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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

揺らぐ近代

ギョッとする近代、だと思い込んでいた。
本当のタイトルは『揺らぐ近代』日本画と洋画のはざまに。
既に東京で開催されたものの巡回。交代のように都路華香の展覧会が東京で開催されている。
この日わたしは朝から京都にいて、まずこの展覧会を近代美で、向かいの市美術館で『春を待つ』、七条の京博で『御所の障壁画』、えきで山種からの『富士と桜』、文化博物館で『日曜美術館の30年』を見て回ったのだ。
それで一日見て回った後に気づいたのが、『揺らぐ近代』と『日曜美術館』が意外とつながっていることだった。
一緒に感想を書いても差し障りないかもしれないが、状況が異なるのでやはりやめよう。
混乱する可能性もある。なぜか?
・・・狩野芳崖の『悲母観音』の本絵が『揺らぐ』に、下絵が『日曜』に出ていたからかもしれない。
一日で同じ作品の完全版と下絵が見れたのはラッキーだったが。

朝日新聞友の会カードで団体割引になり、機嫌よく近代美術館に入った。
京都のチラシと東京のチラシ。
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東京展の方がキワモノぽくて惹かれるが、京都のこの絵もバイオリンと尺八の合奏と言うことを考えれば、展覧会の<本質>を深く表しているように思う。
・・・ということを書いてから、美術館のサイトをのぞくとこうある。
当館では、この展覧会を告知するポスターに、迷うことなく彭城貞徳(さかきていとく)の《和洋合奏之図》(1906年頃、長崎県美術館蔵)の作品を選びました。正装のいでたちでヴァイオリンを弾く女性、そして尺八をふく男性を描いたこの作品には、音楽の世界における「洋楽と邦楽」のコラボレーションが示され、それはまさに「日本画」と「洋画」の交流とも響きあっているでしょう。そして、ヴァイオリンと尺八による耳にしたこともないような合奏を、演奏者にはさまれて、何とも形容しがたい表情でじっと耐えるように聞いている「はざまちゃん」と思わず名づけたくなるような女の子こそ、この展覧会のシンボルといって過言ではありません。
さらに、いわばこうした「日本画と洋画」との異種混合こそ、わが国近代美術の表現様相を端的に示すものであり、その背後には、日本絵画の「形式(かたち)」を成り立たせる「要因」が潜んでいることも見逃せないでしょう。その「要因」とは、日本の伝統的な建築様式を指し、縦長の掛け軸が、そもそも畳敷きの座敷の床の間を飾るものであり、屏風が日本家屋の間仕切りの役目を果たし、「絵馬」もまた見上げるように掲げたりといったことと深く結びついているのです。そして、現代ではすっかり見慣れた「額装された日本画」というスタイルの誕生も、日本画が日本家屋から離れ、洋画と同じように、美術館での展覧会という発表形式や、オフィスなどの空間に飾られることを、はじめから前提としているからにほかなりません。
こうした事柄も理解していただけるように、今回の展覧会では、畳や板敷きの展示空間にも作品を陳列し、和洋折衷のわが国生活文化の「揺らぐ近代」の様相にも思いをはせていただけるような趣向をこらしています。

どうやら美術館の<狙い>に直撃していたようだ。エエお客さんだなぁ、わたし。

ちょっと長い感想なのでこの後へ。
狩野芳崖『地中海真景図』 ナポリ湾を描いているらしい。噴煙あげるヴェスピオ火山も見えるから間違いはないのだが。
真景というのは累ケ淵ではないが「本当ですよ、ノンフィクションですよ」くらいの意味で受け取らねばならない。
写真か何かを参考に描いたそうだが、どうも中国の湾内のように見えて仕方がない。桂林とかではない山水図風。

『獅子図』 チャリネ(イタリアのサーカス団。この来日の意義は大きい)のライオンを見て描いたそうだ。見たことのない虎を描いた狩野派の末裔も、自分の目で見たライオンを描くようになったのだった。
このライオンの曲芸のおかげで六代目菊五郎が『鏡獅子』にヒントを得たというのだから、この絵にお礼を言いそうになった。

