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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

樹のちから 東洋美術における樹木の表現

大和文華館「樹のちから 東洋美術における樹木の表現」展を見に行った。
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九月の真ん中とはいえ真夏の暑さがぶり返していた日である。
巨大な松はいつものようにあおあおと葉が茂り、茶色い幹もたくましかった。
花は夏の木槿と百日紅がまだハキハキと咲いていた。
秋の花はこちら。


彼岸花の白いのを知ったのは大人になってから。
「真っ赤だな」の歌でも「彼岸花って真っ赤だな」とあったからなあ。
コスモスは最近少しばかり時期のずれも見られる。

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・山水世界の創出
明清、朝鮮王朝、室町から江戸時代に描かれた山水画が集まる。

実は、というか何度かこのブログ上で記してある通り、長らく墨絵がニガテで就中「山水画」がどうも…
大人になってからやっとその良さが少しばかり響くようになった、と言う程度でしか、山水画に対せない。
理由は一つ。
「風景が淋しいから。山の中よりにぎやかな街の中が好きだから」
これに他ならない。

山水画は中国の文人たちの理想郷である。
塵芥夥しい世間を捨てて山中で風雅を友にして生きる、それを理想とした「高士」たちの憧れを具象化したものだ。
俗塵にまみれて生きるを良しとするわたしが楽しめないのはもう仕方ない。

たまに思うのは坂口安吾「桜の森の満開の下」である。
吉野山の深い桜の山に住まう山賊と、町で生きることを楽しむ女の齟齬の大きさに、わたしは黙って笑っている。
まあだが、距離を置いて絵を見ればよいのだ。感情移入しすぎるからそんなことを思うのだ、わたしは。

ずらずらと並ぶ山水画を眺め続けるうちに、例によっておかしな現象が起こり始めた。
つまり山岳風景が人の顔や他の事物に見えてくる、というあれである。

冬景山水図 陸治 明  峻厳な冬山だが、どうしてか下にある大岩が仰向けの人の顔に見えて仕方ない。

山水図冊 方士庶 1728  12図のうちいくつかわたしの目に映ったものを記す。
3…ガメラが倒れたような山 4…崖の上で踊る女のような姿 6…空中に浮かぶ島のようなものはラビュタか
7…雲の隙間に天空の道が開く 11…怪獣のアタマ
どうしてもどうしてもそう見えてしまい、しまいに全体が何を意味してるのか分からなくなってしまった。
どうも脳が疲労しているらしい。
まあ元々壁を見てても何か別なものが見えてくる体質なので、(別にわたしの中では)おかしくもないのだが。

冠岳夕嵐図 鄭 朝鮮後期  漢江の名勝の夕刻を描く。せきらん。夕もやのこと。その靄のせいなのか、薄青い山々、二つの帆を挙げる船たち。そして陸地に小さく描かれた四人。
かれらは作者とその友人ら。画家は粛宗2年から英祖35年の人。そう知ると「トンイ」「イ・サン」を思い出し、胸が熱くなる。
この景色は彼らのいた時代のものなのだと思うからだ。

唐絵手鑑 狩野安信 56図のうちから これは文琳型の模写もので多くの絵師たちのよいのをピックアップ。
狩野派が大和絵ではなく唐絵を描く一派だということを改めて思う。

澗泉松声図 浦上玉堂  例によって烈しい。いや劇しい、というべきか。「擦筆法」で描く風景。さささっと描くその筆の力。
山の裾には小さな家々がある。だが、この絵の枠の外には何もない感じがする。

京畿遊歴画冊  リアルな風景だが、さてどこなのか。

・場面を彩る樹木
物語に登場する木々はその風土によって様相を変える。

明皇幸蜀図 明  安禄山の乱で蜀に逃げた玄宗皇帝御一行の様子をロングで描く。
蜀へ向かったのはよかったが、かれは大切な楊貴妃を喪う。

文姫帰漢図巻 18場面のうち冒頭の6拍まで。
先般の展示でもそうだったので、久しぶりにその後が見たい。
都の邸宅の木々、蒙古の少ない緑…優しくしてくれる左賢王だが、言葉も通じず孤独が身に沁みる…

仕女図巻 伝・仇英 1540  とても好きな一巻。春のブランコ、夏の蓮採り、秋の庭園ティータイム、冬と言うより新春の白梅を眺める様子。蘇鉄のような樹や太湖石などが素敵なインテリアとなり、この大邸宅の四季折々を彩る。

秋渓群馬図 沈銓 1737  林の中での馬たちの様子。馬たちの様子がリアル。木に擦れてみたり色々。仔馬も可愛い。

桐下遊兎図 伝・余崧 清  いつみても可愛い。三羽のウサギが桐の根元で。秋海棠、鳳仙花、などが咲く中でウサギたちが何やらうごめいている。

芸苑合珍書画冊 朝鮮後期  いくつかの絵のうち「商山四皓図」があった。

・人の想いに寄り添う樹
賞楓図 張風 1660  うっすらと楓。それを楽しむ。

聴松図巻 王翬・楊晋合作 1700  320年ほど前だが、人物表現がとてもリアル。
林の中で松籟を楽しむおじさん。
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いきなり人物がリアルな顔つきで出てくる、この違和感が妙に面白い。

高士観瀑図 山本梅逸 1851  今回のチラシ。松の下を逍遥しつつ滝を眺める高士たち。
涼やかな心持にもなろうよ。

秋渓訪友図 岡田半江 1843  ああ…ワニが立ってて両手をぎゅっとしつつ見下ろすような様子に見える。なんだろう、この山は。

晩秋図 菱田春草  秋の暮れなずむ空にカラスらしき鳥たちの群れが。
春草は名に「春」を持つのに、よい絵は「秋」が多い。
この絵を見ると、秋の淋しさに胸が締め付けられる。
季節性鬱傾向の強いわたしは泣きたくなる。

古木図屏風 富岡鉄斎 明治から大正  力強いのだが樹の一部にオバケみたいな顔がみえる。

樹と言うと、何もすべてが優しいものではない。
恐ろしい樹もある。
子どもの頃にメーテルリンク「青い鳥」で見た森の木々はチルチル・ミチル兄妹の父が樵であることを咎めたし、日本昔話のタラの樹の話では木々がそれぞれ人の形を取って祟りを為していたし、美内すずえ「みどりの炎」では沙漠の街を守る木々が実は人の養分を欲し、人を木の仲間に引きこむ力を持っていたりと、存外に怖い存在でもあった。
そんなことを思うから、山水も他の形に見えるのかもしれないが。

9/29まで。

やっぱりこういうのを見つける性質が、山水図をオバケや人の顔に見せるのだろうなあ。
大和文華館の近所のお医者さんの所で見たもの
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