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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

伊藤彦造 

伊藤彦造。
アメリカではサムライ絵師と呼ばれている。

弥生美術館では彦造生誕百年展を'03に、追悼展を'04に(小企画として)、そして三回忌の今年、特別展を開催している。
高畠華宵との特別な関わりは別とし、夢二蒐集も措いた上で言えば、伊藤彦造ほど弥生美術館で展覧会が開催される絵師は他にいない。
'94には伊藤彦造 エロティシズムとストイシズム
'99にも回顧展が開催されたが、それ以前にも回顧展が開催されていたようだ。
わたしは'91からの会員なので、それ以前の展覧会はあまり知らない。
しかしながら伊藤彦造は知っていた。
これには事情があるのだが、それは後述する。

伊藤彦造は大正から昭和初期に大活躍した挿絵画家である。
本人は画家でなく絵師を名乗った。
それも<憂国の絵師>と署名するような一途さがあった。
これらについては美術館の公式サイトの案内文から多少なりとも読み取れると思う。

伊藤彦造は、大正末、若干21歳にして日本の挿絵界にデビューし、その際立った才能で人々を驚かせ、熱狂させました。
 意表をつく構図の取りかた、魔的な魅力をたたえた美貌の男女、臨場感あふれる殺陣シーンなどの点で、彦造は他の挿絵画家が描きえない境地に達したのでした。
 平成16年に100年の生涯を閉じた彦造の、三回忌にあたる本年夏、彼の作品と生涯を概観する展覧会を開催します。
 彦造は大変に個性的な人物でした。少年時代、真剣を持たせられて剣の修行をしたこと、青年時代、自らの血で絵を描いたことなど、数々の驚くべきエピソードを残した人です。
 特異な才能は特異な人物に宿るのでしょうか?
 本展では、天才彦造の人物像に迫り、知られざる素顔をご紹介します。


今回彦造を知らない人を案内した。
彼女はしかし、「あっ この絵は知っている」と言った。
何で見たかはわからぬが、知っていると言ったその絵は大仏次郎の鞍馬天狗・角兵衛獅子からの挿絵である。img237.jpg



凄艶な美貌、嗜虐と被虐の鬩ぎ合い、濃厚な闇を思わせる黒と清潔な白とが生み出す、極限の地平。
伊藤彦造の絵には絵師の思惑を超えた深い官能性がある。
死とエロティシズムの融合。
当時のファンも新世代のファンも共通して口にする言葉。
400点近い作品に囲まれたとき、強い緊迫感を感じた。その一方で欲望が深まることを感じる。
白と黒のペン画が織り成す世界は、どのような色彩の氾濫をも凌駕する。

わたしは彦造の代表作『豹の眼』の文庫本を所有している。
これは二十年ほど前に手に入れた。
昭和50年頃の講談社からの『少年倶楽部』シリーズ。
わたしは一体いつから昭和初期の挿絵に心を奪われたのだろうか。
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思い起こすと、直接の理由は藤子不二雄の『少年時代』を読んでのことだと思う。
ここでわたしの個人的理由に移る。

わたしはこの名作をリアルタイムに読んでいた。
東京から富山に疎開した少年と、富山の田舎の少年たちとの複雑な心のぶつかりあい。
東京の少年は子供らの憧れ『少年倶楽部』の愛読者で、物語を語ることが出来る。その中で『豹の眼』などが出ていたのである。
たとえば『少年探偵団』は現代でも小学校の学級文庫に必ず置かれている。しかし『豹の眼』や『亜細亜の曙』などを読むことは不可能に近かった。
わたしの意識に『豹の眼』が引っかかり続けた。

やがてその数年後、今度は昭和30年代の『懐かしの少年ドラマ』にわたしは心を惹かれた。
こちらは団塊の世代の叔父がわたしを押しやった為で、わたしは随分詳しくなった。そしてその中でまたもや『豹の眼』である。
ただしこちらは原作とは違う話なのである。
当時なぜか夜中に『懐かしの少年ドラマ』が放映されていた。
二十年後の今もそれをVTR保存しているが、なかなか面白い作品ばかりだった。
わたしは叔父の世代の『豹の眼』と祖父の世代の『豹の眼』を追い始めた。

レトロスペイクティブとでもいうのか、懐古趣味の人も多かったか、わたしはどちらの世代の<ときめき>をも同時に手に入れることが出来た。
そしてそこに伊藤彦造の絵があった
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わたしが熱心に集めているのを見た母が言った。
「おじいちゃん、伊藤彦造の塾に通ってたよ」
え゛え゛っ?1マジですかー。
昭和初期、彦造は大阪に居た。
二十代初期の彦造は近所の青少年に絵を教えていた。
その中に祖父もいたそうだ。
母の実家には彦造の絵がたくさんあったようだが、あれから何十年もの歳月が降り積もっている。
またわたしが受け継ぐ権利もない。
朽ち果ててゆくだけなら、無念なのだが。

こうした前哨戦があってから弥生美術館の会員になった。
体系的に挿絵を見ることが出来る美術館。
四半期ごとに特別展が開催される。
生真面目に彦造が描く妖艶な剣士たち。
自ら意図せぬ地点での高い評価を彦造はどう思うだろう。
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彦造は町田市に住まい、そこで百歳の長寿を保って世を去った。
絵筆は既に四十年ほど前に折っている。
そして八十年近い昔の作品が、観る者をいまだに魅了する。
わたしは息を止めて彦造の剣士をみつめる。
彼らはわたしを見ないけれど、わたしは彼らをみつめる。
熱心に、一途に。

彦造のファンであることは、一種の試練を与えられたと言うことかもしれない。
どうにもならぬほどの深い悦楽が、欲望からではなく禁欲に根ざして生じている。
その自己撞着をどうするか。
どうにも出来ぬのである。

わたしたちはただ伊藤彦造の絵の前に佇むしかないのだった。
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