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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

怪異譚その壱

今回はお盆と言うこともあって、わたしの周辺の怪談などをお送りします。主に私の体験談と、親戚・友人の話を集めました。
(苦手な方、ごめんなさい)


**去年の夏に別な掲示板に連載したものをまとめた分です。


その1
『何故、さむい』

高校の補習授業で真夏の昼過ぎ、学校にいた。
授業を終えたのが午後一時前。暑い。汗がだらだら落ちつづける。何故こんなに暑いのか。
一つの山が幼稚園から高校まで収納していて、坂道を普段なら大量の学生が行き過ぎるというのに、今日は私一人しかいない。門の前には国道が走り、それを横切り、本屋や電気屋を越えると、駅への道が開ける。
本屋でほぼ毎日私は立ち止まる。今日は月曜日でジャンプが発売されていた。
読みふける。しかし暑さは止まらない。汗を雑誌に落とさぬように注意する。
本屋のオバさんは『ああ、いつものあの子か』とクーラーの効いた店内からちらりと見るだけで、何も言わない。

暑い、暑い、暑い。
誰も通らない道。炎天下で立ち読みする私。汗が、ああ、いやだな。
不意に、全身が寒くなる。まるで氷室に入ったように身体が寒くなった。
何気なく私は左側を見る。山の上の学校への道だ。一台の車が国道を曲がって行くのが見えた。黒塗りで、金ぴかの屋根をつけた車、霊柩車だ。
「ああ、どなたかが」
あの世に行ったのだ。

私は立ち読みを止めて駅へ向かった。ホームへの地下道はひんやりしていた。
そのとき、私の脳裏にある疑問が浮かんだ。
『…なぜ、寒かったのか』
地下道でもなく、風も吹かない、炎天下で、何故さむいのか。
そして何故私はあの時振り向いたのか、左側を。距離と時間を逆算すると…

あの寒さは、今に至るまで、『感覚』として、忘れられないでいる。


その2
これは母から聞いた話です。
『人形』

十年ほど前、母はある建築事務所の経理を勤めていた。
建築は新築だけでなく、壊す方つまり解体屋とも縁が深い。
解体屋は、少々のことには動じない男でないと、務まらない。
その解体屋の男たちが真っ青になって事務所に飛び込んできたから、たまらない。
誰もまともに口を聞けないでいる。
しっかりしろ、とばかりに飲ませた水も吐き出してしまうほど、男達は震え、怯えている。
ようやく話を聞き出せたのは、時間がかなり経ってからだった。

ある長屋を壊しに行った。
もう十年以前から誰も住まなくなっている。最後の住人はお年寄りの夫婦で、今はこの世にいない。長屋を壊して市営住宅にすると言う話で、遠慮会釈なしにどがどが壊し始めてしばらくして、その年寄り夫婦の部屋に来た。
ぼろぼろになっていて、あちこちが朽ちている。玄関から正面に押入れがある。解体屋は勢い良くその押入れをばっと開いた。
開いて、絶叫した。

押入れの上の段に、二体の日本人形がちんまり並んで座っていた。
大きさは1メーターくらい、赤の着物と白の着物を着て、こちらをみつめている。
着物はぼろぼろなのに、顔も髪も指先も不思議なほど、つややかに美しい。

解体屋は誰もその場にいることが出来なかった。
飛んで帰ってがたがた震えている。どうしたらいいのか誰も考えられなくなっている。仕事はしなくてはならないが、あの人形をどうにも出来ない。

・・・結局、彼らは和歌山の加太の淡島神社という流し雛や人形供養で有名な神社に、その人形を送った。
そこでなら、その人形も何らかの形で安らぎを与えられるだろうと思えた。

いまだに何故、誰が、どのような目的で、そこにそんな大きな人形を一対置いていたのかは、わからない。


その3
これは外国の旅の話。
『写真』

パリに行った。三組ほどが小さなバンに乗りセーヌ川クルージングに出かけようとしていた。運転手が言う。
「このトンネルのその柱が、ダイアナ妃がぶつかった柱だよ。今もお花が沢山供えられているよ」
なるほど、ピンク色に染められた柱の足元には大量の花束がある。
よせばいいのに、私以外の客は全員がその柱を撮影する。

