美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

福田平八郎展

福田平八郎の回顧展が久しぶりに行われている。
‘92の秋に奈良そごうで回顧展があり、その後’98に難波の高島屋、それ以来の大きな展覧会だと思う。
当時そごうの友の会会員だったので、すききらいに関わらず出かけるようにしていた。
北摂から奈良は遠い。しかもあまり好まない福田平八郎。
だが、会場で福田の作品に触れて、意識が一変した。
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観念的な美に初めて目が開いたのだと思う。
一緒に行った友人は最後まで気鬱そうに見ていたが、わたしは明るい気持ちになっていた。
福田平八郎っていいなー。
見終えてから何度も言うので、友人はいやな顔をしたが、わたしはそれからこれまでの間、福田平八郎がいいいいいい、と思う。
丁度その前年、枕もとの壁掛けカレンダーに福田平八郎を選んだのも、契機になっていたのかもしれない。
私は早速法然院の平八郎夫妻のお墓に詣でた。
墓石には平八郎の自筆らしき手で「福田平八郎」の名が刻まれている。生前からのものか、それとも彼のサインをここに用いたのかは知らない。
しかし平八という左右対称の良い文字が上の田と共に真ん中にあり、上下を〆る福と郎がこれもいい感じに配置されている。
いい墓碑だ、と思った。
お墓は谷崎潤一郎のそれと向かい合わせに立っている。こちらもいい。
当時既に『瘋癲老人日記』の愛読者だったので、作中の老人の墓選びのエピソードが頭をよぎる。
まだ二十代の私はあの老人のような贅沢は出来ず、いづうの鯖寿司を横目に見ながら帰宅した。

京都や東京の近代美術館やデパートの展覧会がわたしの日本画修行の場所だったが、近代日本画の名品などという展覧会に行くと、必ず平八郎の作品に会えた。大抵が木々に止まる小鳥で、『雨』や桜の花びらで埋まる流れなどはなかったが、良いものを見せてもらっていた。
特にすばらしいと思ったのは、’99横浜そごうで見た『ロシアからの里帰り・幻の首藤コレクション』での三幅対。
あの小禽と枝の美しさは、他のどの作品よりも優れているように思う。

それから翌年野間記念館が開館した。既に野間コレクションはある程度知られていたが、その色紙コレクションに感銘を受けた。
ここにも平八郎の見事な作品があった。丸い頬の可愛い小鳥たちがピーチピーチと鳴いている。秋にも春にも夏にも冬にも。
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‘92での回顧展では下絵が多く出ていた。そのときに見たものがここにもある。
たとえば『水』『花の習作』の下絵。絵のそばには平八郎の言葉が添えられている。
他にスケッチブックが開かれていた。
ウサギの団体がいる。ご飯を食べたり、寝てたり、懐きあったりしている多くのウサギたち。
これらのウサギの集合を見ると、後年の鮎の集まりや竹林などが髣髴となる。
しかしその前に『池辺の家鴨』に結集したらしい。
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この絵を見ると、東洋にしか生まれ得ない作品、と言う感覚が強く起こる。輪郭線などはアールヌーヴォー風でもあるが、家鴨たちの表情、そんなものを西洋では描かない。

しかし一図珍しいものがあった。
眠る女の姿。昼寝なのか、やや口を開けた女。髪は丸髷か崩れた二百三高地もどきか。
平八郎で人物画を見たのはこれくらいしかない。
そう思った途端、振り向けば愛らしい娘がいた。こちらをみつめる優しく白い顔。
『春の風』なるほど、それに相応しい娘。
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手足の先が赤らんでいるのを見て、隣にいた高齢の女性客が言う。
「手ェも足も赤うして、ぬくめや、かわいそうに」
娘は大原の里へ帰って、手足を擦っているだろう、きっと。

若かった平八郎の絵もこの展覧会には多く出ている。
例えば『牡丹』mir035-1.jpg

この絵は赤とピンクと濃い色の花を描いているが、そのピンクの牡丹に注目した。
解説にあるとおり「宋元風院体花鳥画」に影響を受けたからなのか、この花花は薄い薄い紗を何枚も重ねたように見える。透明度の高い塗り方のため、そんな風に見えるのだ。
実際、もしこの花が目の前にあればそっと指でその花びらの薄さを確かめてみたくなるだろう。
薄い花びらに爪を立て、そこに傷を残し、最後にくちづける。
そんな欲望に駆られる牡丹がここにはある。

