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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

近代洋画の巨匠たち 泉屋分館

一枚のチケットで三つの展覧会を楽しませてもらった。

泉屋分館の洋画を見た。
京都の本館ではあまり洋画展は行なわれない。
だからわたしは住友所有の洋画はここで見ている。

藤島武二「幸ある朝」 一通の手紙が喜びを齎す。カレからなのか友人からなのかそれとも招待状かもしれない。
山下新太郎「読書の後」 以前ブリヂストンでこの画家の展覧会を見たとき、その人となりや家族との関係を知った。温かな家庭と友人たち。
そうしたぬくもりや温和なものが画家の作品にも表れているように思う。
和田英作「こだま」 耳を開く女。森の中、彼女は何を聞くのか。この作品を見ると鹿子木孟郎「インスピレーション」と吉田博「精華」を思い出す。
森の中、正体の知れない女がそこにいることの、不思議。

日本人を描いた洋画にもよいのが多い。

岡田三郎助「五葉蔦」 涼しそうな着物。しかしこの女は三郎助にしては珍しく丸顔だ。いつもは細面の少女のような女が多いので、珍しいと思う。
カフェ・プランタンの松山省三「芝居茶屋の娘」 彼の息子も孫も役者になったが、この絵を見るとなんだかその理由が納得できるな。
渡辺ふみ子(亀高文子)「離れ行く心」、渡辺與平「ネルの着物」 
美男美女の夫婦。これは與平が出産直後の文子を描いたもの。
img254.jpg

以前芸術新潮で工藤美代子氏が会津八一の評伝を連載していて、その八一が焦がれた相手が文子だった。
しかし文子は八一の求婚を退けてオトコマエの與平と婚姻し、死別後も八一を受け入れなかった。
執着と拒絶と。絵から人間関係を思い出してはいけないのだが。

岸田劉生「麗子六歳之像」、「二人麗子図(童女飾髪図)」 麗子のドッペルゲンガー。
この絵には北方ルネサンスの重厚さと東洋の不条理な滑稽味とでもいうものが併存している。
二人の童女は実は喜寿を越えた老女なのかも知れず、あるいは人間でさえないのかもしれない。
しかしここにあるのは静かな楽しさでもある。
img256-1.jpg


小磯良平「踊り子二人」 個性の違いがあるから確定は出来ないが、多くの人は劉生の麗子より小磯の娘たちを選ぶのではないか。
万人の好む清楚な美しさが小磯にはある。
わたしは子供の頃劉生と小出楢重が気持ち悪くてイヤだったが、今では好きだ。しかし小磯の絵は最初から好ましい。
バレリーナと言えば<ドガ>というイメージがあるが、日本人の洋画家では小磯と鬼頭鍋三郎が多く描いている。
踊る姿より、くつろぐ姿や、バーレッスンの姿などである。誰もがテレプシコーラというわけでもないので、こうした<情景>に惹かれるのかもしれない。

わたしはどうも美人画が好きなので婦人像ばかりあげている。
そうではない名画も無論ここにある。

坂本繁二郎「二馬壁画」 これはの300号の大作で、この絵の発表展も開催されたそうである。
靄という字が浮かぶ。いつも坂本の絵にはそのイメージがある。もあもあしている。和やかな霧の向うに佇む馬たち。
坂本は過激な友人・青木と違い、穏やかな作風で天寿を全うした。
「自分はいなくても日本洋画の歴史は変わらぬが、青木がいなかったら歴史は変わった」
坂本の言葉を時々思い起こす。

熊谷守一「野草」「鴨跖草(つゆ草)」 青いから露草だとわかったが、こんな漢字も当てるとは知らなかった。lapisさんにもおしえてあげよう。
ときどき熊谷の絵を今ハヤリのぬり絵でなく、嵌め込みパズルとか木目込みとかで二次創作したくなる。

梅原龍三郎「北京長安街」 これは世評高い北京シリーズ一枚なのだが、梅原北京は現実の北京よりずっと天空に近い気がする。
梅蘭芳をもじって梅原龍メイグァンロンと名乗って舞台に立とうかとジョークを飛ばす梅原。
若い頃の自画像「ナルシサス」。梅原は好悪を越えて、楽しい。

岸田劉生「自画像」 この変な帽子はなんなのだ。六十前に娑婆からオサラバしたのに、なんでこんな帽子をかぶっているのだ。
ナゾだ。自己愛が強いくせに。

曾宮一念「ザボン」 幼稚園のとき、ゲンゴくんが夏休みに田舎でジイちゃんと採ったから、と持ってきたザボン。
巨大だったなー。とにかくザクザクに切って一口ずつもらったのだが、大きかったなー。
何年経ってもザボンと言えばこのことしか思い出せない。
ゲンゴ君のフルネームも忘れているのだが。
黄色い楕円に近い柑橘類。
作者も作品も知らないが、前述の文子の絵を出そうとして、この画家が秋艸道人の仲間だったことを知った。

