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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

徳岡神泉展

徳岡神泉の展覧会を見たかったが、随分待つことになった。
十年位前回顧展があったが、どうしてか行かなかったのだ。理由は今となってはわからない。
しかしチラシはここにある。さすがに74年の展覧会は知らない。今回松伯美術館で展覧会が開催されてるので、会期ギリギリだが向かった。
この美術館は上村家三代の作品の収集と保管が目的でもあるから、全館を割り当てることはなく、やや広めの展示室に神泉の作品が集められている。
見た所あまり初期のはなく、完成された〈神泉〉のイメージに合う作品が並んでいた。

深い余韻のある作品、と言うのが神泉の作品イメージだと思う。静謐にして沈潜した穏やかな世界。
しかしこうして作品を目の当たりにすると、穏やかな心持になれないことに気づいた。
意外なくらい<物言う絵>だと思った。
水の中は音のない世界だという。しかし水中で動けば音は上昇して水面に漣を見せ、振動に変換する。
それ。
そんな感じがする、神泉の絵。
静謐なのは静謐なのだが、それが心を穏やかにしてくれるとは限らない。
水面に沈むものはなんなのか。
作品を前にして、そんなことを考えている。

実際ここに、水面近くに姿を見せる鯉の絵がある。
タイトルは『池』。img740-1.jpg

作者にとってこの構図と主題の狙いは何なのか、観る者は何を受け取るべきなのか。
そんなことを考えさせられた。単に鯉がそこにいるのを描いただけではないような・・・鯉はなぜそこにいるのか。
結局、なにも答えは見つからず鯉をじっと見ているのだが。
img740-3.jpg

もう一つの『池』がある。 蓮か睡蓮かの葉が二本ばかり立っている。立っているとしか言いようのない姿。
松篁の『蓮池』が、まるで円卓の騎士ラーンスロットに剣を授けるような様相を呈しているのに対し、この神泉の池はカンダタを地獄に落とした後の蓮池に、みえる。蜘蛛の糸は途中で途切れ、二度とカンダタは浮かび上がることはない。それをみつめていたお釈迦様は悲しそうにため息をついて、またぶらぶらと散歩に出てゆく。池はいつものように静まっている。
そんな池だと思えた。

そして『蓮池』 この絵は苔寺として有名な西芳寺に収められている。
花が一つだけ咲いている。大正の末に描かれた絵。動きがあるように見える。しかしその花の咲く池の水は深く静かなのだ。
巨椋池を写生したそうだが、たとえばそれが巨椋池でなく、深泥池でも差し障りのないような、緑の池。そこに薄紅の花が開いている。
img740.jpg


更にこの15年前の明治末、まだ少年だった神泉の描いた『海老』がある。
今まで洋画日本画共に、色んな海老の絵を見てきたが、これはリアルなイセエビだった。極端なことを言うと、アタマをもいで、中の半透明な身が想像出来るような海老だった。そばの貝も綺麗な貝だった。丸い外形、まっすぐな筋目、そのフォルムにときめくほど、きれいな貝。
チョコレートのようにきれいだった。

『流れ』 img740-2.jpg

灰赤な空間に一本の流れがある。灰色の流れ。胡粉が煌き、永遠の流れを示してくれる。滔々たる流れ。しかいせせらぎは聞こえては来ない。永遠から始まり永遠へ続く流れ・・・
(などと書いているが、実は長らくこの絵が横ではなく縦の作品だと信じていたとは、ナサケナイわたしなのだった)

『薄』img739.jpg

 画家の言葉によると「六甲で見た景色」なのだそうだが、群生した薄を目の当たりにした、画家の意識の中で醸成されて生まれ出たものは、この数本の薄なのだった。
ここに神泉の芸術の真髄があるような気がする。

『枯葉』 枯れた葉っぱだから<枯葉>というわけではない。観ていると有機化合物がどうのとか無機結晶体がどうのと言う言葉が浮かび上がってくる反面、これは本当に枯葉なのだろうかと言う疑念が湧いてきた。
枯葉でないならなんだと言うのだ。
神泉の視線とわたしの認識のずれ。わたしは物思う一方で、無心でいようともする。
意識の隙間に入り込む。この『枯葉』はそんな作品だと思えた。

