FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

佐藤さとる コロボックル物語展

コロボックルの友達になりたい、本気でそう思っている。
mir256.jpg

佐藤さとるの生み出した物語「コロボックル・シリーズ」に魅せられて随分長く経つ。
今、神奈川近代文学館で『佐藤さとる コロボックル物語展 だれも知らない小さな国』が開催されているので、逸る胸を抑えて出かけていった。
港の見える丘公園の一隅にある文学館、入る前に船の汽笛がボォーーーッ と鳴った。
コロボックル・シリーズは枝葉もあるが、幹として以下の五作がある。
『だれも知らない小さな国』『豆つぶほどの小さな犬』『星からおちた小さな人』『ふしぎな目をした男の子』『小さな国のつづきの話』である。
主に講談社からこのシリーズは出版されている。
mir257.jpg

『だれも知らない小さな国』の冒頭を挙げる。
「二十年近い前のことだから、もうむかしと言ってもいいかもしれない。ぼくはまだ小学校の三年生だった。」
追想から、この壮大にして<小さな>物語は始まる。
語り手せいたかさんは佐藤さとると同い年の<お友達>で、だからこの追想の時点では昭和は真ん中頃だった。
わたしが初めてこの作品を知ったのは、小学五年生の教科書からだった。
この冒頭から一章分が掲載されていて、その続きが読みたくて文庫本で購入したのが最初だった。せいたかさんの追想からほぼ二十年後のことだ。
既に文庫は四作目まで出ていた。小学校を卒業するまでに当時出版されていた文庫本は全て購入したが、更に図書館で「佐藤さとる全集」を借りて大判本も楽しんだ。というのは、文庫ではモノクロの挿絵だけだが、大判の本には村上勉のカラー口絵などが掲載されていたから、それを見ていたくて借りたのだった。
こちらは大人になってから古書店で見つけた版。
mir258.jpg

佐藤さとると村上勉の黄金コンビに魅了されたことが、いよいよわたしのときめきをふくらませていった。
この展覧会では、コロボックル・シリーズと『おばあさんのひこうき』がメインだが、わたしは他にも『赤んぼ大将』『ジュンとひみつのともだち』を熱愛している。
タイトルを挙げた作品はいずれも日常の隙間に活きるファンタジーだ。
わたしはハイ・ファンタジーはニガテだ。剣と魔法のファンタジーにはそれほど惹かれない。ただし『指輪物語』の原作と映画、『ゲド戦記』の原作だけは別格なのだが。

さてそのコロボックル・シリーズ。
語り手せいたかさんは子供時代に、自分だけの小山を見つける。その小山を愛したせいたかさんはだれにも内緒で小山に遊ぶ。そんなある日、小さな女の子がそこに侵入しているのに出くわすが、同時に<小さな人>を目撃する・・・
二度と目撃できぬまませいたかさんは引越し、やがて戦争になり、そして平和が戻ったある日、青年になりかかったせいたかさんは、かつての小山を渇望する。
小山は全く変わることなくそこにあり、せいたかさんは歓喜し、小山を所有しようと考える。小山の持ち主はせいたかさんに理解を示すが、小山には悪い噂があると言う。
そしてせいたかさんはその悪い噂たる<小さな人>に「再会」する。
彼らとの交流が始まり、せいたかさんは彼らの種族を「コロボックル」と呼ぶ。
また、小山に侵入した若い女性と、仕事先で再会する。
彼女も「何か」気づいているらしいことを、コロボックルの仲間に知らされる。
初めて小さい人を目撃した日、そばにいた女の子こそ、彼女だったのだ。
やがて彼女もまたコロボックルの仲間に迎えられ、その尽力もあってついに小山を手に入れる。せいたかさんはコロボックルとの共生を、歓喜を以って示す。
・・・今こうして『だれも知らない小さな国』の概要を書いたが、書くだけで嬉しさがこみ上げてくる。そして自分の理解度を改めて確認する。
物語は紆余曲折もあり、コロボックルたちそれぞれの個性の面白さもあり、尽きることない魅力に満ちている。
第二作以降はコロボックルが主役となり、その活躍が「佐藤さとる」によって綴られる。
わたしは『豆つぶほどの小さな犬』を子供時代、特に愛した。今でも特にどの巻が好きかと訊かれたらこの作品を挙げるだろうが、どういうわけか大人になってからは『だれも知らない小さな国』を、繰り返し読み続けている。思い立てばすぐ本を手に取る。
せいたかさんはコロボックルを守ろうとして、小山の番人になる。二作目以降せいたかさんが結婚して、おちゃめさんという女児の父になり、段々と社会人としても忙しい人になるのを、わたしたちは知らされる。
『豆つぶほどの小さな犬』ではコロボックルの猟犬であり飼い犬だったマメイヌの再発見が語られ、同時にコロボックル新聞社の創立の経緯をわたしたちはみつめる。
物語の主役はコロボックルに移り、その活躍をどきどきはらはらしながら、見守る・応援する・心配する・安堵するのだ。
その喜び!こればかりは実際に触れてみないと絶対にわからないだろう。
第三作『星からおちた小さな人』で、コロボックルの一人が人間の少年の手に落ち、救出と和解との顛末までが語られる。
この少年は長じて後にコロボックルの友達すなわち庇護者となり、やがて第五作『小さな国の続きの話』でその次のコロボックルの友達となる女性と結婚する。彼女はおちゃめさんの友人であり、佐藤さとる著『コロボックル・シリーズ』の大の愛読者なのだ!!!
挿絵。クリックしてください。mir260.jpg


