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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

怪異譚その弐

まだ続きます。
明日の参で終わり。
その6
京都の思い出です。
『きょうと』

比較的京都によく行くほうだと思う。
大体二週間に一度はぶらぶら京都にいる。近いと言うこともある。
高校のとき、ぶつかりあう気性の妹を連れて、何故か清水辺りにいた。
早く帰ろうとしたがライトアップの清水寺と紅葉が大変美しく、薄暗くなるまでその辺りにいた。
親が厳しいだけでなく、まだ京都に慣れていなかったので焦った。
『四条駅への近道』と書かれた看板が揺れる神社に目が行く。
中へ入ると、変なムードである。『悪縁を切り良縁に恵まれる』とある。ふと見れば境内の木に髪の毛らしきものがかかっていた。見間違いかもしれないが、目にそれが焼きついた。
あわてて抜け出ると、妙に壁の高い場所に出た。なにか異様な恐怖心が込み上げてくる。理由はわからない。
足早に妹と二人、行きすぎようとして、看板が目に入った。

『崇徳上皇***』
この文字だけで私たちは文字通り、飛び上がった。
仲のよくない姉妹二人が手を取り合って走ったのだ。

子供のくせにナマイキにも、崇徳上皇が日本の御霊信仰の元締めだと、知っていた。
谷川健一の『魔の系譜』上田秋成の『雨月物語』を読んでいたせいだろう。
ナマイキな高校生はニクタラシイ中学生にも話していたために、二人揃って震え上がったのだ。

やっと建仁寺を越えた辺りで、元は芸妓はんのような『おかあはん』を見かけ、その後をついて歩いて、なんとか河原町にまで出た。
帰宅して親に告げると、あの辺りに住む人もあそこは怖いと言っている、と言われた。
爾来、恐怖は長く続き、数年前まで通れなかった。


別な話。

四年前の七月、北白川にあるヴォーリズの設計したお屋敷が夜のコンサートをすると言うので、友人と泊りがけで向かった。しかし行きに既に彼女は『明日、会社の人のお葬式が』あると言う。東大阪なので、京都を出るのが7時丁度でないといけないと言う。
大丈夫でしょと軽く考えて我々はコンサートを楽しみ、設計家の方とお話しをしたりして時間を過ごした。

ホテル。
帽子のおばさん社長で有名なチェーンホテル。
祇園祭の巡行も終わったからなんもないでしょうと高をくくっていた。
しかし。
例によって例の如く、音に悩まされた。
互いに相手が寝つけなくて寝返りを打つ音だと信じていたが、とうとう三時ごろ声を掛け合った。
互いに相手だと信じていたが、音源は別にある。しかしその正体は不明なのだ。

やはり、その月は避けたほうがよかったのかもしれない。


更にその年の冬。

顔見世興行の招待席をもらった。
カルチャーセンターで仲良しの奥さんの義理のおば様が下さったのだ。
私は翌日昼の部のチケットを当てられ、指示通り南座前の喫茶店で夜の部がハネるのを待っていた。奥さんは別なお友達と夜の部を楽しみ、一泊して昼の部を私と共に楽しむのだ。
観客が出てくるのを待つ私の眼にその二人が映る。
二人は店で夜食をいただき、奥さんと私だけがタクシーでホテルに向かった。
フロントは電話中だったが、いきなりその電話を奥さんに差し出す。
チケットを下さり、ホテルを予約して下っていたそのおば様からの電話なのである。
何回か掛かっていたのですかとそっと訊くと、いえ今が初めてですと言われた。
しかもそこへすし屋さんが来た。明日の観劇のお弁当ですと言う。
これらは皆おば様のご好意と手配による。
が、何故『わかる』のだ。
私たちのつく時間からすし屋の手配から何もかも。何も言っていないのに。

一番コワイのは、京都の人そのものなのかもしれない・・・・・・


その7
博物館での話です。
『お礼なのか』

その日、両国にいた。
江戸東京博物館の企画展と常設をじっくり楽しもうと決めていたのだ。
ホテルは博物館の向かいなので、遅くても焦らない。
大雪のため、電車が止まるという話で、あちこち早々と閉まっていたり、人の姿も少ない。
そのためにいつもは賑わう江戸博の中も、客は私のほかに外人二人だけ、あとは係員と警備員だけ。
『どうぞごゆっくりお楽しみください』
車の通勤なので雪は多分なんとかなる、という係員の声に見送られて私は一人、広々とした『江戸から東京』の中にいた。