『仁王捉鬼』 きれいなグラデーションの仁王。その顔になにやら見覚えが。・・・!『じゃりン子チエ』のお好み焼き屋・百合根さんそっくりなのだった。
百合根のオッチャンは普段はいい人だが、一升越えると凶悪になり、テツをもひしぐのだ。
仁王の手に捉まれて白目剥き出した鬼がなにやらマンガのようで・・・

『悲母観音』前述したようにこちらは本絵。絵は小学生の頃から知ってたが、実際見るのは初めて。
表装が凝っている。三面鏡のような表装で、古代柄の表具。
観音の手の浄瓶から赤ん坊に浄水が滴る。聖母子図として眺めれば、この水の意味も変わるのかもしれない。

今回芳崖の写生帳がいくつも出ていたが、鉛筆描きなのが新しいところだということと、彼が<狩野派の末裔>だと言うことを、改めて感じた。
縮図をみていて探幽を思い出したりしたのだ。

高橋由一『墨水桜花 輝耀の景』 手前に桜の木、奥に墨堤と葦原。この遠近感は広重の『亀戸梅屋敷』に通じるものだと思う。
西洋絵画にはこの発想がなかったのだ。
映画でもこのアングルはなかった。ところがクラウス・キンスキーの独自のショットが実はこの構図にそっくりなのだ。彼はいきなりカメラの前に横から現れる。遠近感の違和感が彼の存在感を強めるのだった。

『芝浦夕陽』 夕日が雲上に描かれる。手前に舫いだ船がある。日本にいたワーグマンが喜びそうな作品だ。

『鯛(海魚図)』 黒地に鯛がどーんとあり、アジ、イセエビ、大根、カボスなどが寄せ集まっている。妙に惹かれるのは食材だからかもしれない。

『美人(花魁)』 リアリズムはタイトルから遠く離れて活きている。由一と言えばこの絵かシャケだが、シャケはなかった。松本深志高校主催の展覧会に出演中だからか。
(日曜美の展覧会では、シャケのグッズがショップにいっぱいあった)

彭城貞徳『油絵屏風』 六畳敷きの畳コーナーにその屏風が飾られていた。上がってはいけないので縁に手をかけて眺める。
扇面屏風と言うのが古来からあるが、扇面の他にも角面、梅型、などに絵が描かれている。
・座敷の花魁と廊下に立つかむろ。・馬上から桜を眺める武士。・滝。・石山寺の舞台のようなところから満月を眺める公家。・牡丹。・牛の背に座り笛を吹く童子。・葡萄、梨。・雪の湖のほとり。
六曲にこれだけの絵が、枠の中に描かれていた。

河鍋暁斎『漂流奇譚西洋劇 パリス劇場表掛りの場』 がす資料館のだ。明治の浮世絵や版画が多い、素敵な建物の資料館。
間近に見ると、街燈やオペラ座の柱列などの造形もきれいに描かれていた。これは絹に描かれた肉筆画だが、左端の植物のところに貼り直しがあるのをみつけた。ちょっと珍しい。
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川端玉章『四時群花図』130年前の油絵。牡丹、紫陽花、菊、女郎花、芙蓉、朝顔、薊、などが集められている。まるで蘭画のようだ。だからか?秋田県立近代美術館蔵。

五姓田芳柳『風俗図屏風』 富士山の見える街道筋の宿場町での風景。解説文によると、外国人相手の横浜絵らしい。
右から左へ見てゆこう。盲人が行く、人力車、日傘の母子、人夫、犬追う子、子を負う母、越後獅子とそれを見る外国人、馬上のヒト。
・・・なんとなく色々沸いてくるな。

荒木寛畝『狸』 真正面向くリアル・タヌキ。こっちを見てる。チチチと呼んだら立ち止まったのか。

迎賓館は多くの美術品で構成されている。
七宝焼の額の下絵は荒木と渡辺省亭らだった。その下絵帖が出ていて、やはりいいなと思った。
四年前、迎賓館を見学して嬉しかったことを思い出す。
・・・中学生の頃、クラブで七宝焼をずっと焼いておりました。

