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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

堺のミュシャ

ミュシャを見にゆくのは、何度目だろうか。
アルフォンス・ミュシャは今日の日本において最も人気のある画家の一人だ。
極言すればアールヌーヴォー=ミュシャ、という認識があると思う。

最初に行ったミュシャの展覧会は'90の高島屋で、実はこの日、大相撲の升席にいた。
春の大阪場所。難波の高島屋でミュシャにうっとりしてから、難波のちょっと裏の大阪体育館で大相撲を升席で見ている。
大体わたしはメチャクチャな取り合わせをしてしまうのだった。
次の展覧会は翌年の秋、天満の松坂屋でニナ・リッチ展と共に見ている。そのときにクリスチャン・ベラールなども知ったので、こちらはまあ、ちぐはぐなこともない。
それからは何かと見ている。

最初に見たミュシャは高1の学期末試験が終わり、打ち上げに集まった友人の家でだった。
この家は昭和初期の建築コンペで大林組が作ったスパニッシュタイプの和洋折衷の家で、建築史においては、なかなか重要な意味を持つ建物だった。
建築史に興味のある人なら心当たりがあるだろう。
そこで、ミュシャを見た。
正確にはミュシャの画集を見たのだ。
フランスの画集だったと思う。今となっては思い出せないが、日本語ではなかったのだ。

綺麗だった。
衝撃を受けたと言ってもいい。
「明るい」アールヌーヴォーを見たのはこれが最初だった。
それ以前からビアズリーを知っていたので、世紀末もアールヌーヴォーも「暗い」イメージしかなかったのだ。(ビアズリーはごく子供の頃、手塚治虫の『MW』で見知ったのだ)
その直後、十歳ほど上の知人から年賀葉書が届くようになったが、それはミュシャの作品にインスパイアされたものだった。

ミュシャへの恋が始まる。
なんにでもわたしは熱狂せずにはいられない。
そのことばかりに集中し、熱狂しなくては、わたしの中で落ち着いてくれない。
やがて落ち着けば、それはわたしの愛するカテゴリーの一つになるのだった。


長々と前書きをあげた。
わたしが行ったのはJR堺市駅前の市立文化館だった。
ここには与謝野晶子とミュシャの常設があり、今回は特別展だったのだ。
元はミュシャの子息イージィ氏と土居君雄氏と言うコレクターとのコラボからコレクションの中核が生まれ、堺出身の与謝野晶子との関わりからもここに開設したそうだ。
それらはドイ・コレクションと呼ばれ'89にはチェコ文化交流最高勲章が授与されたそうな。
今回はなんでも堺市の政令指定都市移行と日経新聞の堺支局開設記念の展覧会らしい。

ミュシャがパリで寵児になったのはポスターからだった。
ジュール・シェレの後に現れた彗星は、一夜にしてパリを牛耳ったのだ。
シェレは'91に見ているがアールヌーヴォーではなく、その時代に、より相応しかったのはやはりミュシャだと思えた。
すばらしい作品が数多く並んでいる。
ポスター、即ち商業芸術の魅力は既にロートレック以降、パリに浸透している。
リトグラフと言う技法が生まれていたおかげで、今日でもこうしてミュシャの作品を美しく見ることが出来るのだった。

どれが好きかと言われれば困るのが、ミュシャの作品だと思う。
ルノワールと同じく「あれも好きこれも好き」になる。

例えば今回のチラシになった『黄道十二宮』
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この作品などは女の顔もさることながら、ビザンティン風の王冠型髪飾りにも目がゆき、クラクラしてしまう。またその周囲の十二宮は金牛宮から磨羯宮までしかはっきり見えないが、その細密描写には、目を凝らしてしまう。(巨蟹宮がなんでエビまたはザリガニなのかは不明)
装飾的な花々もウィリアム・モリスかミュシャか、と妍を競えるだろう。

その彫刻化のような『ラ・ナチュール』像。
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この像からまた様々な妄想が生まれだしてゆく。

また、多くのマンガ家がミュシャにインスパイアされて沢山の作品を残している。
たとえば山岸涼子の優雅な女性たちは、ミュシャの描く衣裳に似たものを身につけている。
宮脇明子の扉絵は多くをミュシャとクリムトの構図から得ている。
彼女たちは巧みなストーリーテラーだが、同時にすばらしい絵柄の主である。
あの高レベルだからこそ、堂々と引用できるのだと思う。

展示作品に戻る。
今の時期にふさわしい作品を二枚。
百合とアイリス。
img094.jpg


様式的な花の美しさにときめくばかりだ。
アイリスの女は花を見ている。しかし百合の女の視線はどこに向けられているのだろうか。
百合に囲まれ、百合を身につけ、百合の中に立つこの女は、自身を百合に同化させていて、摘みに来る人を待っているのかもしれない。

連作『月と星』は茶色がベースとなっている。珍しいと思う。ミュシャの夜は茶色なのかもしれない。茶色い夜。ショコラの夜。

サラ・ベルナールとのコラボレーション。
サラはミュシャの絵でミューズになった。
今日、サラの演じた芝居を見ることは不可能だが、サラを描いたポスターから、当時のサラ崇拝と熱狂が伝わる。
ミュシャ以前からサラは大女優だったが、ミュシャのポスターが百年以後までのときめきを用意した。

『椿姫』キラキラ星を背景に立つポスター。
このポスターだけでチケットを取る気がする。
『サマリアの女』 女の光背にSARAH-BERNHARDTと☆と煉瓦状の組み合わせが素敵だ。
ちょっとマンホールのようだが。