本当にじっくり楽しんだ。
ジオラマで定時に動く銀座の煉瓦道や、ニコライ堂のガンガン鳴る鐘の音などを思う存分楽しんだ。
中でも、江戸時代の芝居小屋のからくり装置を見せてくれる『四谷怪談』は以前から私の一番のお気に入りだが、いつもいつもお客さんがいっぱいで、堪能した例がない。
しかし今日は違う。
20分に一度のショー。それを私は四回も楽しんだ。

さすがに満足した私は、誰もいないのを幸いに、舞台の人形に向かって『ありがとう、楽しかったわ』
そう声を掛けて、明治の東京へ向かおうとした。
鹿鳴館の辺りに来たのは、それから五分後だ。

私の耳に『ヒュードロドロドロ・・・』というお化けの出る音が聞こえてきた。
誰もいない展示場だから、音は鋭く私を打った。
飛んで行くと、なんと先の終了後五分しか経っていないのに、四谷怪談がまたもや『公演』しているではないか!
あっけにとられる私の前で最後まできちんとからくりは動き、たった一人の観客を喜ばせるように、終演した。

『ありがとう』と声を掛けたお礼に、異例のアンコールをしてくれた、らしい。


その8
不条理で、不可解な話です。
『何故わかるのだ』

去年のお水取りは、遅くに向かったのでとても二年前のような最前列と言うわけには、いかない。
あの時は火の粉もかぶり、係員さんから杉の燃えさしももらい、わくわく興奮したが今回は遠目から眺めるしかなかった。
火祭りなので外灯も少なく、しかしお客は多いので道に迷うことなく、二月堂へ向かって歩いていた。土産物屋も閉まっていて、まだ七時前なのに深更のような感じがした。
杉の木立の隙間道を歩く。
細い道はせいぜい二、三人が行き違えるくらい。大体等間隔を開けて、みんな黙然と歩いていた。

大阪人のわたしも、仲良しの芦屋の奥さんも静かに歩いていた。
わたしたちの前後には、カップルと三人組の女の人がいたが、皆やはり静かに歩いている。
道の両側と言うより、杉林の隙間を歩いているのだが、そちらには殆ど光は差し込まない。普段からそうなのか、お松明のためにそうしているのかは、しらない。

鹿がいる。
何頭か杉林にたたずんでいる。じっとこちらを見ている。見られる側が見る側に変わっている。
切り株がいくつかあり、そこに一人のおじさんが座っていた。
一休みしているのだろう、と無関心なわたしたちは黙って行き過ぎようとしたのだが、不意におじさんが明らかにわたしたちに向かって、言った。
『・・・大阪人と兵庫人が行きよる』
通り過ぎたわたしたちは顔を見合わせた。
わたしたちは長らく沈黙を保っていたのだ。会話をしていない。なのに、何故わたしたちが大阪人と兵庫人だとわかるのだ。
お水取りにはそれこそ関西だけでなく関東からもお客が来るのに。

おじさんは人の行く道から外れた切り株に座り、鹿と共にそこにいた。
人の群れから外れて、鹿と共にいたのだ。

わけのわからない不気味さを感じた。
それでも二月堂の前につくと、気を取り直してお水取りを見物した。
二年前のような興奮は、なかった。

大勢の人に押されながら、初めて私たちは喋った。あのおじさん、なんでわかったのか、と。
ついて歩かれてたわけでもないのに。

近鉄電車に乗り大阪に戻っても、謎は解けない。私はともかく、奥さんは標準語だったのだ。
それでどうしてわかるのだ。
その日は朝から橿原神宮に行き、天理教の建物を見学に出て、それから大和文華館に行き・・・わからない、何もわからない。

帰宅した私は母にその話をした。
母もそのおじさんのことを不思議だと言うだろうと思ったが、母は静かに私に告げた。
「・・・おじさんより、鹿がいるのがおかしい。鹿は夕方には鹿園に集められてみんなそこにいるはずやで。なんでそんな時間にそんな場所に鹿がいるかなあ」

鹿もおじさんも、謎のまま私たちの記憶に今も留まっている。


その9
お墓参りの話です。二つあります。


母方の地元に住んでいるので、墓参りは自然と母方の先祖ばかりに集中する。
古い家系なので、墓所が二つに分かれ、距離にして二キロ弱なので叔父などはゲンチャでさっと回っている。
私は川沿いの、松や桜の土手のほうの墓所にしか、自分から出向かない。こちらには近い先祖の墓が集まっている。寺の墓地のほうは、ご維新以前のご先祖の墓が集められている。