岡鹿之助「三色スミレ」 この人の点描を見ているといつも感じるのは<静謐>である。
きれいな薄青地にキウィ色のパンジー。花だけ見ているとなんとなく打吹団子や言問団子を思い出す。
おいしそうで可愛らしい色合いなので。

小杉放庵「金太郎遊行図」 これは'42年の作で、熊に乗った金太郎が帰る姿。熊の首にはアケビが飾りか手綱のように掛けられている。
金太郎は葡萄と一緒。うさぎもにこにこ。
この絵の親戚「金時遊行」は出光で見ている。
機嫌よく躍っていて手を野球のツーアウトの形にしている。
画像があるので出すが、出来たらこの泉屋の金太郎も欲しいものだ。
ああ懐かしの出光大阪よ・・・img255.jpg



外国人の絵に移る。

今回チラシにもなっているモネの「モンソー公園」は分館の目玉の一つのようで、わりとよく現れる。
まだ睡蓮や麦わらを描く前の作品らしい。この公園、行ったことないのだが散歩したくなるような公園だと思う。
わたしの家の前には総合公園があり、薔薇や躑躅が有名だ。初夏から夏は丁度こんな感じになる。
絵の中の人物になりきって歩いてみようか。
img256-2.jpg


鹿子木孟郎の師・ジャン=ポ-ル・ロ-ランス「マルソ-将軍の遺体の前のオ-ストリアの参謀たち」 初見。
なかなかハンサムな将軍なのよ。物語の背景はどうもナポレオンのアウステルリッツの戦いらしい。
ここら辺にわたしの不勉強がにじむな。ナポレオンが生涯に何度戦争したとか、どんなことがあったかとかきっちり知っておかなくては。
「年代記」(1906年) なんでわざわざ年代を入れたか(タイトルがそれだからというのではないよ)。
百年前の絵にしてはちょっと古いな、と思うのは当然で、アカデミズムの最たる人が描いた作品だからこんなに重々しく古いのだ。
フランスのアカデミズムがいつから状況が変わったかは知らないが、百年前はこうだったという見本のような作品だった。
日露戦争の後か。


タイトルに浅井忠の名があるわりに、浅井忠の絵のことを何も書かずに、ここで終わる。
本日二本目の記事でした。
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コメント
二人麗子図には、ホラーテイストを感じてゾクゾクしました。

モネやジャン=ポ-ル・ロ-ランスの展示はちょと場違いな感じがしました。

ここで絵を見るのは初めてなんですが、絵は東京のほうに
収蔵しているのでしょうかねぇ。
2006/08/29(火) 07:21 | URL | 一村雨 #-[ 編集]
一村雨さん、どうも絵は大方こちらにあるようです。
京都にある絵は大和絵がメインですね。
佐竹本・上畳本三十六歌仙、是外房、洛中図など。
泉屋本館は当分改築でお休みなので、分館でも大和絵が出るかもしれません。
2006/08/29(火) 22:05 | URL | 遊行 #-[ 編集]
遊行さん、こんばんは。
岸田劉生も梅原も少し苦手かもしれません。
ともに凄い画家だとは思うのですが…。

洋画は分館に所蔵されているのですか。
とするとまだ出て来る機会があると言うことですね!
程よいスペースでの、程よい絵の展示。
ここで拝見すると、心なしかいつもよりゆっくり絵を見ているような気がします。
2006/08/30(水) 00:13 | URL | はろるど #GMs.CvUw[ 編集]
東京という所まで出かけて、展覧会という名の海に、若さ、体力気力とも余裕たっぷりの、遊行七恵さんの投げた網が、如何に大漁だったかヨクヨク分かります。

私は、読ませていただきながら、相変わらず右往左往するばかりです。

岸田劉生の絵を見る度にモデルになった娘は大きくなって、あの絵をどう思ったのだろうと思うことがあります。気味が悪いだけで、とても美しいとは思えませんもの。
金太郎さんの絵、可愛いですね。
2006/08/30(水) 10:29 | URL | red_pepper #-[ 編集]
☆はろるどさん こんにちは
この分館は場所も空間もよいところですよね。
わたしは東大前から飯田橋経由して六本木一丁目というコースをとることが多いです。(その間にいろいろ)
梅原も劉生も、濃いですね。
はろるどさんが工芸館や大倉の建物がニガテなのと同じことかも、と思いました。