後日、友人が現像された写真のうち、あの柱だけがないと言う。ネガには残っているのに。
一緒に行った二組の人たちから、それぞれ手紙と写真が届く。しかしそこには同じことが書かれている。
『・・・あのトンネルの柱の写真だけ、何故か現像されませんでした』


イタリアに行った。団体ツアー。トランジットのパリで妹の友人に会う。向こうはフリーツアーで、今からローマに。私はミラノに向かう。
ミラノは濃霧で閉鎖され、真夜中まで五時間待たされ、ドけちで有名なアリタリア航空が水とサンドイッチをくれた。
飛び立った空には銀の盆のような満月が張り付き、この世のものとも思えぬ絶景の只中にいた。
ツアーが開始され、各地を回る。

雷鳴と嵐の中、まだ午後四時前なのに真夜中じみた風景の中に、アッシジの聖フランチェスコ教会が建っていた。
私はその教会が『第二のキリスト』聖フランチェスコの遺骸の上に建てられたと聞いたときから、畏怖の念に駆られ、撮影など出来なくなっていた。
しかし折角来たのだから、と遠景を撮る。雷が怖くてフラッシュなしで。(関係ないのに)

ローマからの帰途、ロンドンでトランジットの際、またしても妹の友人に遭う。向こうはミラノからの帰り。しかし往復共に別会社の飛行機なのだ、私たちとは。
不思議な偶然だと思いながら帰国する。
やがて、現像が上がる。
・・・・・・・ああ、思ったとおりだった。

友人も、ツアーで一緒だった人も、誰も彼もが聖フランチェスコ教会の撮影に失敗しているというのに、よりによってこの私の分にだけ、教会がはっきりと雷鳴の中に浮かび上がっているのだ。
雷鳴を輝きの光背にして、教会がさながら生きているかのように。


その4
日本の旅の話です。
『曲がり屋』

以前、盛岡に行った。当時は近代建築より古民家に興味があり、南部の曲がり屋を見たいと思っていたが、なかなか果たせない。
盛岡は宮沢賢治の足跡の残る都市であり、石川啄木の住んだ家も残る風情ある場所だ。
時期は丁度今頃だった。
フリーで友人と二人、青森から南下して盛岡に来たのだ。

真昼の恐山は荒涼としていたが、そう恐ろしくもなく、70℃の温泉を水でうめにうめて入ったりしたので、へんに明るい心持ちのまま青森を離れ、盛岡についた。昼間は市街地をうろつき、夜から観光バスに乗ってわんこそばつきの見物ツアーに参加した。
盛岡出身のある洋画家の自宅が美術館になっていて、その一階は洋画を展示しているが、二階には南部の曲がり屋がどこからか移送展示されていると聞き、嬉しくなった。
先に一人、二階へ走った。
絵は後からでもじっくり見れる。

曲がり屋がそこにあった。
曲がり屋とは、L字型の民家で、人の暮らすスペースと飼い牛や馬のスペースが一緒になった、南部独特の建築である。またこの地方には座敷童子の伝承もある。
見渡した私は満足して、うん、と頷いた。
誰もいないのはわかっているが曲がり屋の座敷に上がろうとして、私は自然と『こんばんは、お邪魔します』と口に出して、靴を脱ぎ、畳に足をかけた瞬間、グラッと大きな揺らめきを覚えた。

地震だ!
咄嗟に私は飛びのいて階下へ向かった。
こんな大きな地震では何が起こるかわからない。
慌てて私は階下へ走り降りたのだが、一階では他のツアー客が機嫌よく絵を眺めていたり、くつろいでいる。

・・・なぜ?