橋本雅邦『騎龍弁天』 いかにもボストン美術館に買われるような作品だと思う。龍に座す弁天は八つ手で、龍の尻尾の先は空気の渦に呑み込まれているようだ。
色の対比が見事だと思った。

原田直次郎『騎龍観音』 タイトルは似てるが、別物。こちらは龍の背に立つ。
この絵は'93の『描かれた歴史』展で初めて見た。今その図録を開くと、この展覧会に出ている作品が他にもあった。
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田村宗立『弁慶曳鐘図』 これがそう。これは時々見かけるので親しみがある。

『善女龍王図』 ・・・どう見てもオヤジです。あれかな変生男子というやつかな?人物は顔の陰影が克明だが、バックは墨でうねうねしていて、描き表装にもその波は及んでいる。
この違和感は何なのか。なにか近代のインドの絵みたいな感じがある。

小林清親『獅子図』 小林清親の肉筆を見たのは初めて。月下につがいの獅子がいる。版画の方が清親はいいと思う。

伊藤快彦『男性坐像』 紋付袴の男の人。・・・阪神タイガースの中村豊選手にそっくりだ。

小林永濯『道真天拝山祈祷の図』 東京展のチラシですね。吠えてはります。これ見た限り、絶対に祟るわねという感じがある。
しかしこの激しいポーズが、たとえば月岡芳年の手になると、なんとなく納得できそうな作品になるように思う。

『加藤清正武将図』 堀之内の妙法寺の絵馬。絵馬と言うのか、板絵と言うのか。絵馬ですね、冒頭に挙げたように<見上げて>眺めるようになっていた。

『七福神』 海図をなくしたか、単なる個人的嗜好か、それとも「船頭多くして・・・」のためか、宝船停船中。のこのこ布袋が出てきて仙童らしき子供に道を訊いている。大黒が櫂を漕いでいるが、毘沙門も舳先にいるし。

『天瓊を以って滄海を探るの図』 天瓊とは天の沼矛のことで、いざなぎといざなみが古事記のとおりに海をかき混ぜている。
そのいざなみの白い顔がキレイだった。この顔を見る限り日本画だと言う感じがある。

山内愚僊『朝妻舟』 これは関西芸術院の回顧展にも出ていたが、白拍子が小舟にいる姿で、なかなかよいものだと思う。

川村清雄『高砂』 大きな松の根元に二人がいる。川村清雄はこの時期の洋画家として作品を残しているが、なにやら気の毒に中途半端な感じがある。油絵で日本を描き続けたためかもしれない。
かれの勝海舟の肖像はたいへんハンサムで、好きだ。

『瀑布』 白滝。上の方で絵の具を盛り上がらせている。盛り塗り。猿たちが下の岩に座り、マイナスイオンを受けている。
・・・少し前の箕面の滝みたいな情景。

ここまでは、洋画と言うよりも油絵と言うのがふさわしい作品群だった。
第一世代とでもいうのか、試行錯誤と言うのを感じもした。
岸田劉生の言う『デロリ』がここにはあったと思う。


浅井忠はグレー村や西洋婦人を描いた洋画より、工芸の意匠や日本画の方に味があると思う。
『琵琶法師』 色の置き方がなんとなくアールヌーヴォーだ。
『大原女』 金地に黒っぽい大原女たちを配するのが、絵と言うより工芸の意匠に合うように思う。手前の柴を積む馬が可愛い。

『鬼が島』 ・・・江戸時代、大坂に耳長斎という絵師がいた。戯画の巧みな人でブラックユーモアに笑わされた。その人の作品を思い出している。   
負けて手を突く鬼たちは顔こそわるいが、ヒト(オニ?)の良さを感じる面々なのに対し、隈取の桃太郎も家来たちもちょっと悪そうだ。
先生この絵を描くとき、口三味線でもしてたかもしれない。

残念ながら大観の『迷子』は京都に来なかった。シャカ、キリスト、孔子らもこの子を交番にでも連れて行ったのかもしれない。それで京都へは来ないようだ。

下村観山『魚籃観音』 出た。モナリザ風観音がインドの町を逍遥している。犬がそれを見上げているが、以前見たときも「・・・」だったが、今回も「・・・」だ。
さるお寺の所蔵なのか。img669.jpg

