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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

人間国宝の手仕事

工芸の粋を見た。

機械による狂いのない成形品はいくらでも生まれるが、人間の手に拠る工芸品はいくら同じように作っても全く同一のものは、ない。

国立の博物館・美術館で現代の人間国宝の展覧会が開かれている。東京では三輪壽雪、奈良では北村昭斎の回顧展が開催されている。その二人の作品が一つの会場で見られた。京都高島屋の『人間国宝展』で。

日本の工芸は明治維新の際、一度死に態になったと言ってもいい。当時の世相から棄てられたのだが、その後の努力により伝統工芸は今に命を繋いでいる。

芸と違い工芸品の場合、作者が世を去っても作品は後世に残る。しかし演者の場合、それは追憶でしか見ることは出来ない。いくら映像として残していても限界がある。会場には様々な分野の工芸作家の作品が並んでいた。
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陶芸では 富本 憲吉の皿が出ていた。呉須のような色合いで描かれた、多分安堵町の風景。先日大回顧展を見てから富本への視線が変化したように思う。

荒川 豊蔵  志野・瀬戸黒 豊蔵と唐九郎はよく比較されている。ライバル同士なのかもしれない。わたしは豊蔵の焼き物の方が好ましい。どちらがどうということではなく、これは趣味の問題なのだ。

石黒 宗麿  鉄釉陶器 機会がなくてこの人の作品をまとめて見たことはない。こうした展覧会でしか見ていない。見るたびいつも思う。この人の作品はどこにも属していない、と。それがいいことかそうでないのかは、わからない。

浜田 庄司 民芸陶器 浜田の作品を見ると、彼のいた時代が<かれら>を求めていたことを、強く感じる。好悪を越えて日本の歴史に存在する。河井や浜田の民藝風の作品にはそうしたリスペクトがある。

十四代 酒井田 柿右衛門   色絵磁器 子供の頃から伊万里や有田に囲まれていた。大阪の古い家には伊万里や有田が転がっていたのだ。わたしの母は伊万里と有田には深い執着がある。古九谷にも。母は14世という個人の作を越えて、普遍的な作を好んでいる。しかしそれでもこの14世柿右衛門さんはええなぁ、と口にする。 個と全との相克を超えて。

吉田 美統  釉裏金彩 きれいだった。一言で表現するなら「きれい」この言葉が浮かぶ。理屈も何もなく。

三輪 壽雪(十一代 三輪休雪) 萩焼 正直に言うと、田舎饅頭のふわふわおいしそうなイメージがある。お名前を見ただけで上等な和菓子みたいでうれしいわ、とか口走りそうになる。実感。おいしそうー!

田畑 喜八 友禅 5年前にやはり高島屋で個展を見た。わたしは着物は派手な方が好きだ。粋な江戸小紋より派手な友禅がいい。以前見たとき黄色い着物に惹かれた。山吹色の着物が欲しい。これはただの欲望。

志村 ふくみ 紬織 この人の仕事ぶりをTVで見ていた。この人と芭蕉布の平良 敏子さんは本当に、一心な仕事をしていると思った。『石の上にも三年』と言う言葉は『一心の上にも三年』だと言うのを、本で読んだことがある。昔、ちょっと感動した。山本鈴美香の作品で読んだ言葉。

松田 権六 蒔絵 チラシにあるこの作品は本当にかわいい。いや大体松田権六の作品はどれもこれも好き。可愛くて可愛くて。日本人の感性の根源にあるもの、それを松田権六は実体化している。

北村 昭斎の螺鈿にも同じことが言えるこちらは奈良国立博物館のチラシ。眩暈がするほど精巧な世界。
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こうした技能を持つ人があるからこそ、いにしえの美は保たれるのだ。

磯井正美 蒟醤 きんま、と読む。蒟蒻の蒟に醤油の醤でキンマ。東南アジア辺りから発生した技術ではないか。どういったものかというと、

「漆の塗面に剣という特殊な彫刻刀で文様を彫り,その凹みに色漆を埋めて研ぎ出し,磨き仕上げるもの」とある。なぜかキンマという言葉と実物は知っていたが、改めて対すると、また色々な感想が湧いてくる。ここにあるのは雀の可愛い姿。こうした工芸品には本当に可愛いものが棲んでいる。

技術と言うのは凄いものだと思う。

塩多 慶四郎 髹漆 わたしがこの記事をupする前に亡くなられてしまった。作品を見たばかりなので 悲しい。ご冥福をお祈りします。

初代 魚住為楽 銅鑼 まことに失礼ながら、銅鑼も工芸の一つとは思っていなかった。軽視していたのではなく、out of 意識だったのだ。すみません。

それから日本刀 えらく長い刀が出ていた。佐々木小次郎が使えそう。そんな感じの刀。

前 史雄 沈金 二つの箱が出ている。竹やぶを描いたものと桜さくらサクラ・・・うっとりするほど綺麗だった。

平田 郷陽 衣裳人形 母子の情愛を感じる作品。熊本で色々見たように思う。

堀 柳女 この人の人形はまた福福しい。img375.jpg

しかもなんだか悪いことをすると叱られそうな気もする。

林 駒夫 桐塑人形 京都で見る機会が多い。なんだか微笑ましくて好きだ。こうした人たちの人形を前にすると、こころが清くなる気がする。

和紙にも驚いた。越前奉書、名塩雁皮紙、土佐典具帖紙。水が違うと紙も質が変わる。しかし申し訳ないが見た限りではその微妙な違いと言うのはわからない。使うことで初めて知ることなのかもしれない。

江里 佐代子 截金 去年の泉屋分館で見た人だ。繊細で音楽的なものを感じた。
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吉田 文之 撥鏤 今年の正倉院展に出陳する撥鏤の精巧な模造品を拵えた人だ。
本物はこちら。img376.jpg

実にすばらしい。人間の手と言うものは本当に凄い。技芸神に入る。

日本の技術はこの先も決して失われてはならぬものだ。
つくづくそう思った。


最後になるが、文楽の人間国宝・吉田玉男氏が亡くなられた。

わたしは三業のうち浄瑠璃が好きなので人形についてどうのこうの言える立場ではないが、玉男丈の人形は動きに実感があった。

目を鎖しているときの静けさ、呼吸まで感じる。

それは舞台の上だけではない。

たとえば正月などで菰樽を開くとき、人形の手が小さな金槌を握り<せーの>でカチ割る。人形はちょっと照れたか、手拭で汗を拭う。―――その一連の動作。

遣うのは玉男丈なのに「わしは知らんがな」という無表情のままで、それがまた楽しく思えるような人だった。

無論それが文楽の人形遣いの技能なのだが、にじみ出るおかしみがあった。

私が最後に見たのは、どの公演だったか。去年以前での公演だと思う。

大きな人形遣いだった。
頭巾かぶって70年以上、ご苦労様でした。
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