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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ありがとう大和文華館「文字を愛でる 経典・文学・手紙から」展を撮る・挙げる・残す

終了したので挙げるが、大和文華館「文字を愛でる 経典・文学・手紙から」展は写真撮影OKなのであった。
今回のことはびっくりした。
それでぱちぱち撮り倒しSNSに挙げ続けたのであるが、展覧会が終わるのを待ってアーカイヴとしてこのブログに挙げようと思う。
いつものパターンの「既に終わった展覧会だが」の枕詞がないのはこうした理由による。

まずは見さっしゃれい。

一言。
「ほんまやーっ」 である。


こういうところもです。

タイトルは全て大和文華館のサイトから。

いつも出迎えてくれるのは三つのガラスケース。


伊勢集断簡 石山切 日本・平安後期 紙本墨書 20.0×15.8

ただ単に「王朝継紙」だとばかり思っていたが、また違う名称があった。
いわく「料紙には破継(やぶれつぎ)の手法を用いて、染紙で遠方の山を表し、霞・松林・鳥などの添景を銀泥で描き加え」たとある。

よくよく見ればなるほどとわかる。

写経切 大般若波羅蜜多経巻第四十一 初分般若行相品第十之四 日本・奈良 紙本墨書 27.2×16.4

一字蓮台法華経 普賢菩薩勧発品 日本・平安後期 紙本著色・墨書 26.0×322.2
見返しの図



貴人と市女笠の女と坊さんと。


おや、幼女もいたか。

文字もじっくり見ると蓮台それぞれ輝きが。

「我當」という文字にぴく。片岡我当(當)丈を思い出すよー
その我當の斜め左上には「能」の異字対で「本能寺」の「能」がある。残念ながら出力できない。




圧巻の経巻でした。

写経切 法華経従地湧出品第十五 日本・平安後期 紙本墨書 23.6×9.0
蝶鳥下絵経。綺麗な絵が細かに入る。






経巻切
金剛般若波羅蜜経 鳩摩羅什訳 日本・平安 紙本木版 (右)25.5×3.6
金光明最勝王経巻第六 四天王護国品第十二 日本・平安 紙本木版 (左)24.5×1.9

綺麗な色。

7 装飾経断簡 法華経薬王菩薩本事品第二十三 日本・平安後期 紙本墨書 23.3×8.9

過去現在絵因果経断簡 過去現在因果経巻三 日本・鎌倉 紙本著色 27.7×29.8
元は奈良時代に描かれた。これは鎌倉時代のもの。奈良のそれを手本に、変更はあまりしていない。
話自体は王舎城を出てアララ・カランとやらに会いにゆくところだそう。
ところで王舎城の悲劇の話は知っているが(手塚治虫「ブッダ」で知った)、アララ・カランとは何者ですかな?






護諸童子経 建久七年(1196)奥書 日本・鎌倉 紙本墨書 25.5×186.4



幼児を守るためのお経です。

大方広仏華厳経 巻第三十六 二帖のうち 朝鮮・高麗後期 紺紙金泥著色31.0×11.0
高麗仏画は赤色の使い方が綺麗が、こちらは紺地に金の線描。
見返りに仏たち集合の図


 



和漢朗詠集断簡 伊予切 日本・平安後期 紙本墨書 25.2×36.9



款冬とはフキのこと。食べるフキね。それにしても読めんわ。
字は立派なのだがこちらに教養が不足してて申し訳ない。
點はテン、つけるの意味。それで思い出すのが「伊賀の影丸」あたりの忍者マンガでみた彼らだけの暗号漢字。
色の名前、赤とか黒とかのね、あれをへんにしてつくりを…なんか忘れたわ。

小倉色紙「天の原」 日本・鎌倉 紙本墨書 18.6×16.5

定家様の文字…「ふりさけみれば」ですね。
そういえば冷泉家からこの令和の世にびっくりの国宝級の新発見がありましたな。
やっぱり冷泉家と言うのは凄いな。
ところで個人的には定家の文字の読みづらさには長年困らされてきた。
「更級日記」を定家が写したものを読み解くのに四苦八苦したので、今もあんまり好きではない。

尊円親王歌切 新後拾遺和歌集断簡 日本・南北朝 紙本墨書 25.2×52.8

 これらを全て読めるのならばわたしの手で打つが、到底無理なので反則ながら…


後陽成天皇宸翰和歌詠草 日本・桃山 紙本墨書 15.3×48.2


この表装もかなり大胆だと思うね。
後陽成天皇の「虎丸」サインもいい。

細川幽斎添削菊亭晴季詠草 慶長六年(1601)十一月 日本・桃山 紙本墨書 31.8×49.3
どうでもいいことだが、菊亭晴季と言えば北村寿夫「新諸国物語」に出てくる正義の側に力を貸す公家と言う役どころなのだが、確か「笛吹童子」の胡蝶尼が実は菊亭の娘だったか何か…いやちょっと読み直さないとわからない。