山元春挙と竹内栖鳳と、この展覧会には出てないが都路華香の三人で三幅対の風景画を描いている。高島屋史料館蔵。栖鳳の『ヴェニスの月』は既に見ていた。

黒田清輝『赤き衣を着たる女』 見たかったので嬉しい。椿の木を背景にした女の横顔がきれいだった。
椿はあまり咲いていないが、その分女の赤い衣裳が目に残る。

『湖畔』 夏になると時々、このポーズを気取ってみる。

岡田三郎助『あやめの衣』 ポーラに入る前、福富コレクションで見ていた。去年のポーラ美術館展でも花形として扱われていた。きれいな作品だと思う。

和田英作『野遊び』 天平の美少女たち。髪に挿しているのは馬酔木の花、サツキの花なのか。わたしはこの絵が好きだ。
クリックしてください。


その下絵。img670.jpg

こちらは以前に何かで残していた。

やがて<日本画の中の洋画>と<洋画の中の日本画>ということで、好きな絵がかなり出ていた。

小茂田青樹『ポンポンダリア』 ダリアがぼぅっと輝いている。活けた壷は明ではなく元代のもので、遊魚図。なにか呼ばれている気がする。

岸田劉生は子供の頃気色悪くていやだったのが、この近年大好きな画家になった。『切り通しの写生』はいつ見ても視線が上向きになる。このまま坂を上がろうと言う気持ちになるのだ。
その一方で『壷の上に林檎が乗って在る』などは、狭い枠の中で感情も何もかもを沈めて熟成するような気持ちになる。
麗子を描いたものがニガテだったのが、今ではその魅力にはまっていて、不気味なのもさらっと描かれたのもどちらも好きになった。
赤い腰巻の麗子を見ていて、不意に西条八十の詩を思い出した。
姉は血を吐く、妹は火吐く、可愛いトミノは宝玉を吐く・・・ 
トミノの地獄がなぜか思い出されて仕方なかった。

村上華岳『秋林』 空に映る葉や枝がまるで着物の柄のように見えた。両掌を交差して 指の隙間から枝を眺めたら、こう見えるような気もする。

速水御舟『デッドシティ』 大倉喜七郎主催のローマで日本画展に(こんな題ではないが)出かけた御舟はそのまま欧州ツアーに入り、オランダでこの想を得たらしい。
妙に可愛いのだが、廃屋。黒壁板。緑は雑草だろう。それに埋もれて行く町。素朴派風にも見える。
御舟もこういう絵を描くのだということに、驚いた。

入江波光『聖コンスタンツァ寺』 どこのかわからないが、以前何かの展覧会のチラシで見ている。波光らしい薄い色彩の絵で、静けさを感じる。

小出楢重『松竹梅図屏風』 芦屋で見た展覧会に出た分の親戚筋なのは間違いない。あちらには鶴亀がいたが、こちらにはいない。かれの著書のタイトルではないが、『めでたい風景』だった。

斉藤与里『塩原錦秋』 衝立仕立て。赤い赤い秋。川の流れ。散歩する人。下部の木彫も可愛い。ナビ派がここにいる。
斉藤与里の回顧展が見たいと思っている。

藤田嗣治の猫はどいつもこいつも可愛い。裸婦のそばにいるサバ柄の猫なんか一番好きなタイプ。だから去年の藤田展でも猫ばかりついつい追いかけてしまった。

河野通勢『蒙古襲来之図』 タピストリーの原画かと思った。船上戦。金雲たなびく。綴れ織りのような豪華さがある。龍村か川島で再現が見たい気がする。

梅原龍三郎『城山』深い色目の作品で、特に藍色の山にみとれた。

森田恒友『漁村(網干)』『漁夫の家族』 彼が青木繁の友人だったとここで初めて知った。そうきけばこれらの作品が、布良の港だと言う気がしてくる。 青木は『海の幸』を描き、森田はこの作品を生み出した。