友人を捉まえ、地震の事を聞くが、は?と言われる。そばにいたガイドさんもお客さんも不思議そうな顔をしている。
わたしだけの、地震。

皆で二階に上がる。誰も挨拶せずにずかずか座敷に上がる。
展示物を触る。ほう、牛や馬の鼻息が近そうだな、藁にまみれるね。
そんな声の中、私は立ち尽くしている。

拒絶されたのか、逆に歓迎されたのかは、ついにわからなかった。


その5
東京での話です。
『どこまでも』

谷中から根津一帯は下町風情の残るよい町だと思う。

真夏、その日の私の予定は、期間限定の全生庵幽霊絵公開-深川江戸資料館-歌舞伎座で(当時)勘九郎の『巷談宵宮雨』という怪談を見る、というものだった。
宿は根津駅そばで上野動物園にも近いJR関係のホテルだった。

ホテルにチェックインすると、いつもは公園側の七階か八階なのに、今回は三階だと言う。工事が始まりましてご不自由をおかけします、と言われたが、確かにフロントなどにはブルーシートが貼られているが、部屋や廊下には別に。窓を開けると、なじみの動物園の森ではなく、ボイラーが見える空間に面していた。

全生庵は山岡鉄舟、三遊亭円朝、五世尾上菊五郎ゆかりの寺で、明治に円朝と菊五郎が集めた幽霊画を寺に寄贈したと言う話だった。
それがこの盆前後にだけ公開されるというので、わざわざ見に来たのだ。
谷中は八百寺と称されるほどの寺町だが、境内の広い寺では盆踊りのやぐらなどが組まれている。嵐のようなせみの声と、やぐらを立てる音とで随分うるさい中、私はヘッドフォンをして英語の勉強をしているバイトの女の子にお金を払い、展示室へ入ろうとしていた。
女の子は廊下の端にいる。その斜め前の一室が展示室だが、入った途端、私は笑ってしまった。

絵は昔の日本画だから掛け軸である。それが、タンスやカラオケの大型機械を集めて壁にしたのへ所狭しと掛けられているのだ。もう、めちゃくちゃ。
客は私一人だから笑っても大したことはない。バイトの子はジャカジャカ英語か音楽を聴いているし、境内のやぐら立てはうるさいし、せみの声は大雨のようだし。
絵はどれもこれも恨めしげな絵で、墓場に立つのや、血塗れの赤子を抱くのや、ひっそり泣くのが多い。ハイハイと言う感じで眺めながら、タンスの迷路を曲がった途端、おかしなことになった。

誰かがわたしを、じっと見ている。一人二人でない、視線。
振り向けばそこには、血塗れの幽霊画がある。その目がこちらを見ている。左からの視線もある。そこには歯の欠けた老婆の絵がわたしを見ている。正面を向く。そこには赤ん坊を差し出す女の絵があり、やはり私をみつめている。
恐怖に駆られながらも、戻ることは出来なくなっていた。
私は前に行くしかなかった。
進めば進むほど、視線の数が増えてゆく。視線の檻の中に閉じ込められたような気がする。
絵はどれもこれも嫌な笑いを浮かべてわたしを見ている。見る者・見られるモノの彼我の逆転がそこに起きていた。

ふと気づけば、あんなにうるさかったせみの声もやぐらたての音もいつの間にか完全に消えている。そんなに離れているはずもなく、防音でもないのに。

私はやっと出口についた。振り返る気力はない。振り返れば私は幽霊たちの嘲笑の中に閉じ込められる・・・!
そんな恐れに震えながらやっと廊下に出た。なんと長い道のりだろう。
しかし相変わらず女の子はじゃかじゃか何かを聞いている。それを見た途端、安堵の為に却って足が震えてきた。
境内ではやぐらたてが続けられていた。多分さっきは休憩でもしていたのだ、きっと・・・
ではせみは?せみの声が何故聞こえなくなっていたのかその理由は?・・・

