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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

日高川絵巻(賢学草紙)を見る

京博へ行くには京阪に乗らねばならない。
阪急から乗り換えて京阪四条のホームに立つと、電車が滑り込んできたのでそのまま乗った。
読んでいた本に夢中で、気づけば七条を越えて、地上に出ていた。
東福寺。
あわてて隣のホームへ走り、次の電車で七条に出た。こんなこと、初めて。

今日は秋分の日だからか第四土曜日だからか、無料で、とても人が多かった。
お彼岸だから近所の大谷本廟におまいり帰りの人もいた。
特別展は来月から。今は常設展と特集陳列ばかり。

仏像がニガテなわたしは順路を違えて二階へ上り、最初に七宝焼きを見た。
大方は細見美術館が所蔵する古七宝の引き手や釘隠しなど。
梅や夕顔の、きれいな七宝。
中学の頃わたしはクラブで七宝焼きを焼いていた。有線七宝の方。
ここにあるのはそれとは違う技法だった。

それから子どもの着物、化粧道具の蒔絵の数々、近代中国の画家・斉白石の特集陳列があった。
わたしは逆から回っている。
なんとなくそれが楽しい。

今日は絵巻物を楽しみにやってきた。
喜界が島から帰京した話、遊行絵巻、真珠庵の百鬼夜行。可愛いツクモ神たち。
それから安珍清姫ではない、異本の日高川絵巻。
これを見たくてここへ来たのだった。

御伽草紙の中に『賢学の草紙』という物語がある。
道成寺縁起の異本で、三井寺の僧・賢学と遠江国橋本の長者の娘・花姫を主人公とする。

賢学は道心堅固なため、占いで<女と結ばれる>と聞かされて、その相手を刺しに行く。
小さな少女の胸に突き立つ氷の刃。後を振り向きもせず、去る男。
もうこれで占いは成就しない、と信じ、安堵する。
仏道に精進するために、罪なき少女を手にかけて。
しかし清水寺で二人は宿命の再会を果たす。
そうと知らず結ばれる二人。しかし女の胸の傷を見て、宿世の恐ろしさを悟る賢学。

開かれた絵巻はこの閨の情景から始まっていた。
元々こうした話は中国の聊斎志異にもある。月下氷人の故事にもあったように思う。

悪縁は解けぬままである。平安中期以降、信仰人気の場が清水寺に移っていたが、ここの観音は人間の運命をその掌に握っている。

閨では女は嬉しそうに微笑んでいる。ピンク地に花柄の衾。ねそべる娘はもう少女ではなく女の顔で笑っている。
しかし男は瞑目し、予言が成就したことの恐ろしさを沸々と感じている。
今から始まる女と、たった今終わってしまった男と。
これは普遍的な情景なのかもしれない。

男は僧であることに立ち返り、二人の悪縁を語って聞かせ、女のもとを去ろうとする。
その男の袖を掴み、ただただ泣く女。
男の論理がなにほどのものだろう、なぜわたしを捨てるのか。
二人の過ごした部屋の外には真っ赤な撫子とユリが咲いていた。
女の流した血のような、赤い色の花が。

男は那智の滝に打たれている。
罪障消滅というよりも、悪縁を払うための禊。
しかしその男のそばに女が泣きながら佇んでいる。女の怨み。
しかしこの女は生霊なのかもしれない。

絵巻は更に進む。

現実か幻かわからぬまま、男は旅をする。女の存在を感じつつ。
日高川に着き、渡し舟に乗ると、女が追ってきた。
船頭が女を乗せずに岸を離れると、女は川へ身を躍らせた。

12nidaka01.jpg

女の首が<立った>と思えば、その身は大蛇になりつつある。
船頭も焦り、男も必死で数珠をまさぐる。
この絵の女の顔は諸星大二郎の描く安徳帝に似ている。
世間も理性も信仰も捨てた女。
ただただ男を追わねばならないと言う思いに衝き動かされている。

女の身体は段々と完全な大蛇になりつつある。
ウロコから炎が立ち上り、その火を纏いながら水を進む。
男は「南無三宝」と叫び祈りつつ、必死で逃れようとする。
船頭もまた仰天している。
12nidaka02.jpg

詞書の後、ナマナリになった女の顔を残した大蛇が男の逃げ込んだ鐘に巻きついている。
憎しみより、ナマナマしい愛しさを感じる。

12nidaka03.jpg

ついに鐘は微塵に砕け散り、龍になった女は両手でしっかりと男を捕まえる。
龍の爪が男を抱きしめている。歓喜。
恨みはもう消えている。怒ってなんかないのよ、あなたとこれから一緒なんだから。
女は目を閉ざした男を離すことなく、川底へ共に沈んで行くのだ。

12nidaka04.jpg

男を焼き焦がし、しかし手に入れることが出来なかった清姫は血の涙を流すが、この龍は金色の目を喜びに満たしていた。
男はもう生気のないヒトガタのようにぐったりしている。

見ることが出来て本当によかった。
わたしは歓喜する女が見たかったのだ。
たとえ男が半ば死んでいようとも、自分が異形のものに成り果てていようともこの女は決して悔いることはないのだから。

陶淵明の詩にこうした一節がある。
<物に同じくも既に慮ることなく 化し去るとも復た悔いず>

わたしはそんな女が見たかったのだった。
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