以前から小杉未醒または放菴が好きだ。
出光美術館にはかなり多くの作品があるが、なかなか回顧展がないのが残念だ。日光の記念館は又、あまりに遠い。行くなら金谷ホテルにも行きたいし、と色々なやむことになる。
『黄初平』 石を羊に変える仙人だが、なにやら魔術師のように見える。小さなムチも指揮棒のようだ。
『羅摩物語』ラーマヤナーの物語から。妃シータに話しかける白猿はハヌマンという猿の王なのだ。ああ、なにかこの情景だけで物語の世界が浮かび上がってくるようだ。
img671.jpg

『ブルターニュの村の八月』 働く人々が夢二風に見える。いつものキャラとは違うのは、若かったからか。
『椿』 椿の森の中のように、折り重なる椿たち。その間に猫がいる。白木蓮がそっと咲いている。猫はどう見てもアメリカンショートヘアだった。
・・・わたしは常々、放菴や中村不折の物語絵をたくさん見てみたいと思っている。

秦テルヲは近年回顧展があり、練馬のチケットがあったので練馬で見た。
『夜勤の帰り』は好きなのだが、どうもわたしは他の作品に関心がもてない。

川端龍子『佳人好日』 いつ見てもたいへん好きな作品。夏はこんな座敷で過ごしたい。見てるだけで気持ちよくなる。
ああ本当にすばらしい。

それから八年後の『竜巻』はびっくりだ。真ーーっ青な海に竜巻が起こる。エイもサメもクラゲもみーーーーんなっ飛んでる。わたしも一緒に巻き込まれて飛んでゆきそうだ。描いてる龍子も跳ねてた気がする。

須田国太郎『老松』 白地に激しい墨が走っている。それが松の形になっている。
展示されている場所は四階の特別コーナーだった。背景が白だと言うのは須田では殆ど知らない。
この勢い。須田国太郎ではなく剋太の作品ではないのか、と思った。
言葉が通じないような気がした。

熊谷守一『白仔猫』 可愛い。撫でたくなる。チチチと呼びかけて、起こしたくなる。
カクカクッとした『海の図』の魚は『鯤』だった。荘子か老子の話に出てくる大魚。後の『鯤』は薄い塗りで、色もボケている。
なんか妙に可愛い。img668-1.jpg



ところで京都展では小企画『コレクションに見る「日本画と洋画のはざま」』展を開催している。
これは無論今回の展覧会と連動しているので、実際のところどこまでが『揺らぐ近代』なのかどこからが『コレクションギャラリー』なのかわからない。
配置も巧妙にされているので、わたしはそれらの区別をつけずに見て回ることになった。

弁慶を描いた田村の『古都夕照』は東山から市街地を見渡した作品だが、これがいつの風景なのかよくわからない。
また、『京都駆黴院図』は先般の関西芸術院にも出ていたが、絵画と言うより近代京都の資料として、わたしには面白い。

印藤真楯『夜桜』 円山公園の枝垂桜の夜桜は多くの画家が描いているが、この絵はなんとも不気味なのだ。木の周囲に立つ人々が全員後ろ向きだからと言うだけではない。
梶井ではないが『桜の木の下には死体が埋まつている』ことをこの人々は全員で知っていて、人身御供を捧げた後の結果としての夜桜繚乱を見に来ているように、思えた。

須田の『夜桜』も暗い。夜桜には篝火がかけられている。しかしだれもこの桜を見ず、夜の闇の中に桜だけが呼吸をしている。向こうに縁日がある。アセチレンランプの灯りがぼんやりと喧騒を映し出しているが、桜はあくまでも静かなのである。重い沈黙の中に桜がある。

『鵜』 須田の全作品の中でも上位にあげる名作。どきっとするくらいよいので、いつ見ても嬉しくなる。
これは感想ではなく、ファンの気持ちだ。
『鶴』 いっぱいいる。不穏な空気が流れている。全員が同じ方向を見つめている。青灰色の地に鶴がいて、何かを見ている。それだけでもわたしには怖い。
『イヌワシ』 新収蔵。少し首が長い。ワシ系はどれもこれも可愛くて仕方ない。