私はめまいを覚えながら寺を出てとぼとぼと歩き始めた。
谷中は八百寺と称されるほどの寺町だから、寺が建てこんでいる。隣同士、斜め、向かい、曲がりっぱな、殆どが寺だ。
そしてどういうわけか、私の行く先々にこんな景色がある。

XX家告別式・OO家通夜・**家葬儀会場・・・・・・・・・
行けども行けども、死者が私を待っている。

炎天下、私は走り出した。走っても走っても寺があり、寺ではどこもかしこも通夜や葬式をあげている。

谷中からどう脱出して深川についたのかは、思い出せない。私は電車で移動する人間だから、乗換えを重ねたのだろうが、予測はついても実感がない。
とにもかくにも二時には深川にいた。下町。川向こうの気さくな町。
安堵した私はてくてくと深川資料館を目指した。
当時は清澄白河駅はなく、私は門前仲町から歩いたのだ。
江戸資料館のそばには小さい商店街がある。不意に豆腐屋のおじさんが私に挨拶する。
私は豆乳を買い店先で飲んでからその角を曲がろうとしていた。
資料館の向かいには白河藩主でもあり、江戸時代老中だった松平定信の菩提寺・霊巌寺という古刹がある。
何の気なしに曲がった私の眼に、霊巌寺が映る。##家葬儀会場としての、姿が。

私は江戸資料館が閉館するまでの数時間をその中で過ごした。
どうしても外へ出れない。
出ようにも足が動かない。職員の方が具合が悪いと思ったか、休ませようとしてくれたが、さすがにそれはお断りして、外へ出た。
五時。もう寺はいつものたたずまいに戻っていた。
夏の夕暮れは遅い。私は暑さを感じぬままふらふらと歩いた。

歌舞伎座に着いたのはそれからしばらくしてからだ。
八月は三部公演制なので六時過ぎから芝居が始まったと思う。
勘九郎、福助、扇雀、富十郎らの怪談話は、慾と執念に塗れていて、大変面白かった。
中でも福助の女房が捨て鉢で苛々しているのが絶品だった。
大詰め、富十郎の亡霊でみんな破滅してゆく。

ぎょっとするトリックもあって、ああ、面白かった、怖かった、と言う声があちこちで囁かれていた。
私はやっと機嫌よくなっていた。
好きな役者さんの演ずる怪談で締めくくった以上は、もう怯えずともよいと思った。
銀座からホテルへ戻る。
工事のシートは貼られたままだ。
入浴したり野球ニュースを見たりして、いつのまにか十二時前になっていた。
しかし、うるさい。

廊下で工事の音が続いている。走っている音もする。子供の足音ではない。舌打ちした私は、文句を言おうと走る音がしたとき、ドアを開けた。
誰も、いない。シンとしている。
ドアを閉める。しばらくするとまた工事の音あるいは誰かの走り続ける音がする。また開ける。誰もいない。すばしこいのか、私がとろいのか、それとも。
窓の外にはボイラーが見える。黒々とした中にボイラーだけが見える。
しかしその音はしない。
音は外を走り回るものか工事のものかしか、しない。

翌朝、私はフロントに訊いた。
「工事って何時までしてたんですか」
「はい、午後五時で終了いたしております」
・・・思ったとおりだ。あれは工事の音ではない。誰も廊下を走りはしない。

以後、このホテルに泊まることはない。

追記:それから何年経ったか、ある夏、私は東京に移った友人にその話をした。
路上で私たちは話す。行く先は全生庵だ。
やぐらはたてられていないし、バイトの子の替わりに透明ボックスがあり、そこに見学代300円を入れろと指示がある。
私たちの前に先客がいた。私たちのような二人連れである。
ボックスの中には百円玉が三個と五十円玉が一個入っていた。

不思議だ。
どう読んでも350円だ。二人なら600円のはずだ。250円足りない・・・はっとなった。
「・・・わかった。どっちかの人が、生きたヒトと違うんや」
「あっそれでか。幽霊はきっと五十円なんやわ」