近衛信尋筆和漢朗詠集 日本・江戸前期 紙本墨書 31.4×486.2
三藐院近衛信伊の養子。これもまた自由な書だなあ。

春柳図 尾形乾山筆 元文四年(1739)自賛 日本・江戸中期 紙本墨画 24.3×45.3

露けさもあかぬ柳の朝寝かみ人にもかなや春のおもかけ 京兆紫翠深省七十七歳写
京都から江戸へ移った深省尾形乾山77歳(数え)自賛の和歌と絵。意味は
「春の柳はいくら愛してもなお飽くことのない若い女性のしっとりした朝寝髪のようだ。このような春のおもかげともいうべき情緒が人にもあってほしい」
77歳でも色っぽいな。京兆紫翠ならぬ軽佻浮薄なところが楽しいよ。

三十六歌仙色紙貼屏風 六曲一双 日本・江戸中期 紙本著色・墨書 各70.2×265.6




伊勢
 

小大君


忠信物語絵巻 忠信次信物語絵巻 二巻のうち 日本・桃山 紙本著色 28.4×753.0
源義経の忠臣たる佐藤兄弟の話。20年以前わたしは福島の友人の案内で佐藤兄弟のふるさとも通ったことがある。
芭蕉はそれを「奥の細道」に記したが、わたしはちょっとばかり変な記憶と共に忘れずにいる。
村の入り口で鹿の死体をみつけ、それをどうかしようと思ったのだ。丁度「ナニワ金融伝」でイノシシの死体を売りに出す話があったのでそれに感化されていたと言えなくもない。
結局村の人に伝えると近所の店屋さんに持って行ってくれることになり、われわれはおやつ代をもらった。これでいいと思う、今も。
さて佐藤兄弟の話に行こう。

これは大和文華館学芸員宮崎ももさんが「國華」1434号に論文を挙げておられる。忠信次信物語絵巻(八島絵巻)として。
この号には朝鮮・正祖(イ・サン)筆 葡萄図もあるらしい。
イ・サンといえばあの歴史ドラマが思い出される。
わたしは「トンイ」と「オクニョ」が大好きだが「イ・サン」もよかったなあ。

八島は即ち屋島。ここで次信が御曹司を守って死ぬ。




泣く忠信。左端の下の人物は武蔵坊弁慶。烏帽子被るのが御曹司義経。


知る人は知るけれど、次信は嗣信、継信と色々表記の揺れがある。
そして芝居の「狐忠信」のあの忠信の兄だが、気の毒に芝居では出ているところを見ないなあ。
御曹司をかばって亡くなってるのだが。



道成寺縁起絵巻 日本・江戸後期 紙本著色 23.4×867.0
ここの道成寺物は江戸後期の制作で、この説話がいかに長く広く伝わっているかがわかる。
以前この巻物について学芸員の宮崎さんがトークされるのを聞いたこともある。
出ていたのは後半。

足があるから大蛇でなく竜だよなあと思っている。顔も眉があるし、火を噴きつけてくる。


その火炎放射にやられてひっくり返る道成寺の坊さんたち。
けっこう洒脱な筆遣いにも見える。


「大蛇は寺中を色々・・・」とうとう鐘を発見して七巻きになる。やっぱり「大蛇」なわけか。


あー…大蛇が去った後の鐘開き…黒焦げ安珍にお水かけてますね。
向かって右側は泣いたり読経したりだけど、左側はこれはわらってるよな。


その後の話。高徳の僧の夢枕に今や夫婦となった安珍清姫が揃って供養を願いに現れる。


皆で読経…これ確か一挙にぺララララララ…とやると一回読んだことになるシステムと違うかったかな。
「ファンシィダンスダンス」でそういうのを見たよ。


そして小蛇になった二人がニコニコしながら夢の中でお礼に来る。
この頃はやっぱりハッピーエンドが望まれてたのかな。



阿国歌舞伎草紙 絵二段(念仏踊・茶屋遊び)詞書一段 日本・桃山 紙本著色 18.6×27.7ほか
絵葉書でもよいのを出してくれているが、撮影させてもらうとこちらの好きが優先されるのが嬉しい。

たとえばこの図ではわたしはこの二人が結構気になる。
何かありそうな二人。
笛を吹く青年もいいな。


こちらではこの女客が昔から好き。
こういう捉え方をさせてもらえるのが撮影可能の楽しみなのだ。


稲富流鉄砲伝書 拵目當絵図書 濱口勘右衛門長久から松平忠直へ相伝 十九帖のうち 慶長十七年(1612)奥書 日本・桃山 紙本金銀泥 下絵墨書 25.6×190.4
カタログ・ノウハウ・取説 これがまた綺麗で。

