★red_pepper さん こんにちは

麗子さんが大人になられたときの写真とエッセーを読んだとき、う~む~とうなったことがあります。
しかし麗子さんは案外早くなくなられています。
「16歳の麗子」を見ました。
麗子さん、細面になっていました。
金太郎はカワイイです!笑顔がいい感じ♪
2006/08/30(水) 13:04 | URL | 遊行 #-[ 編集]
岸田麗子像
私は和歌山県在住で、岸田麗子さんが結婚されて、和歌山市の住人であったことを最近知りました。
岸田麗子さんの次女、岸田夏子さんは今も画家として活躍されています。
岸田劉生の傑作を見させていただいて、感謝の気持ちでコメントいたします。
お金のないわたしは、ヤフー・ブログに架空の「悠々美術館」を開いています。
2006/11/03(金) 19:02 | URL | 悠々美術館 #-[ 編集]
悠々美術館さん こんばんは

和歌山城のところの美術館に一度行った事があります。
あの美術館もいい展覧会の多いところですね。
岸田夏子さんのことは知らなかったので、教えていただきありがとうございました。
なんでも勉強ですね。

またお邪魔させてもらいます。
2006/11/03(金) 23:12 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
麗子さんがなぜ亡くなられたのか,ご存知ですか。
新宿に私の実家があるのですが、その近くに麗子さんのアトリエがありました。そこで幼稚園頃私は麗子さんに絵を習っていました。犬を書いて、それを目の前で直しながら話して、キャラメルを一ついただいて、スキップしながら、帰ったのを覚えています。紙からでてしまうひまわりを見て、「~ちゃんのひまわりは大きかったのねぇ」と展覧会にその絵を選んだり、近くの明治神宮に出かけて写生している時、緑の木を赤く塗る子だったのですが、それを咎めることもなく、「~ちゃんにはこの木は真っ赤に燃えているような木だったのね」とかのコメントをいただいたのを今でもはっきり覚えています。幼稚園なのに、いくつかの記憶が今でもはっきり残っています。それも、彼女のエキセントリックな風情からだったのか・・髪が黒々膨らんでいて(、お化粧もきちんとされていたよう。庭に面した広いアトリエも今は私の記憶の中だけ。それこそ、一期一会、大切な思い出の一つです。
2007/07/03(火) 14:18 | URL | カシーナ #-[ 編集]
カシーナさん こんばんは
中公文庫でしたか麗子さんの随筆がありましたが、そのとき初めて麗子さんの実像に触れたような気がしました。
著者近影としてそこにあったお写真は立派な大人の麗子さんで、しかしながら父親の描いた絵の面影も宿した方でした。
そんな方と実際にそうした触れ合いがあったとは、まったく素晴らしいことです。今こうしてコメントをいただいたことで、次にどこかで麗子像を見れば、カシーナさんの書かれたエピソードが心に浮かんでくるだろうと思います。
2007/07/03(火) 22:23 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
今外国暮らしですが、今度実家に戻った時に、当時麗子さんの写真を送りましょうか。子供たちと一緒に写生をしている写真がいくつかあったと思います。アトリエは洋風なつくりで、写実をするための材料、キャンバスなどが壁を埋め尽くしてありました。それから、アトリエに行くのに草木を手で分けながら歩いていったのもはっきり覚えています。何の草だったのか。姫じょおんの様な私の背半分くらいはあったような草花でした。そんな昔の思い出を子供ながらにはっきりと覚えているのは、やはり彼女の子供に対する思いが伝わっていたからなんでしょうね。毎週一回の絵のお稽古が楽しみでした。今、油絵、写真、フィルム、広告代理店とそれなりの絵心がそなわったのも、麗子さんのおかげかもしれません。岸田劉生同様、大きいもの、小さいものを含めて多大なるものをこの世に残して去っていかれたんですね。
彼女はどんな絵を描かれましたか。どこかのサイトで見られますか?ご存知だったら、教えてください。今になって彼女のことを知りたくなりました。
2007/07/24(火) 07:30 | URL | カシーナ #-[ 編集]
その当時の麗子さんの写真を見たら分りますが、麗子像を気持ち悪いと言ったら、失礼ですよ。いとおしい麗子さんをそのまま全然誇張もせずに、劉生はそのままを描いたんだろうと思います。目が細くて、顔幅があって、色が白くて、60年代特有の髪がボワッとしたボブでしたね。子供の記憶にはっきり残っているくらいです、かなりおしゃれな、個性的な人でしたよ。
2007/07/24(火) 07:41 | URL | カシーナ #-[ 編集]
カシーナさん こんばんは
間近で麗子さんの優しさ・素敵さに触れられ、それがすばらしい記憶と背骨になっているのを感じます。
麗子さんの作品を調べてみましたが、数年前尾道白樺美術館で展覧会があったことしかみつけられませんでした。

まだ企画中ですが、麗子像ばかり集めたweb展覧会を秋から冬頃に起こしたいと思います。そこで色んな麗子さんを見れたらと思っています。
2007/07/24(火) 22:22 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
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岸田劉生の二人麗子図

泉屋博古館分館と大倉古集館へは展示品が変る度に通っているわけではないが、展覧会の
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