『崖』

私が八歳のときだった。
オバアチャンの家は駅向こうの天神さんのそばにあり、長い休みになるといつも私はそこで暮した。とはいえ、近いのでいつも家の前を父が通ったり母が買い物を持ってきたりする。だから誰も寂しくもない。
祖母は私を溺愛し、当時まだ独身の若い末息子と三人の気ままな暮らしを楽しんでいた。

私と祖母はその夜、怖い番組を見ていた。
鳥取でタクシーが女の人を乗せると、必ず途中で席から女の人が消え、その痕が濡れている、という話が当時、有名だった。その気の毒な運転手さんがゲストに呼ばれ、話をしていた。
まじめそうなその人の顔は今も目に残っているが、そこへいきなり玄関を開けっ放しにして叔父が飛び込んできたので、私たちは驚いた。
なんだなんだなんだ。
祖母が叱ろうとするより先に叔父が叫んだ。
「出た!」
何が、と聞く前にハッとなった。叔父はとても大きな男だが、全身が震え真っ青になっている。
叔父は言う。

・・・とっくに暗くなってたがいつもの墓なので、さっさと盆の迎え火を付けに行くと、向こうのほうに誰かいる。
へえ、他にも近所の人がこんな時間に来てるのか。しかし、それにしてはあんなところに墓はあったかな。

叔父の言うのは寺の墓地のことで、寺は高台にあり、墓地は言ってみれば切り立った崖上に立つ形になっている。下の道に出るにはぐるっと回らねばならぬ不便さがあった。

叔父の前でその人はそちらへ降りて行った。あそこに道はなかったはずだが、いつのまに出来ていたのか。そうならそこを通れば帰りは楽になる。
叔父もためらいなくそちらへ歩いた。
辿り着いた叔父は絶句した。
そこは崖っぷちで、危険防止のネットが張り巡らされていて、どこにも道などなかったのだ。しかも墓がたて込んでいるので、とてもすいすい歩けたり、身をかがめたりするゆとりもない場所だったのだ。
ではあの人はどこへ?

叔父はどうやって家まで帰ったかわからないという。しかし感心にも迎え火を移した渦巻き線香は手にしている。が、その線香の火で指をやけどしているのにも、気づいていなかったのだ。

以来、叔父は早朝の墓参りしかしなくなり、しかし異常な熱心さで墓参りを始め、ついには全く知らない無縁仏の世話までし、先祖の三百回忌まで数年前には執行したのだ。

その叔父の変容こそが、なにか私には、怖いのだ。


『わたしがか』

先の話もあるように、私は川沿いの墓所にしか自分から参らない。
自宅と会社の間にあるから、ついでによることにしている。
墓地側は松並木と桜が開き、車二台ぎりぎりの長い道路をつけて、立派な護岸をされた川を挟んで、向かいに住宅街と原っぱが広がっている。
わたしは朝はニガテなので夕方に墓参りをする。ツレがその川向こうにいるのでついでに顔を合わせてから行くことが多い。
そうなるといつも薄暗くなっている。しかし慣れているし、川向こうの原っぱには犬の散歩の人々が大勢いるので、高をくくっている。
数年前亡くなった祖母のお墓には特に丁寧に水をかける。その死の直後、よく私の夢に現れては、旅行中だから荷物持っていてねと言ったり、枕元でお弁当を食べたりする姿を見せてくれた祖母なので、こちらもヒトケがないのを幸いに、なんだかんだと話しかけては、水をかける。すっかり薄暗くなっている。
犬の散歩の人々も、影絵のようにしか、映らない。

私は背が高い。
なんとなく、道路に向かって顔を向けた途端、走ってきていた車が操作を誤りかけた。
急ブレーキをかけている。事故は起こらなかった。
こちらをじっと見ているようだが、わたしはどうにもしてやれない。
車はすぐに大急ぎで走り去って行った。

自転車での帰途、ふと考えた。
それを母に告げると、母もそう思うと言う。
そうか、わたしが『そう』見えたのか。
薄暗い中、墓地に立つ背の高い女が・・・。


その10
友達から聞いた話です。
『高野山で』

高校のころ、さる仏教系女子高に通う友人が二人いた。
二人とも林間学校で自分らの学校の本拠地・高野山に行くという。三泊か四泊かは忘れたが、私は行ったことがないので涼しさを想像して、うらやましかった。