画風の変遷の激しい画家だということは、それだけ<自分>を求めたことの証明にもなる。
良い板前になるために店を移って修行を続ける調理人のようなものだ。
<完成された>平八郎は選び抜かれた線しか用いず、そのための色しか選ばなかった。
タイプは全く違うが、マティスと共通する変遷のプロセスを感じもする。

明快にして完璧な作品に至るまでには、やはり修行と思索の時間が必要なのだった。
『安石榴』 柘榴と被ぎ柄の猫などを描いている。
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大正半ばという時代性もあってか、その時分の京都らしい多少のエグみがあるが、そのエグみに惹かれてしまう作品でもある。
また、この絵と同年、堂本印象が同じく『柘榴』を描いている。そちらは猫ではなくリスを登場させているが、これら二枚の絵はまるで対のように見える。猫のいる木の向こうにリスがいるのでは、と思うような。これらの絵の成立時の状況は知らないが、なんとなく絵にも友人がいるような気がして、わたしは共に愛している。

いよいよ『漣』の生まれる前に来た。
『菊』 秋になると各地で菊の品評会がある。
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黄、白、赤の菊の並ぶ様子。舞い散る葉っぱは多少黄葉し始めている。同じ京都の林司馬のようなおとなしい画面。
この絵の十年前と十年後の違いは激しい。
共通点を探すのが難しいくらいだ。

『漣』  
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最初にこの絵を見たのはいつだったか。どこで見たかも思い出せない。今ではあの(永遠に未構築の)大阪近代美術館(仮)所有になっているが、そのもっと前に見たのは確かだ。
今、まっすぐに絵を見る。下絵とプリントされたものと。
モノスゴイと思う。モダンデザインだ。水の流れを実感として、感じた。

平八郎の単純化された装飾性の、と解説には必ず書かれている内容に異論はないが、むしろ<単純化>ではなく、<純化>と見るべきではないだろうか。純化された絵画が『漣』であり『雨』であり『水』の流れだと私は看做している。
そしてこれらの作品を見ていると、オーケストラではなく、たとえばピアノだけの演奏が行われている、そんなイメージがわく。
特にラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』が耳奥に流れ出し、そのメロディラインを追うと、画面の向うにも続く『漣』に乗ってゆくような気持ちになる。
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前述した首藤コレクション展(’96)において平八郎の三幅対に魅せられた私だが、その首藤氏は平八郎の作品を多く集めたコレクターだった。
氏は敗戦後、引揚げの人々を救うために大切なコレクションを手放したと言う。コレクションの多くはロシアにとどまったままだが、比較的早く帰国した作品もある。
『花菖蒲』 この心が晴れるような絵は当時のソ連からの寄贈と言う形で、30年ほど前に帰国している。
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やがて戦後、平八郎、と記す書名の字体が変化する。それまで繊細だった文字がふくよかになり、絵もまた自在の境地へと到達する。

小禽類と季節の木花とを配した構図が多く見られるが、そのどれもが親しみやすい明快な線と色彩で構成されている。
金時ニンジンを型抜きで梅型に刳り貫いたような紅梅と、小鳥。

どの鳥たちも林の中を自由に飛び交い、機嫌の良い声で鳥の歌を歌うように見える。
また、川に目を移すとそこには清涼な流れがあり、しなやかな鮎たちが集まっている。
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釣り人・福田平八郎の<まなざし>が鮎を絵画作品に仕立て上げる。
岩陰に集まる鮎たち。これを平八郎はもう少し別な意図をもって描きたいとも書いている。しかしここにいる鮎たちへのいとしさは、見た者の胸に溢れ返っている。
わたしが特に気に入ったのは版画で拵えたような黒い鮎たちだった。
水の影に揺らめいてそんな色になったのか、と鮎たちに話しかけてみたくなる作品。
飄逸な風がそこに吹いている。
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そしてここで後戻りして、若い頃の『草河豚と鰈』を見よう。
構図、絶妙。鰈のべたッとした薄いふくらみと、食べるところのないような草河豚。噛んだら毒が口の端から溢れそうだ。

