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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

アジアへの憧憬

大倉集古館のコレクションの中核は、大倉喜八郎・喜七郎父子の蒐集によるが、ケンブリッジ大学に留学し、英国紳士のたしなみを身につけた息子と違い、父親は生きた時代もあって、アジアに深く眼を向けていた。
その喜八郎は建築家・伊東忠太を可愛がり、大倉集古館のほかに京都に自分の霊廟となるべき祇園閣をも拵えさせた。
伊東忠太は大アジア主義と言うか、気宇壮大なパトロンを二人持っていた。この大倉喜八郎と西本願寺の大谷光瑞である。
忠太は教授昇格に際して、必須であった欧州留学を喜ばず、三年半かけてアジアツアーを組んだ。最終目的地がヨーロッパだというので忠太の師匠・辰野金吾もそれを許し、帝大は忠太を送り出すことになった。
忠太のルートはシルクロードを往く、とでもいうべきもので、敦煌の莫嵩窟もフランス隊より先に発見していたが、忠太はまだまだ先へ行かねばならぬので、世紀の発見を放って旅を続けた。
その旅の最中に大谷探検隊の橘瑞超らと出会い、そこから大谷光瑞の知己を得たのだった。
さてその忠太はそうした経緯があるところで喜八郎に依頼され、中華風の大倉集古館を拵えた。

前置きが長くなったが、忠太の深い魅力が随所に光る大倉集古館の建物に、喜八郎遺愛のアジア文物が展示されるのは、実にふさわしいことだと言えるのだった。
美術館のサイトにもこうある。
大倉喜八郎は明治から大正時代にかけて、汎アジア的な視点から東洋の古美術品を 網羅的に蒐集してコレクションの充実を図りました。その内容は、アジア諸国の仏教美術を始め、中国の絵画、陶磁・漆工などの工芸品、陶俑や銅鏡などの考古遺物に加えて、宋元版本の貴重書を含む中国の古典籍と極めて多岐に亘ります。従来、その全体像が紹介されることのなかった東洋関係の蒐集品の数々を、奇才・伊東忠太建築による中国古典様式の幻想的な展示館の雰囲気とともにお楽しみ下さい。
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【中国】

「虺龍透文鏡」 春秋時代・紀元前 3世紀 紀元前とは言え春秋時代の文物なので、最早呪術的な味わいは消えている。しかしながら諸侯がいまだこうした様式の鏡を流通させていたことにも、ある種の面白みがある。

「晋沛国相張朗碑」 西晋時代・永康元年(300) 沛と言えば劉邦の故地だが、むろん時代は違う。張朗という人が何をしたかは知らないし、この碑を読めるほどの知識もない。

「如来立像」  北魏時代・ 6世紀初、同拓本  大体北魏と北斉の仏像がニガテなので、いつものようにスルーしたら視線を感じた。…まずいなぁ。

「仏頭」  北斉時代・ 6世紀  ニガテとは言えなるほど綺麗は綺麗である。というより、その綺麗さが怖いのだが。

「婦人俑」 唐時代・ 7?8世紀  唐時代は大変に好きな時代である。文明・文化の極限というのが好きなので、唐代の文物は何を見ても好ましく思う。これまでにも多くの俑を見てきたが、これはまたなかなか可愛さがあり、剥落もいやな感じではない。

「青磁香炉」 南宋時代・ 13世紀 これは日本の茶人が偏愛する青磁だが、父と息子、どちらが需めたのだろう。

「花文堆朱輪花盆」  明時代・ 16世紀  丁寧な細工に感心する。堆朱のいいのは京博にも多いが、これも見応えがある。

「朱曲輪軸盆」 明時代・16世紀  ぐりぐり。以前このぐりぐりはニガテだったが、今は却って新しく見える。アールデコのようにも見える。可愛い。

「清明上河図巻」  明時代・ 16世紀  明代もまた好きな時代だ。その明代の街の風景を描いたこの図巻はかなり以前から好きなものだった。大体風俗画が好きなので、見ていて楽しい。しかし紙質の違いからか、中国の古い図巻などはどうしてもセピア色に焼けてしまう。それが味わいにもなる一方、惜しいような気もする。

「宮女図巻」  清時代・ 17世紀 これは清代だから、その当時の風俗で描かれているが、古代から前代までの有名な女たちの肖像を並べたものである。全員を知るわけではないが、幾人かをみつけた。
しょんぼりの王昭君、琴を抱く卓文君、虞美人、班捷抒は足を組む、ニ喬もいるし、秋水が可愛い・・・
清代らしいなよやかな線で描かれた美人たちを眺めるのは楽しい。

