今は少し離れて新しいのが建てられている。

天六の駅ビルの様子も映り、とてもいい内容だった。
この頃はまだ京都線は実質なかったので、映像にも出ない。
しかし宝塚線を見るだけでも楽しくて仕方なかった。
先祖代々この地に住まうからかもしれないが。
ああ、素晴らしき「阪急王国」でした。


次に「楽しさのバラエティ王国 宝塚ファミリーランド」1978年のカラー映像を見る。
この時代、実際に何度も宝塚に遊びに行ってたので、正直な話ノスタルジーに噛まれて涙ぐんでしまった。

まず大劇場でのラインダンスから。
この当時の宝塚歌劇は「ベルばら」「風と共に去りぬ」などで空前のヒットを飛ばし、非常に多くの観客動員があった。
今もその前も人気だが、この時の爆発的な大ヒットで全く歌劇を知らなかった層にまで宝塚が浸透したのだ。

フレンチカンカンがにぎにぎしい。
そして画面変わり宝塚ファミリーランドの簡単な図割が現れた。
中央に歌劇。その周囲に時計回りで植物園、どうぶつえん、新温泉、アドベンチャーなどが配置される。
実際にはちょっと違うのだが、こうすることで大まかな住み分けがわかる。

宝塚動物園の人気コーナー、ピンクフラミンゴの登場、ファミリーランドのジェットコースター、武庫川での足漕ぎボート、林、そしてキリンのアップ。
キリンはなんとカフェの窓と同じ高さに位置していた。
このカフェのことは知らなかった。当時大人だったら行ってたなあ。

猿山、ゾウ、アシカ、カバ、アルマジロ。
賑やかな動物園。わたしがいちばん親しんだ動物園はこの宝塚動物園だった。

夜行性のどうぶつも見る。そうそう、暗い中を歩いた。
蝙蝠が可愛い。

広い園内を動くモノレールも映る。このモノレールは小1の遠足で乗って以来、ついに二度目はなかった。
大きな温室、その池のほとり、蘭や紫陽花が咲きこぼれる。チューリップも群れで咲く。
花時計の前で笑う娘さんたち、もう40年以上前の姿。
ケーブルカー、電車館、プール。
電車館に展示されていた模型が今回いくつか展示されていた。
こちら。


糸人形の紹介がある。雰囲気としては結城座風。しかしすぐに変わってメルヘンチックに。
特別展「ギリシャ彫刻」展が映る。大理石の麗しい彫像が会場の中に点在。
あ、ここって夏になると「ゲゲゲの鬼太郎」ショーとかお化け屋敷になってたところやないかな。
昔はこんな展覧会もあったのか。

いよいよ大人形館「世界は一つ」へ。
わたしの知る限りここは二度ばかり中身が大きく変わっているはず。
リニューアルも色々しテコ入れしていたのだ。
わたしの撮った画像を集めたのはこちら。
懐かしの宝塚ファミリーランド 人形館「世界は一つ」 その1
あとその2と3が続く。
そしてなんと!調べたらつべに1991年当時の「世界は一つ」の映像が挙がっていた。
こちら。めちゃくちゃ嬉しい。


話を戻し、1978年の「世界は一つ」へ。
フレンチカンカン、不思議の国のアリス、シンデレラ…
物語性のあるものを採り入れていた時代もあったのだ。
ちょっと思い出せない。

こことはまた別なのかそれとも同一なのか、糸操りのジャングル大帝が出てきた。
レオやどうぶつたちのいるジャングルが再現されている。
と見ていたら、席ががくんがくんと動くので、これはきっと別なやつだなと。
昔たしか後ろ向きに動く座席で人形の物語を見るのがあった。
語りは宝塚の生徒さんだったぞ。これはあれかもしれない。
ここは後に違う建物に変わった。遊具ではなく…

ファミリーランドにもお化け屋敷はあった。
ふんわりした「妖精館」。おじさん妖精が窓を開ける。

乗り物が動く。
存外スピーディで角度も急な二人乗りミニジェットコースター・マッドマウス、長く走るジェットコースター、水ざばーーーーんの急流すべり、ゴーカート、水上のゴーカートもある。
メリーゴーラウンド…

家族連れがスキマスキマでお弁当を食べる。お花見もする。
そして歌劇内のロマンティックなレストランも映る。
わたしはここで何を食べたかなあ…

うちのパターンは夕方から宝塚で遊んで温泉に入り、その後に梅田に出て新阪急ホテルのバイキング・オリンピアでごはんという決まりでしたわ。
これは両親とではなく、オジと祖母と妹となの。


良すぎて涙出そう…
なお、こちらは最後閉園する前の撮影。
思い出の宝塚ファミリーランド


一つ惜しいと思ったのはスペースコースターの紹介がなかったこと。
1978年にはまだできていなかったように思う。
あれは宇宙空間を旅する心持になって本当に楽しいコースターだった。
屋内型のコースターで一番面白かった。BGMもよかったしね。
そして乗り終わってホームへ戻る=地球へ帰還。
そこには全体の模型が設置。
途中一度だけガクッとなる演出もあり、重力がかかるというイメージがあったり。
ああ、楽しかったなあ…

そして宝塚歌劇。映ったのは「風と共に去りぬ」「紅はこべ」などだと思う。
その当時の懐かしいスターの皆さん…

最後には航空からの映像。
さよなら、宝塚ファミリーランド…


ポスターをみる。
今回実は展示ポスターが阪急アーカイブの番号付けされているのを見て、すごくうれしかった。
こちら。
イメージ (2035) イメージ (2036)

イメージ (2037)

今後はこれで検索しやすくなるなあ。

なお番号が紐づけされていないのもある。
それらを少しばかり紹介する。

三宮サービスステーションでは「孔雀夫人」ウォルター・ヒューストンの映画ポスターがみえる。
これは1937年の映画
少女歌劇は「光は東方から」
タイトルを見るだけでときめく。