色彩の激しいインコ。mir036.jpg

つい先日奈良で熱帯花鳥を見たところなので、本当はそちらへ招待したいような絵。
わたしはこのインコの濃い色彩が大変かわいいと思う。日本画と言うより洋画、むしろ童画として大勢の子供たちに見せてあげたい。
インコのシリーズは他にも続き、縦長の作品でのインコがまたなかなかよかった。

平八郎の作品の良いところは、見る者に強い緊張感を強いるところがないことだと思う。
とは言え見ていて「癒される」わけでもないのだが。
たとえば『竹』mir039.jpg
 
竹の一部分だけが延々と続く構図。それを見たとき不思議にリズミカルな気持ちになってくる。それはよいことだ。
しかし明るい楽しさと言うのとはまた違うと思う。
同時代の徳岡神泉の作品に<静謐さ>や<神韻縹渺>を感じたとしても、平八郎にはそれはないだろう。
豊かな孤独さ。
わたしはそんな風に思う。

濃い色で良いと思う作品をもう少し挙げてみる。
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この作品などは特によいものだと思う。濃い緑色と白色とが仲良く並んでいる。これが例えば大正から昭和初期の風呂敷だとしたら、なんてレトロモダンでハイカラなセンス、と喜んでしまう。実際そうした布地として欲しくなるような色調と構図なのだ。

ところで面白い作品をいくつか見た。
鼓の胴に花菖蒲を生けたもの、大きなすり鉢にハマグリを入れたもの、籠に朝顔を詰めたもの。
そしてつい先日畠山で見た乾山のタチアオイによく似たタチアオイの絵。
それら一つ一つに平八郎の自注がついていた。
文と共に絵を味わえば、一層の楽しみが生まれる。


展覧会が開催されているのは京都国立近代美術館。
この地には琵琶湖疏水の流れがある。
そして桜の時期、美術館の横顔を映す水面が桜色一色になる。
「平八郎の絵みたい・・・」
いつもその眺めを前にして、わたしは呟いている。
これからも、ずっとずっと―――。
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コメント
福田平八郎に潜む近代精神
福田平八郎の素晴らしさを実体験してきました。《いんこ》はマチスでしょうか、ゴーギャンでしょうか。いずれにしても、福田平八郎のなかに常に現状に満足しない近代精神が潜んでいたような気がします。
素敵な文章を読んで、なるほどこういう風に表現すればよいのだと感心しています。できるだけ簡潔に書くことのみを良しとしてきた理系の私にはとてもまねはできませんが。
ところで私の干支は寅ではありません。タイガース・ファンという意味です。そこで私の好きな格言を一つ。
「人は皆、ジャイアンツ・ファンとして生まれる。そして進化した人間だけがタイガース・ファンとなる。」
2007/05/28(月) 22:48 | URL | とら #8WYMted2[ 編集]
こんばんは。
漣、すばらしいです。
この漣を見て、先日見た、都路華香の波を思い出したので、図録を引っ張り出してみたら、やはり、平八郎さんは華香の絵に影響があったようでした。
日本的な暖かみのあるデザイン意匠で、新しい琳派のようでもあるなぁと感じ入ったところです。
乾山の匂いもありますね。
単純ではなく純化というお話に賛同します。
これで、好きな画家さんリストに入りました。
2007/05/28(月) 23:09 | URL | あべまつ #-[ 編集]
連敗でもいいんだ、次があるさ
とらさん こんばんは
>現状に満足しない近代精神
一を貫くのもよいですが、こうして変遷を重ねることで、より高みへと上がってゆく・・・そこがやはり近代的なんでしょうね。