坂本繁二郎の仲良しなお馬さんもあった。
しかしちょっと面白かったのはやっぱり熊谷守一で『獅子頭』。
家または車のような獅子頭だった。目は窓、歯はガレージの入り口。こんな家や車があると面白いけど、ちょっと困るかもしれない。

面白い展覧会だった。
東京ではどうも集客がよくなかったそうだが、こちらではどうなるわからない。
わたしの後にお客さんが増えていたから、それがそのまま続くとよいのだが。
しかし東京と京都の所蔵品が多かったからか、特別に展覧会葉書が製作されなかったのはちょっと惜しいような気がした。
二月になれば展示替えもある。
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コメント
わけがわからない
この展覧会は「日本画」と「洋画」府中のやつは「洋画」と「洋風画」何がなんだかわけがわからなくなる/笑。
知らない画家がいっぱい出てきたので一緒にいった人と「ソクラテスの無知の知」はやはり正しいと話したのでした。

須田の作品はおっしゃるように異様でしたね、熊谷の作品は世田谷美術館の所蔵品にも出てましたが、「日曜美術館展」の識者コメンテーターが、無駄なものを一切そぎ落とした単純なものが一番難しいと評していましたね。

さてさて遊行さん明日からまた月曜日、京都訪問で仕事がんばるぞという気持ちになれましたか。
2007/01/21(日) 22:31 | URL | oki #-[ 編集]
どうせなら美女と・・・
こんなにメモしながら見ていたら、日が暮れます(笑)。
私の場合は、5時起きの、昼食後という悪条件の中でしたので、遊行さんの記述の中で、記憶にない絵が幾つか出て来ます(泣)。
もう一度、行きたいくらいです。
最近、熊谷守一に興味があるのですが、どうも記憶が曖昧です。リストを見ると、いっぱい出てますよね。
須田国太郎は、昨年の展覧会ではベストの一つでした。夜桜も鵜も大好きです。肝心の夜桜の状況が今一思い出せません。東近美は、とても照明が良かったのですが、巡回先の福島県立美術館と、横浜そごうで開催された「京都国立近代美術館所蔵 洋画の名画」では、白っぽくて良くありませんでした。京近美ではどうであったのか、思い出せません。案外、気にならないくらい良かったのかも知れませんが・・・・
ちなみに「赤と緑」の画家と、ギャラリートークで教わりました。(ピンクの画家かと思ってましたよ)

今日は、東近美と工芸館に行って来ました。あんなに混んでいた工芸館は初めてのように思います。都路華香の埴輪は、髪型がちょっと変なのがありますね。実際の人物埴輪では見たことないような、まん中分け(美豆良ではない)が、ありました。あと、カラフルな十牛図が、結構、気に入りました。

ここから、お題です。
昨日、埼玉県立近代美術館に居た人が、東近美にも居ました。メタボリックな人で、一つの絵の前にずーっと立っています。動かないので、その絵を正面からなかなか見る事が出来ません。ひと回りして戻って来ても二つ三つしか進んでいません(笑)。
実は、昨年の須田国太郎展にも居たのでした。夜桜の前に立ちはだかって、動かざる事、山のごとしでした。
どうせなら、美女と・・・思う次第です(笑)。
2007/01/21(日) 22:39 | URL | 鼎 #PgtEBqSc[ 編集]
☆okiさん こんばんは
>無駄なものを一切そぎ落とした単純なものが一番難しい
西洋ではマチス、日本では熊谷がその領域に到達してると思います。
誰も真似できない。真似してもそれはただの偽物。絵だけでなく文もそうなんでしょうが、あたしは饒舌だなーと実感してます。
会社・・・慢性いやいや炎が再発してます。犠牲者は多分課長でしょうね。


☆鼎さん こんばんは
熊谷守一いいですよね。どうもこの五、六年かつて無関心だった画家に目が行きます。劉生、小出、熊谷、牛島、神泉・・・∞。記念館にも行きたいです。
>ピンクの画家
須田がですか・・・うーーーん・・・わたしはドドメ色の画家だという認識が。
>カラフルな十牛図
青色が特によかったです。わたしは牛を探しあぐねて困ってるような人間ですね、キャラ的に。