Ⅲ. 手紙にみる文字
このあたりは歴史的背景を考えながら読めば興味深いだろうが、生憎全員の背景を知るわけではないので勿体ないことをした。いくらでも勉強は必要だ。

源義経書状 七月廿一日 日本・鎌倉 紙本墨書 29.0×43.4
僧宗兼書状 建長四年(1252)三月十五日 日本・鎌倉 紙本墨書 30.8×48.3
吉田隆長書状 延慶元年(1308)閏八月五日 日本・鎌倉 紙本墨書 30.6×38.1
書状西園寺実兼勘返状 八月四日 日本・鎌倉 紙本墨書 28.3×42.3
洞院公賢書状 暦応四年(1341)正月十二日 日本・南北朝 紙本墨書 30.5×94.0
花園天皇宸翰断簡 日本・南北朝 紙本墨書 24.8×41.1
楠木正近書状 十一月五日 日本・南北朝 紙本墨書 23.6×30.2
足利義満書状 永徳二年(1382)十一月廿九日 日本・南北朝 紙本墨書 31.0×35.5
三条西実隆書状 永正十三年(1516)二月廿六日 日本・室町 紙本墨書 27.8×78.5
松永久秀書状 菅善宛 九月十四日 日本・室町 紙本墨書 13.2×31.0
豊臣秀吉髻書状 孫太郎、神田、中村宛 三月九日 日本・桃山 紙本墨書 7.7×38.3
古田織部書状 織田有楽宛 正月廿七日 日本・桃山 紙本墨書 33.0×50.7
古田織部書状 御ひ殿宛 日本・桃山 紙本墨書 29.8×46.0
前田利家夫人まつ(芳春院)書状 千代(世)姫宛 十二日 日本・桃山 紙本墨書 35.1×53.1
千少庵書状 井関妙持宛 日本・桃山 紙本墨書 32.0×50.8
鄭沢尺牘 鉄山宗純筆 慶長十九年(1614) 日本・桃山 紙本墨書 34.0×51.8
本阿弥光悦書状 池田作左衛門宛 日本・江戸前期 紙本墨書 27.0×43.0
松花堂昭乗書状 十月廿七日 日本・江戸前期 紙本墨書 31.1×43.9
烏丸光広書状 又七宛 正月廿八日 日本・江戸前期 紙本墨書 30.2×49.3
小堀遠州書状 酒井忠勝宛 四月朔日 日本・江戸前期 紙本墨書 31.2×43.5
金森宗和書状 堀越中守利長宛 閏六月七日 日本・江戸前期 紙本墨書 28.2×46.6

近衛信尹書状 修理大夫桑山重晴宛 三月九日 日本・桃山 紙本墨書 32.4×82.8
深爪しなやと注意を与えている。桑山は大名で秀吉の御伽衆のひとりでもあった。後に東軍に加わり和泉谷川藩を隠居として領有。桑山は信伊よりかなりの年長であるが、こうした手紙のやり取りが残るくらいの付き合いがあったのだな。
因みに前述の菊亭の奴が信伊を讒言したので信伊は色々と波乱の生涯を送ることにもなった。

最後に富岡鉄斎。
近藤家宛鉄斎書簡  
明治四十年八月七日 中元礼状 日本・明治 紙本墨書 17.8×70.0

近藤家と鉄斎の親しい関係が伝わってくる。









お魚の絵が封筒から始まるあたり、よっぽど嬉しかったんだろうなあと思われる。
けっこうストレートに喜んでるのだ。
なお解説まで挙げるのは反則かもしれないが、この鉄斎の強い個性の文字を読み通せる人はなかなかいないだろう。

伊予の近藤家と鉄斎の交流については2016年の生誕180年記念展に詳しい。
こちら
今の愛媛県三津浜。
個人的なことを言うと、わたしも一度だけ三津浜に行ったことがある。
石崎汽船の旧本社が素晴らしい近代建築で設計は木子七郎。
街歩きも楽しかった。
そしてこの近藤家はその石崎汽船の石崎家の番頭さん。当時愛媛にあった石崎家の旅館で鉄斎の世話をし、のちに海鮮問屋になってからは新鮮なお魚を鉄斎のもとへ贈り続けた。
なお今も石崎汽船は盛業でなにより。

明治四十四年四月二日 礼状 日本・明治 紙本墨書 17.6×90.2




よいものを見せていただきまして、更にはこうして撮影もさせてもらえ、ありがとうございました。
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