「天后聖母立像」  清時代・ 17?18世紀 天后と名乗ったのは則天武后の他はないはずだ。聖母と言うところがよくわからない。則天武后を国家の聖なる母と看做したのか、そうではなくキリスト教の人々がマリア像として拵えたのか…わからなかった。

【朝鮮】
「唐草文螺鈿箱」  高麗・ 13世紀 高麗時代の文物は特別すばらしいものが多い。高麗青磁(特に11世紀から12世紀のもの)のあのすばらしい色合いを思うだけで、ときめく。この螺鈿もいい。なぜこの時代の芸術はこんなにもよいのだろう。

【東南アジア・インド】
「仏陀立像」 タイ、アユタヤ朝・ 16?17世紀  タイに行くことはまずなさそうな私だが、アユタヤ朝の文物には、幸いなことに触れる機会が多い。仏像はニガテだがタイのそれはなんとなく明るい気分になる。何故かは知らないが。

「過去五十仏と仏伝図」 タイ、ラッタナコーシン朝・ 19世紀  ジャータカ。生まれ変わり・死に変わり、仏陀は不滅である。捨身飼虎もあれば牛のための生もあった。これはなんとなく日本で言う絵解きの出来そうな図だと思う。そういう親しみやすいことから衆生済度を始め…なくてもタイは既に立派過ぎるほどの仏教国だった。わたしは自分の妄想の中で絵解きを楽しもう。

「銀製菓子盛器」  タイ、ラッタナコーシン朝・ 20世紀  タイの銀器は大正頃から日本の茶人にも好まれるようになった。逸翁も茶会にそれを使っていたはずだ。とても繊細で綺麗な細工だと思う。
他にも銀製鍍金の細工物もあり、やはりタイは銀細工が巧い国だと感心した。

「横臥仏像」 ミャンマー、19世紀 ベッドの上で横臥する仏陀。リアル。これを見て手塚マンガ「ブッダ」を思い出している。マンガでは食中毒の原因をヒョータンツギを食べたからだと設定していた。
この像を見るとありえそうな気がしてきた・・・

「多羅菩薩坐像」 インド、パーラ朝・10世紀 菩薩だからロン毛である。インドだからハンサムである。イケメンの仏像にはときめくので、インドやガンダーラ系の仏像にはいそいそと会いに行く。

この他にもいつものガルーダもあり、全部見て回ったときにはすっかりアジアツアーの気分になっていた。なにしろこの日は猛暑日で、一歩外へ出ればすっかり亜熱帯なのだった。
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アートコレクションのおかげで大倉と泉屋の展覧会も見て回れるから、八月は嬉しい気分なのだ。





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コメント
タイの仏教美術
チェンマイに行ったことがありましたが、なかなかでしたよ。↓
http://cardiacsurgery.hp.infoseek.co.jp/Children05.htm#050207
2007/08/25(土) 09:19 | URL | とら #vv0vfxFI[ 編集]
大倉コレクションの形成にこのような経緯があったのですね。全く知りませんでした。深いです…。

ともかく今回は、もっぱら東南アジア、インドの仏像に目が向いてしまいました。

>イケメンの仏像

インドのは確かにそうですよね…。ポイント高しとでも言ったところでしょうか。v-291
2007/08/26(日) 11:09 | URL | はろるど #GMs.CvUw[ 編集]
☆とらさん こんばんは
チェンマイの絵、素敵ですねー
以前タイ航空のお土産のカバー絵がそんな感じで、今もお気に入りにおいてます。


☆はろるどさん こんにちは
数年前、インドとガンダーラの仏像展が奈良博で開催されて、それでわたしも開眼ですよ。
日本の平安・鎌倉期以降のはニガテですが、こちらは素敵です。
2007/08/26(日) 19:12 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
泉屋と、大倉のセット、やめられませんね。
小粒ながらも、
個性溢れる収集で、大倉はお気に入りです。
忠太さんと中国ものがぴったりで、喜八郎さんもこの企画はお喜びでしょうね。
2007/09/15(土) 23:09 | URL | あべまつ #-[ 編集]
あべまつさん こんばんは
大倉にはまだまだ隠し財宝がザクザクですよ。そのうちまたアッと驚く展があるでしょうね。
父上のハチは大喜びでしょうがご子息のNANAは静かに微苦笑を浮かべておられるかも。
2007/09/15(土) 23:26 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
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