帰ってきた二人それぞれの話。

Sは放送部で、本堂で学生全員が読経する間、先生らと共に裏方の仕事をしていた。
えらいお坊さんがリードするのを女子高生が皆揃って続けるから、なかなか荘厳だったようだが、裏方は忙しくてそんなこと、気にしない。
気になるのは、自分らのいる部屋の前廊下の騒音だ。
本堂、壇、その奥に放送の間があり、とても狭いのに、向こうの廊下で大勢の者が走る音がするらしい。
世話役のお坊さんにも『雑音が入る』と叱られたので、彼女は走る奴を捕まえてやろうとダダダダダッと音が入ったときに、勢いよくドアを開けた。
・・・誰もいない。
逃げたな、と呟くとさっき文句を言ったお坊さんがまたもや舞台袖から顔を出し、捕まえるのは無理だからマイクの方向を変えなさいと言う。

「なんでですか」
お坊さんは当然だとばかりに答えた。
「姿のないモノを捕まえることは出来ませんよ」
そのとき、またもや走り続ける音が確かに、その場にいた全員の耳に聞こえていた。


Cは本堂で何時間も読経をしたので足が痺れたし、耳にわんわんと読経の音が残っているので、寝付かれなかったそうだ。
一年から三年まで全員が大きな本堂で寝かされているので、ちょっと寝にくいのもあった。
手洗いに行こうと思ったが、誰も起きる人もいないし、きちきちに布団を敷かれているので歩きにくい。
が、何百人もいる中で他にも手洗いに行こうという人がいないはずもなく、Cのずっと向こうに立ち上がっている人が見えた。
小柄なCはその人の方へ寄っていった。一緒に手洗いへ行こうと誘うつもりだったのだ。
だが進めど進めどその人は遠い。何人もの女の子を行過ぎているのに、まだたどりつけない。

おかしいな、と思ったのは壁についたときだった。
いつの間にか立つ人はいなくなっていた。辿り着く前に出て行ったのか。
いや、ここは壁だから出て行けるはずがない。ではその人は寝てしまったのか。そんなことはない、さっきまでいたのだから。

何の気なしに振り向いたCの目に、向こうの端に立つ人が見えた。
同じ人だと何故か、わかった。
わかった途端、震え上がった。
こんなきちきちの中をいつの間にあんな遠くへ移動できるのだ。
壁際にいた人が、何故いつのまに反対側にいるのだ。
Cはそのまま知らない人の布団の中に潜り込んだ。
小柄だから、そう邪魔にはならない。

結局一晩中眠ることが出来ず、震え続けていたらしい。
朝になり、Cはそこにいた人にその話をした。布団を半分取られていた人はCに親切だった。
周囲の人も全員、親切だった。
「・・・毎年のことだしね」
その言葉の意味を聞くことは絶対嫌だ、とCは私にそっと話してくれた。
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コメント
崇徳上皇
遊行七恵さん、こんばんは。
怖いですね~  と云いつつも楽しませてもらってます。
「御霊信仰」ですけど、私の場合「高橋克彦」氏をよく読んだので、多少は馴染んでいます。
高橋氏の「蒼夜叉」は崇徳上皇絡みのとても気に入ってるお話です。
『わたしがか』は落語を聞いているようでチョット楽しめました。


2006/08/15(火) 22:37 | URL | sekisindho #-[ 編集]
あわあわ…
遊行さんは霊感の強い方なんですか?なんだか凄い数の怪異譚をご存知ですね~
でも私も就寝中、左腕が光の輪に吸い込まれそうになったり、しょっちゅう金縛りにあったり、と色々ありますです。

そういえば、東京にいた頃は哲学堂公園の近所に住んでいましたが、あそこも結構“出る”とのもっぱらの噂でしたよ。
2006/08/15(火) 23:08 | URL | アイレ #-[ 編集]
ところがところが
★sekisindhoさん こんばんは
わたしは高橋さんの小説をコミックス化したものをよく読みました。デキのいい作品群です。
明治になって最初の公式な詔が「讃岐より祟徳院の御霊を京へ」戻せというものでした。
・・・雨月物語の『白峰』を思い出します。

☆アイレさん こんばんは
わたしはあんまりないですよ、妹や友人がけっこうその体質みたいです。で、連中に言われるのです。「あんたが呼んだ!」
うーん、誤解だ~
哲学堂公園には一度行きたいです。いや、おばけじゃなくてそこにある建物とか・・・。
2006/08/15(火) 23:19 | URL | 遊行 #-[ 編集]
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