やがて人気絶頂の最中、ミュシャは故国チェコスロバキアに帰還し、「ムハ」として活躍を始める。彼の油彩の大作。
『スラブ叙事詩』その写真パネルが来ている。
スラブ民族の歴史には詳しくないが、その複雑さは理解している。
人気を捨ててまで祖国へ帰る。建国の歴史画大作。
絵がどうのとか技法がとかよりも、その熱情と思想にうたれるばかりだった。

いい展覧会だった。


***
この美術館には与謝野晶子の資料も併設されているのだが、そこには『明星』が展示されている。
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藤島武二らによる表紙絵は、明らかにミュシャにインスパイアされている。
1901年の『みだれ髪』。パリのミュシャの作品と同時代の画家の手。
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晶子はミュシャのいなくなったパリに滞在する。
1912年。パリは既にアールデコとモダニズムの時代に突入していた。
鉄幹の芸術的閉塞感を打開するための渡航。
晩年の夫婦の写真を見る。そっくりな男と女。
今日では晶子の才ばかりが目に付くが、歌人として詩人として明治浪漫主義の畑を耕したのだ。
展示されている資料を見ながら、『明星』の表紙にこうしたアールデコばりの作品を推したのが晶子ではなく鉄幹だと気づく。

ミュシャと晶子と。堺市立文化館はすばらしい所蔵品を持っている。
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コメント
私の下敷きや手帳の中身は月刊「明星」のアイドルではなくて、
ミュシャの切り抜きばかりでした。 確か塗り絵も持っていたけれど
ミュシャ以上には出来そうになくて、とうとう白いままになっています。

7月の予定もいっぱいですね。 レポが楽しみです♪
2006/07/02(日) 19:41 | URL | 山桜 #-[ 編集]
ぬりえ!今流行の「大人のぬりえ」ですか?
実は私、本当に絵が描けなくて、白地図も満足に出来ないダメダメ少女でした。うーん、今も自信ありません。
2006/07/02(日) 22:18 | URL | 遊行 #-[ 編集]
私もこれまで二回ミュシャ展を見ています。
94年に堺で開催されたときには講演会も聴講したのですが、
内容が『世紀末芸術』(高階秀爾著)の焼き直しみたいでした。
しかし展覧会の内容はとても良かったことを記憶しています。
私の友人にもミュシャ好きがいて、
彼女の誕生日にミュシャの画集を贈ったことがあります。
2006/07/02(日) 23:07 | URL | 千露 #GyvMcuCk[ 編集]
こんばんは。
今回も素敵なレポート有難うございます。楽しめました。
ミュシャは私も1度は取り上げたいと思っているのですが、最近は遊行さんがとてもプレッシャーになってます(苦笑)
この記事で一番引かれたのは、私の悪い癖で、
>なんにでもわたしは熱狂せずにはいられない。
そのことばかりに集中し、熱狂しなくては、わたしの中で落ち着いてくれない。
やがて落ち着けば、それはわたしの愛するカテゴリーの一つになるのだった。
の部分ですね。興味の方向がどうしても人に向かってしまいます。
記事のなかで 、「ムハ」として活躍を始める。 とありますが、これはミュシャのチェコスロバキアでの名前の読み方でいいのでしょうか。
2006/07/02(日) 23:09 | URL | sekisindho #-[ 編集]
☆千露さん こんばんは
ミュシャ好きな人、多いと思います。だからこそ、絵が描ける人はその枠組みを借りて二次創作したりするのでしょうね。
わたしもお友達から画集をプレゼントされると、とても喜ぶと思います。
千露さんとお友達のニコニコな様子が眼に浮かぶようです♪

★sekisindhoさん こんばんは
実は怠慢なわたしはミュシャの略歴とか書くのを諦めて、sekisindhoさんの記事をリンクしようと目論んでいたのです。
みつけ損ねて残念、と思っていましたがまだ書かれていなかったのですか。すごく期待しちゃいます。
「ムハ」そうです、スラブアクセントです。ローマ字ならムチャですかね。
ショパンもスペインではチョピンだそうです。
2006/07/02(日) 23:35 | URL | 遊行 #-[ 編集]
堺市のミュシャ展を、完全に再びおさらいさせていただきました。
>ミュシャの夜は茶色なのかもしれない。茶色い夜。ショコラの夜。
面白い見方ですね。でもショコラ色の夜って聞くと、それだけでロマンティックな気分になります。
あのラ・ナチュールの冠の上のアメジストは、パリ万博に出展された時は電球だったそうですね。当時、電球は宝石に勝るとも劣らぬ値打ちがあったのでしょうか?ありがとうございました。
2006/07/03(月) 11:32 | URL | red_pepper #-[ 編集]
こんにちはred_pepper さん
>電球は宝石に勝るとも劣らぬ値打ちがあったのでしょうか
なにしろ、ネオンがその頃から付き始めて、みんながわざわざ見学に来た位ですからね。しかし考えましたら100Wの裸電球がピカッ て・・・
たたりじゃーじゃないんですからねぇ・・・←横溝ファン。
2006/07/03(月) 12:49 | URL | 遊行 #-[ 編集]
「大人のぬり絵」が流行る十○年前?いや○十年前のものかもしれません。
何かの付録だったか、自分で買ったのか、今どこにあるのかも不明です^^;
あの頃はミュッシャと小さなッが入っていたように思うのですが・・・?
2006/07/03(月) 14:04 | URL | 山桜 #-[ 編集]
こんにちは 山桜さん
ミュッシャ? ・・・うーん、気づきませんでしたねえ。
ギョエェテとはおれがことかとゲーテ言い
というのもありましたが、最近は色々変わるみたいです。
ウォレン・ビーティがウォレン・ベイティになったり。
護良親王がモリナガだったのがモリヨシになったり・・・太平記よ、どこへ行く。
'80年代は既にミュシャだったようです。
2006/07/03(月) 16:26 | URL | 遊行 #-[ 編集]
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