わたしたちは、納得した。
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コメント
あぁ、面白かったです。と笑って後ろが向けません・・・

明日奈良で、しっかり方々の魂を慰めて参ります。

私はいたって鈍いので、魔界との交信はないのです。でも、そっちの世界があることは、理解したいと思っています。

それにしても、遊行さんの盛り沢山な博識には、恐れ入谷、でございます。
2006/08/14(月) 20:36 | URL | あべまつ #-[ 編集]
あべまつさん こんばんは
いよいよ明日ですね。
こちらにはスルッと関西と言うシステムがあるので、私鉄王国関西はその一枚でどこでも行けます。割引も色々ついてます。
とにかくこちらは暑いので気をつけてください。

あべまつさんが奈良においでの頃に奈良での話を書こうと思います♪
2006/08/14(月) 22:06 | URL | 遊行 #-[ 編集]
真夏の夜の夢ーでしょうか。
今日東京では停電がありました。うちの電気も三分くらい消えました、なにが起こったのかまったく把握できなかった僕です。
それからテレビのタイマーをきちんとセットしたりいろいろ大変でしたー真夏の朝の夢。
2006/08/14(月) 22:22 | URL | oki #-[ 編集]
背筋のぞっとするお話をありがとうございました。特に人形の話は怖いですね。いきなり、そんな人形が目前に現われたら、腰を抜かすのも無理はありませんね。

谷中の三浦坂のそばに父親の実家がありました。父親も子どものころ、何回か幽霊を見たことがあるそうです。私も子どものころ、よく谷中で遊んでいましたが、路地が迷路のように入り組んでいて、怖かったことを覚えています。ひょっと異界に入り込みそうで。お葬式や法事もけっこうありましたしね。
2006/08/15(火) 17:48 | URL | 一村雨 #-[ 編集]
☆okiさん こんばんは
突然の停電は大阪でもニュースになってましたよ。オール電化の家の人が困っている姿が。
本当にコワいのはライフラインの切断ですね。

★一村雨さん こんばんは
人形は誰が聞いても怖いですよね。谷中は戦災を受けていないので古い家などが残っていて、大好きなところです。巨木に取り込まれたパン屋さんとか・・・
2006/08/15(火) 23:25 | URL | 遊行 #-[ 編集]
  曲がりやのシーンを読んだ時、小さな子供が可笑しそうに遊行さんの足を持ち上げる姿が浮かんできました。座敷童子かな?拒絶ではなく、悪戯してからかいたかったようにみえました。

 幽霊絵図は苦手です。心霊写真も…。ああいうものは残しちゃいけない。成仏の妨げになると思います。ああ、何だか急に頭がギュッと鷲掴みにされるようです。ここらで、この回路は切った方が良さそうかな。
2006/08/17(木) 10:40 | URL | 山桜 #-[ 編集]
山桜さん こんにちは
昔、考古学が好きでした。
ところが親戚と友人とがほぼ同時期に「要は人の墓に入るわけでしょ」と言うのを聞いて、少し考えが変わりました。

骨董品も同じです。
古美術は見るのが大好きですが、以来手に取るのは出来なくなってしまいました。
2006/08/17(木) 12:46 | URL | 遊行 #-[ 編集]
TBありがとうございました。
こんにちは
背筋が少しゾッとしましたが、面白く読ませていただきました。
全生庵は、面白そうです!そのように怖い思いをされてもまた足を運ばせるような魅力があるのでしょうね。ますます行ってみたくなりました。
僕は、見えない人なので、残念ながら心霊現象は経験したことがありません。
2008/09/16(火) 12:12 | URL | lapis #e8.b9ePc[ 編集]
☆lapisさん こんばんは
なんと申しましょうか、わたしの友人も二派に分かれてまして、見える人と見えない人とです。
わたしは見えないけど「呼ぶ奴」と言われます。←メイワクモノ。
ぜひこのお寺においでくださいまし。
この界隈は本当に面白いのです。
2008/09/16(火) 22:01 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
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