『雨』 苔むした岩、鬱蒼とした色合い、雨の波紋。この絵を見ていると、神泉の絵は子供には好まれないだろうという確信が湧いた。
意識の深淵をのぞかされるような気がする。
img740-4.jpg


『寒空』 若い頃の作なのか、違うと思った。もこもこの鳥が二羽。榊原紫峰が喜びそうな鳥。

徳岡神泉の絵は10点ほどだが、なにか多くを見たように思う。
沈黙することが快い空間。神泉の絵にはそれがある。

img741.jpg

'96年のチラシ。
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コメント
徳岡神泉って。
これもまた、知らない画家の登場で、驚きです。
日本画家の色のイメージや、表現から離れていますね。
でも、とってもいい雰囲気感じます。
ぼわっとしているところ。
「流れ」は特に好みの色、タッチです。
出光あたりで、やきものと一緒に静かに展覧会してくれると
いいなぁ、と思いました。
2007/02/09(金) 21:39 | URL | あべまつ #-[ 編集]
あべまつさん こんばんは
十年以前はその曖昧さがニガテだったのですが、今はなんとも言えずいいものだと思うのですね。
北宋あたりの作品をふと思ったりします。
精神性の深さ・・・それを思います。
2007/02/09(金) 23:12 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
徳岡神泉、後期の「池」(京近美蔵)が見たかったです。
私が見たのは前期だったので。
神泉の(晩年の)絵は、ちょっと、デザインされた感じが、独特な雰囲気を造っている感じがします。

ポーラ美術館蔵の「池」の魚は不思議な感じですよね。

「もう少し見たいな」と、言うのが正直なところでした。
12点では、ちょっと物足りない。

関西から戻って来てから、東近美の常設でも2点、見ました。「芥子」と「富士山」。でも、「芥子」は2/4間での展示でした。

昨年は、山種でもとか、1~2点は見れるのですが、まとめてとなると、なかなかないですね。

松柏美術館から、「薄」のポスターを担いで帰って来ました。
今、玄関に立て掛けてあります。
東近美のショップに、神泉の絵を使ったコースターが有りました。

神泉を、話題に上げたのは、遊行さんとえみ丸さんくらいかな。
http://star.ap.teacup.com/aoisora/656.html
えみ丸さんのブログを見ると、74年もちらしが同じです。
2007/02/10(土) 00:00 | URL | 鼎 #PgtEBqSc[ 編集]
鼎さん こんばんは
神泉は東京ではどうなのでしょうね。
わたしも東近と山種でたまにみかけます。
実は東近で見た金色の『鯉』や『芥子』に衝撃を受けたんですね。
それまでは無論知ってはいましたが、興味はなかったのです。
福田平八郎に意識が向いた後に神泉にも目が開いた。
突然、というのがわりと多いです、わたし。
洋画なら小出や劉生や関根ですかね。

>「もう少し見たいな」と、言うのが正直なところでした。
12点では、ちょっと物足りない。
そうですね、しかしレポ書くには丁度良い数でした(笑)

松篁さんの作品もよいのがあり、それにも機嫌よく挨拶しました。
松篁さんから見た神泉の話などが面白かったですね。

>「薄」のポスターを担いで帰って来ました。
>今、玄関に立て掛けてあります。
なんだかカッコイイです。イメージ的に司馬遼太郎『義経』の知盛のようです。
(桜狩のとき、一枝折って担いで機嫌よく帰る知盛)


2007/02/10(土) 00:48 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
初めまして
徳岡神泉、お互いにやっと観られたのですね・・
私は、この人に二十歳そこそこで夢中になりました

よく並べられる福田平八郎も好きですが、2人を比べると作品数が違うのか話題にならない人だなと思います 
今回、作品は多くはなくても満足いく展覧会でした
TBしました
2007/02/10(土) 10:01 | URL | えみ丸 #Ng4.hE4g[ 編集]
はじめまして
えみ丸さん こんばんは
やっと神泉を見れて嬉しい限りです。
平八郎の平明な明るさ、これもやっと13、14年前くらいからわかるようになりました。
なんとも言えず満ち足りた気分です。
また見たいと思いますね。
2007/02/10(土) 22:13 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
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