それにしても鼎さん、人物認識が凄いのに、なんで『夜桜』の状況を忘れはるのですか。
はっっっ絵の中に魂吸い込まれていたのかも、その<動かざること山の如し>さんもきっと絵に魂吸い取られてはったんですね。
2007/01/21(日) 23:33 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
やはり、チラシからして、東京と京都の文化の違いを
感じますね。
それに「当館では・・・迷うことなく・・・」といった
表現に京都の人の自信と、その裏側にうっすらとある東京
への対抗意識というか優越感も感じられます。
東京では、あのチラシの影響で、好き嫌いが分かれて、
集客に影響があったような気がします。
私は大満足でしたが。
2007/01/22(月) 05:54 | URL | 一村雨 #-[ 編集]
一村雨さん こんにちは
わたしもあのチラシに惹かれるタイプなんですよ。
でも京都で見ると割引があるのでと待って、告知文に「にやっ」です。
なんしか東京都が出来た当時「東・京都てどこどす」と口の端だけあげて問うお国柄ですから。

しかし京都ではわりとお客さん呼べそうです。面白い展覧会でした。
2007/01/22(月) 09:10 | URL | 遊行 #-[ 編集]
遊行さんこんばんは。TBをありがとうございます。

京都でも始まりましたか。
チラシが控えめながらも、仰る通り本質をついていて良いですね。
東京展のものはインパクトには十分でしたが、
少し空回りしてしまったのかもしれません。(駅などに貼られたものはかなり目立っていましたが…。)

>背景が白だと言うのは須田では殆ど知らない。

あれには驚かされました。
白い須田というのは珍しいですよね。
極太の黒のうねりに吸い込まれます。
2007/01/22(月) 22:06 | URL | はろるど #GMs.CvUw[ 編集]
はろるどさん こんばんは
あーそうですか、空回りですか・・・
うーん、なんというかシャープではなかったですからね。
でもあのチラシは面白かったです。
というか、それを見たので勝手に『ギョッとする近代』だと思い込んだんです、わたし。

須田のあの作品はみんなドキッというかギョッとしたと思います。
なぜ書かずにいられなかったんでしょう・・・・・・・・・・
2007/01/22(月) 22:30 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
チラシ掲載の絵
「都路華香」と「揺らぐ近代」が京都と東京で入れ替わったようになっているのですね。

東京展のチラシ表に掲載されている絵は、どちらもちょっと違う方へ誘導しているきらいがあるように思います。何割か客を失っているのではないでしょうか。京都展はおとなしめですが。
チラシの絵を選ぶ人の違いか個性か、はたまた京都と東京の違いなのでしょうか。
2007/01/24(水) 00:25 | URL | キリル #pQfpZpjU[ 編集]
キリルさん こんにちは
ちょっと東近美の勇み足というか一人相撲とかそんな感じもありますね。
マニアックなのもよいですが、集客を考えると・・・。
2007/01/24(水) 08:56 | URL | 遊行 #-[ 編集]
re:揺らぐ現代
初めておじゃまします。

それにしても実に詳しいですね。一体どのようにして、記憶に留めているのでしょうか。感歎の一語です。

この展覧会は、特に好きなジャンルでもなかったのであまり期待せずに出掛けたのですが、なかなかの圧巻ものでした。
食べず嫌いをせず、こう言うジャンルも今後はもつと積極的に見てみようかと思いました。
2007/01/28(日) 20:27 | URL | Hokurajin #6eBNGMlg[ 編集]
はじめまして
Hokurajinさん こんばんは
<詳しい のは、しつこいからなんですよ(笑)執心が深くて忘れられない。いつか使える日があるだろう、と物を捨てられないのが脳髄にまで行き渡ってるわけです。

去年は18世紀の京都画壇再発見みたいな年でしたが、それに同時進行して19世紀末から20世紀初頭京都画壇復興の年でもありました。今年もそれは続くようにも思います。

やっぱり展覧会にトコトコ出かけると、小さなシアワセとか見つかるのが最近は多いようです。
発掘が続いているから、良いのが掘り出されることに期待しています。
2007/01/28(日) 23:15 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
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