お褒めいただき恐縮です。簡潔な言葉が最良だと知っていますが、そこへたどりつけておりません。
平八郎で言えばわたしは『安石榴』の時代のままのような。

あの格言おもしろいですね。
作家の高村薫さんもすごい言葉を挙げられてました。
「阪神ファンはどんなに負けても阪神を見捨てない。阪神とは宗教なのだ。名前の中にも神がいる」
二日でロッテに24点取られようとなんだろうと、応援はエンドレスです!
2007/05/28(月) 23:16 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
あべまつさん こんばんは
華香は先生として後進を指導しましたから、生徒も先生の良いところを「おっこれこれ」と。
>新しい琳派のようでもあるなぁと
本当にそんな感じです。とても今風というか、これや『水』は今の服の柄に欲しい感じです。

健全でさっぱりした気持ちになる作品が多い画家だと思います。

純化に賛同いただきありがとうございます。
純化された結晶体こそが、平八郎の作品だと思います。
2007/05/28(月) 23:24 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
最初に感じたのは、「やはり日本画家」だと言う事でした。(きっと、鯉の絵のせいだと思う)
琳派は感じましたが(花菖蒲のせいかな?)、マチスは感じませんでした。「漣」や「雨」はマチスには描けないように思う。縦に連なるリズムは、マチスにはないな、と。
やはり、縦書きの文化のせいでしょうか。

「漣」は、北斎の「凱風快晴」の空の、青白反転だ、などと変な事を考えています。


マチスと言えば、来年の2/2から、埼玉県立近代美術館で「熊谷守一展」が,始まりますね。(こっちの方が、マチスを感じさせてくれます。私には)
その前に、熊谷守一美術館に行かなくては。現在、熊谷守一美術館22周年展開催中。6/10まで。メナード美術館や信州高遠美術館からも作品が来ているとか。
2007/05/29(火) 00:47 | URL | 鼎 #PgtEBqSc[ 編集]
鼎さん こんにちは
マチス的なのは制作プロセスの変遷というところですね。
写生から完成まで30以上の変遷があり、そこから選び抜いた線と色とを使う。
色調・形は遙に熊谷守一が近い、そう思います。
>「漣」は、北斎の「凱風快晴」の空の、青白反転だ
なるほど!
空と水の関係ってなんとなく面白いです。
来年の守一展には行きたいです。
2007/05/29(火) 09:46 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
ここまで詳しいとは素晴らしいですね
七恵さん
以前からとてもたくさん観ていて詳しいとは思っていましたが、自分が好きな画家のもので読むとその詳しさが分かり驚きです
私は、好きな一点だけを追いかけるとかそれを何度もしつこく観たいと言う、偏った好きさです
だから、好きでも福田平八郎にこういう絵があったのかとここで知りました

製作者にとって、作風を変えるのは大変なことです 前の作風の評価が定まっていればいるほどに・・
彼の変化感心して眺めています
2007/05/29(火) 18:54 | URL | えみ丸 #Ng4.hE4g[ 編集]
こんばんは。
関西では、紹介される機会も多い画家さんだったのですね。私は殆どと言って良いほど未見でした。まだまだ修行が足りません…。

作風の変遷についてネガティブなことを書いてしまいましたが、たんに私自身がそれについていけなかったのだとも思います。当時の人々が「漣」を理解しなかったように…。

また時間をあけて拝見したいなと感じました。
2007/05/29(火) 22:08 | URL | はろるど #GMs.CvUw[ 編集]
えみ丸さん こんばんは
お褒めいただき照れてます。
>好きな一点だけを追いかけるとかそれを何度もしつこく観たいと言う、偏った好きさです

その情熱が凄いと思います。私はすぐに妥協しちゃいます。

温和な絵を描きながらも、平八郎は変遷を繰り返し、実験し続けたように思います。
そしてそこからより純度の高い芸術を求めていった・・・

これからも平八郎の作品を追っていきたいと思います。
2007/05/29(火) 22:25 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
はろるどさん こんばんは
>たんに私自身がそれについていけなかったのだとも思います。当時の人々が「漣」を理解しなかったように

しかしはろるどさんの書かれていることもなるほど、と納得できます。
というより、はろるどさんご自身が平八郎の作品で言えば「竹」のようなソフトで清涼な方だと思うので、本文を読んでいても納得している私です。
決してわるいこととは思えません。
「アク」だけは好みが完全に分かれますね。
2007/05/29(火) 22:37 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
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「福田平八郎展」京都国立近代美術館

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