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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

富野由悠季の世界展に行く その2

つづき。
本来なら第二部の感想なのだがそちらは長くなりすぎるだろうから、先に第三部の感想。

イメージ (2434)
・無敵鋼人ダイターン3
・戦闘メカ ザブングル
・ラ・セーヌの星
あと3本がここに紹介されているが他は知らない。

ダイターン3はエンタメの面白さ、小粋さを楽しめる作品だった。
期間限定だが公式サイトが1話と33話を挙げている。

いやもうとにかくダイターン3はわたしの中ではイェーイな作品だった。
会社もセンスも違うが銀河旋風ブライガーと並ぶイェーイな作品だ。
それはやはり主人公・破嵐万丈の粋さにあると思う。
万丈のカッコよさはエンターテイナーのそれなのだが、一方で宿敵メガノイドへの執拗な敵意、容赦なさは物語に様々な憶測を生んだ。万丈自身が実はメガノイドではないか、という疑念もあったくらいだ。
あの余韻の深いラストシーン、唐突な展開の最終回の果てのシーン、非常に印象深いものだった。

チラシに出ている老紳士は万丈の執事・ギャリソン時田。かれはいつも鷹揚で優雅でそして有能だ。
派手な万丈に静かに仕え、時にはかれ自身がダイターン3を操縦もする。
決まり文句「世の為、人の為!メガノイドの野望を打ち砕くダイターン3!!この日輪の輝きを恐れぬのなら、かかってこいっ!!」もギャリソン7が言うと「この日輪の輝きを恐れぬのなら、かかって参られい」となる。
2人のタイプの違う美女とおっちょこちょいの坊やも加わって、この五人組はとてもユニークでユーモアがあった。

展覧会には出ていないが、かつてアニメージュか何かの記事で富野監督は自分は破嵐万丈は描けても、いなかっべ大将のような泥臭いギャグは出来ないという意味のことを語っていた。
それはいなかっべ大将をおとしめるのではなく、冷静に自分の作家性について、特にギャグセンスについて分析した話だった。

キャラ設定の塩山さん描くポスターがあった。万丈と二人の美女・レイカとビューティーの三人の楽しそうな様子を流線型の彩色で描いている。
今回の展示で初めて知ったが、敵のヒロイン・コロスはイデオンのバッフ・クラン人に似ていると思ったら、彼女らのキャラ設定は湖川さんだった。大納得である。

確か富野監督はこのキャラを使い、今風で言うなら現世パロ小説を書いている。そこでは何でも屋さと言うか探偵だったような気がするが、それははっきりしない。

ダイターン3のダイカスト製のロボットが置かれていた。額部分に日輪があるのが特徴。
「この日輪の輝きを胸に秘め」とOPでも歌われているが、あのOPのカッコよさと言うのも普通ではない。
そしてダイターン3は鉄扇を武器にする。これは「彼岸島」の吸血鬼の首領・雅、「鬼滅の刃」の上弦の弐・童磨も使うが、今のところ元祖ではないかな。

・戦闘メカ ザブングル この頃からようやくわたしもリアルタイムに観ている。
湖川さんによるキャラ設定だが、前作のイデオンと違い、丸顔の主人公ジロン・アモスをはじめ、わりに可愛い、面白いキャラが多い。美形と言えばアーサー様だけ。

今あらためてこの世界観・世界設定をみていると、萩尾望都さん「マージナル」、山下和美さん「ランド」と共通することに気付く。
囲い込まれた住人達は自分らが実験体だとは知らぬままその地におり、別な地の者たちがこちらの状況を見守る。やがて囲い込まれた住民たちの反乱などがおき、コントロール不能の状態へ至る。
しかしそれは破綻する。破綻させようと画策するものが現れもする。ここではアーサーさまの一派である。
その実験場というべき地がユートピアかディストピアかはさておき、必ず何らかの破壊が行われるのだ。
「進撃の巨人」とはまた違うが、「ザブングル」を嚆矢に、こうした設定は現在にも続いているのだ。
ザブングルにおいてそうした破壊者が殊更に元気で健康でワイルドなキャラ達だというのは頬に表れている。

ザブングルはいい歌が多かった。串田アキラ、MIOの歌う歌はどれもみんな心に残る。

映画化ポスターが展示されているが、ダグラムと一緒になったポスターだった。
暗い作風のダグラムが映画ではけっこうふざけたノリでちょっとBL風味なのもあったようだ。
高荷義之さんの重厚なイラストもある。こうしてみると映画「ザブングル・グラフィティ」は力の抜けた作風かと思っていたが、こうしたところに力が入っていた。

意外なことに「ラ・セーヌの星」の終盤の演出が富野監督だと知ったが、そう知るとあのラストは納得できる。
この作品は確かキャラ設定は杉野昭夫さんのはずだ。
杉野さんのキャラと富野監督と言うのも面白い組み合わせだ。

展示されているのはラ・セーヌの星であるシモーヌが今度は権力側と戦うことになるシーン、マリー・アントワネットの処刑シーンである。この展開はこうしてみると、いかにも富野監督らしさがあった。
ラストでの逆転である。

この章での他の作品は知らないので何とも言えない。
続く。



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