思えば阪急沿線だけで充分楽しめるようにできているのだ。
逸翁小林一三はやはり偉大だ。
わたしはたまたま東京やミナミにも出かけるが、宝塚沿線の住民はよそに出る必要性が実はあまりないのだ。
実際同僚Nは買い物は全て阪急百貨店で済ましている。スーパーも近所のところ。
何かあれは新阪急ホテル。
わたしはたまたま展覧会が見たい、建築が見たい、うろうろしたいという欲望があり、それで外へ出てしまうのだった。

イメージ (2020)

イメージ (2029)

チラシの最下段、レトロカラーなのが可愛い.。
逆に現代ではこういう配色と言うか色の出力が難しいみたい。
イラストレーター寺田順三さんがあえてレトロな配色の仕事をしているけれど、人はやはりこうしたレトロなカラーのものに惹かれるのだね。

イメージ (2033)

阪急のリーフレットを見る。1969年版 須磨離宮公園、小野、粟生といった播磨の方も紹介している。
阪神急行電鉄時代のリーフレットは鳥観図。表紙は宝塚。箕面が上部に描かれている。昭和初期まで。
新京阪鉄道リーフレット 各地の阪急ビルを紹介。天六の阪急ビル、十三の阪急ビルには直営食堂があったそう。

阪急の食堂と言えばカレーが有名だが、その昔は「ソーライス」なるものがあった。
これは白ご飯にウスターソースをかけて食べるのを言うのだが、節約してご飯だけ頼む人らが思いついたことで、店側は困窮。
しかしそれを聞いた小林一三は逆に「ソーライス」を大々的に宣伝。
商売の神様は発想が違う。

昭和末の子供たるわたしは阪急百貨店の大食堂ではいつも祖母とイチゴパフェを食べていた。
ご飯は随分小さいときに一度酢豚を食べたらしいが、子どもの口に合わず、それ以来そこで食事と言うのはなくなり、ティータイムになった。
成人したわたしは阪急百貨店の大改装前に初めて大食堂でカレーを食べたが、おいしかったわ。
七年かけて阪急がようやく伊東忠太の素敵なタイル壁画などを取り込んだレストランを拵えてからも、なかなか食べに行かないままだ。
わたしが阪急で食事するのは、新阪急ホテルがいちばん多く、今もやはりバイキング・オリンピアに行くのを楽しみにしている。
たぶんこれなども子供の頃の楽しい記憶と直結しているからだと思う。

阪急百貨店の包装紙がある。
今のはいつからのだったか忘れたが、それ以前のは三都の名所・名建築を描いたものが1950-60、白と紺のカッコいいのがその後で72年まで。
ただ、名所物は人気も高く、何度もリバイバルしたりアニバーサリーなどで復刻したりしている。
そしてここでも紹介されているが、これらの紙は箪笥の中敷きとして需要があり、今もどこかの家庭の古い箪笥から現れる可能性がある。

昭和初期の阪急沿線の行楽地案内リーフレットが楽しい。
実際、四季折々阪急沿線で楽しめる。
この頃のは手描きで、円山公園の枝垂桜、保津川下り、猿のいる箕面の秋、爽やかな六甲ハイキングなどがある。
七福神めぐりは今も人気が高い。

阪急とは違うが、南地のあしべ踊の景品が出ていた。1933年。カードに祇園祭の山鉾、箕面の滝、宝塚、妙見さん、清荒神などなどが木版で。

六甲登山案内 これはわたしも一言二言三言よこと言いたい。学校の耐寒登山で芦屋のロックガーデンから上り、深い雪の中をアイゼンも役に立たず、六甲どころか八甲田山だとえらい目に遭うたことが思い出される。
ほんまに難儀しました。
「天は我を見放した」とは言わないが、頂点で生徒を残して迎車の4WDでさっさと下山した教師らを思い出すと涙がにじむぜ。

イメージ (2034)

番号の入るものは全て検索可能なのだが、その中にいくつか追記したいものがある。
・75 この雪組公演は以前にもこのブログで紹介したもの。つまり宝塚の人々が日本津々浦々をめぐってその土地だけの踊りなどを採集してきて、それを基にして作った作品がこの時の公演なのだった。
こちら

・77 「世界はひとつ」ラテンアメリカのところが出ている。今回初めて知ったが、この演出には円谷プロが参加していたそうだ。円谷とファミリーランドの社員のコラボ。

今では西宮ガーデンズとして人気の商業施設となったあの場所もかつては阪急西宮球場だった。
わたしは虎党だから甲子園には行くが西宮休場へはあまり縁がなかった。
とはいえ、かつてのPL学園の星のK選手が西武ライオンズで大活躍していたころ、阪急x西武戦を見に行き、一塁側にもかかわらず「キヨマー!!」と黄色い声で声援し、「これこれおねえちゃん、こっちは阪急やで」とやさしくたしなめられたことを思い出す。
イメージ (2032)

そしてわたしの子供の頃は阪急ブレーブスには世界一の俊足・盗塁王の福本豊がいた。
今では阪神タイガースの実況に欠かせない愛すべきおっちゃんだが、当時も人気のある名選手だった。
優勝したころを覚えている。

展示室の一隅に茶室の拵えがある。
そこにも茶道具のほかに沿線をモチーフにしたものがあり、それが楽しい。

展覧会の会期中に応援の気持ちも込めてこれを挙げるべきだったが、諸々の事情により叶わなかった。
しかしこうして自分の記憶と記録のためとはいえ延々と書き記せたことは喜ばしい。

いつまでも阪急沿線で楽しく暮らし続け、この地で終わりたいと改めて思った。
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