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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

忠臣蔵の日なので

12/14と数字で書けば重みが減る。しかも横書きだからこの日が何の日かどうでもよくなるかもしれない。
この日は吉良邸討ち入りの日つまり忠臣蔵の日なのだ。
義士の日ともいえるし、吉良上野介氏の命日ともいえる。

ところでこの二日前の十二日は天下の大盗・石川五右衛門が捕らわれた日で、この日に日付を短冊などに書いて戸口や窓に貼ると盗人避けになる、という関西の古い風習があった。金沢辺りにまで及んでいるが、今では殆どなくなっているだろう。
吉良邸にも貼っていればどうなったろう…

目白の永青文庫で2月末まで『赤穂義士御預始末―元禄』という展覧会が開かれている。
http://www.eiseibunko.com/exhibition.html
これは永青文庫が細川家の宝物や歴史を母体にする美術館だからこそ開催できる展覧会なのだった。
その<事件>当時、細川候は綱利の時代だった。
このお殿様はことの原因の浅野候と仲良しさんだったようで、事件以前からよく書簡を往復させていたらしい。
浅野候お気に入りの小姓を手放した方がいいとか、そうしたわりとプライベートな内容も多い。(浅野候はごねている)

展覧会の概要はこんな感じです。

本懐を遂げた赤穂浪士47名は沙汰が下るまでの間、毛利・水野・松平・細川の4つの藩にお預けとなりました。細川家は大石内蔵助を筆頭に17名を預かり、2月4日の切腹は細川家中屋敷で執り行われました。この展覧会では、細川家中の接待役、堀内伝右衛門による義士たちとの対話を記録した「赤城義臣対話」(堀内伝右衛門覚書)、大石の切腹を写した絵巻「義士切腹之図」、他藩の対応を記した唯一の文書「松山(まつやま)侯(こう)赤穂(あこう)記聞書(きききがき)」「府(ふ)中侯留書(ちゅうこうとめがき)」、大石内蔵助自筆書状など、細川家に伝わる記録類で討ち入り後の顛末を中心に赤穂義士の実話をたどります。
展示点数約40点、会期中の展示替えはありません。


面白い展覧会だった。
とにかくよく知られているように討ち入りは江戸の住民に圧倒的に支持された。
上から下までみんな熱狂。
それで各大名家が義士たちを預かるや、そこのお殿様は一応幕府にお伺いを立ててから、歓待した。
その記録がここに残されている。
細川の殿はもともと浅野候と仲良しさんだった上に、主犯の大石内蔵助と高田馬場の助太刀で大人気の堀部安兵衛らを預かったから、舞い上がったらしい。
考えれば退屈だったのだ、この時代。
細川候は義士たちを国賓待遇にし、その食事も殿様自ら台所方へ指示を出し、二汁六菜とか贅沢なおかずを出したりした。
すると義士側から「長らく浪人暮らしをしていたからおかずが多いです」と申し出もあったりしたようだ。
それらを記録魔とでも言うべき堀内氏が克明に記している。その堀内文書が今回の展覧会を支えている。

赤穂浪士は泉岳寺に葬られているが、無論その前に切腹している。
切腹場所はお預かりの各家で行われたが、その後の<始末>がすごい。
細川候は彼らのいた部屋をそのままの状況に残して、一般公開した。
他家では畳から障子から調度品まで入れ替えたりしたが、我が家は違うゾと言った。
つまり、彼ら義士たちは我が細川家の守り神になられたのだ、と。
……たいへんポジティブなお殿様である。
確かに赤穂では今も大石神社があり彼らは神様になったが、細川候はその直後から彼らをホトケではなく神様だとみなしていたのだ。
そのおかげか、細川家は現代まで立派な家系を保ち続けている。
御霊信仰とは微妙に異なる線を走っているが、日本的な思想のもとでの信仰だと思う。

展覧会の解説も、殿様のウキウキぶりにちょっと皮肉な視線を向けているが、おかげでこんなに興味深い展覧会が行われているのだ。
わたしみたいなお客は大喜びしている。

忠臣蔵の当事者たちの物語は多くても、その周辺からの視線のものは案外少ない。
芝居なら『松浦の太鼓』や『土屋主税』などがあるし、その当時の学者たちの残した日記などもあるが、なかなか手に取れない。
だから今回の展覧会は大変に面白いものだと思う。
2月末までだからもう一度行こうかという気になる。

これはわたしの持つ絵葉書の大星。なんとなくこんな感じで。

img576.jpg

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コメント
行ってきてしまいました。。。
こんばんは。
今日この展覧会行ってきました。
たまたま時間があいたのは
天の思し召し。アリガタヤ。

いやー面白かったですね。
遊行さんの仰る通り、退屈な時代には
これはある種「お祭り」のようなもの
だったのかもしれませんね。
2006/12/14(木) 22:49 | URL | Tak #JalddpaA[ 編集]
Takさん こんばんは
行かれましたか!
早速そちらへ遊びに参ります。
資料から読み取れることは、忠臣蔵人気への納得ですね。
2006/12/14(木) 23:05 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
細川の殿様は代々はずれがないので有名なのですが、まぁ、中には変わったのも居たようで。
そう言えば、政権を途中で投げ出した殿様もいましたね。投げ出さなかったら、世間の様子も変っていたろうに。

と、言う事で、最近は吉良派です。(笑)

吉良の殿様って、たどれば源氏ですよね。
2006/12/16(土) 01:08 | URL | 鼎 #PgtEBqSc[ 編集]
鼎さん こんにちは
>投げ出さなかったら、世間の様子も変っていたろうに。

なんでも今は「陶工」だそうですよ、政権放り出してからは悠々自適とは、羨ましい限りです。

吉良さんは名士中の名士ですからねえ。清和系でしたか。
前に淀川長治氏のエッセーで笑いました。
「慶応ボーイの吉良さんは田舎モンの浅野君が大嫌い。浅野君ちの番頭が栗でも塩でもプレゼントしたらよかったのに」
日本の贈答文化に背くからあかんのですね。(笑)
2006/12/16(土) 11:58 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
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