この第五作にはビックリ仰天した。
それには理由がある。
個人的理由からゆくと、四作目までは既に刊行されていて、わたしはその時点での愛読者なので、「うまく作ってるなぁ」という感心を、物語へのドキドキと同時に抱いていたわけだが、新刊の第五作には、その感心を蹴り飛ばされたのだ。
劇中劇とは言わぬが、物語の構造が第五作では大きく揺らいだのだ。
取り込まれた、と言うべきか、その構造の中へ。

作り物だと思っていたものが、実は現実なのかもしれない・・・という疑問を私は持たされた。
これは常識がどうのということではない、信じない人間には真実も事実も見えはしないのではないか、という疑念まで持たされたのだ。

私はその新刊が出たときから、実在について深く考えることをやめた。佐藤さとるの作劇術の巧みさと言うことを考えるのも、やめた。
コロボックルは、いる。
いるが私の近辺にはいない。多分横須賀の山の方にいるに違いなく、会うことは多分無理だろう。
そんな風に私は信じるようになっていた。反論する必要性もなかった。

ここで話を変えて佐藤さとるの文藝そのものについて思ったことを書く。
強い構造、耐震強度の強い、構造。
佐藤さとるの世界にはしっかりした枠がある。世界を支える背骨は工業なのだろう。
しっかりした構造があるからこそ、空想は深く高く広まる。
細部のリアリズム、それがいよいよその世界を深める。
適当と言うものは存在せず、ものさしはキッチリ活きている。
理屈に合わない設定は存在しない。
それが快く、そしてわたしにはとても納得できるのだった。

そのリアリズムが土台にあるからこそ、空想はイキイキと活きる。
ファンタジーではない作品がある。
『わんぱく天国』 これは子供の頃あまり好まなかったのだが、年齢を重ねるほどに好きな作品となっていった。
戦前のわんぱくな子供たちの日々が描かれている。この時代の心の豊饒さに胸が躍る。
わたしが昭和初期までをメインにした挿絵専門の弥生美術館を長らく愛しているのは、この作品などで、近代日本の黄金時代を見たからか、と思うときがある。
この時代の子供たちが愛した少年小説などを思うだけで、わたしもときめいて苦しくなる。
藤子不二雄『少年時代』は疎開先での物語だが、そこから『豹の眼』などを知り、晩年の澁澤龍彦の追想禄から武井武雄などを知ったのだ。
そういえば佐藤さとると澁澤龍彦は同い年なのだった。
昭和三年生まれは、戦前の黄金期に子供時代を生きたのだ。
そのことを思うだけで、嬉しくなる。

一方、わたしたちにコロボックルのビジュアルを、イメージを送り込んでくれたのは村上勉だった。
小学生のときにコロボックル・シリーズを知ったおかげで、わたしにはもう一つ喜びが生まれていた。村上勉の挿絵が、音楽の教科書に掲載されていた。
そのことに気づいた私は懸命に絵を探した。
そして何十年経った今でも、音楽の教科書を保存している。
更に嬉しいことがあった。今、この記事を書くために音楽の教科書を開くと、他に安野光雅、北田卓志らの絵もみつけたのだ。それも自分の好きな曲にはこの人が、こちらはあの人が、と言う風に。二人は幼稚園で貰う月刊絵本の作者たちで、村上勉より先に知った画家たちだった。
mir259.jpg

村上勉の絵は何度か転換期を迎えて、随分変わっていった。
わたしは『ジュンと秘密のともだち』頃の絵が一番好きだ。しかしどの時代のどの作品にも共通して、ある種の優しさ・暖かさ・ユーモアが活きている。
絵本画家としてデビューした初期の作品・マロー『家なき子』のなか、悲惨な状況のシーンでも、何かしら温かみがある。
カラーの色調だけではなく、ペン画についてもそうだ。
近年、佐藤さとるの傑作『おばあさんのひこうき』を完全に絵本にした作品があり、その原画が展示されていた。
編み物名人のおばあさんの日々、おばあさんは編み物で生計を立てているが、独居老人の居間の様子、毎日のオヤツなどが描き込まれている。
それを見るだけでワクワクする。今日はヨーカン、明日は安倍川餅、それから・・・と言うように。
これらを眺めるだけで本当に嬉しくなる。

いくらかいても書き足りない。いくらでも書けるし、しかし満足できるような出来ではない。ファンのくせに力が足りない。
ただただこれからも佐藤さとる・村上勉のコンビで作品を見続けたいと願うばかりだ。
この展覧会を楽しみに横浜まで出かけた甲斐があった。
見終わって、私はやっぱり心の中で願った。
コロボックルの友達になりたい、と。
関連記事
スポンサーサイト



コメント
コロボックル
驚きました。
教科書に載るお話になったのだと。
それと、佐藤さとる氏がずっと連作書き続けていたこと!
知らなかったです。
私は道産子なので、普通に蕗の葉陰にコロボックル達がいるって信じていました。木のブランコに座ったコロボックルのお人形も持っていました。
もちろん私の時代はモノクロの挿絵でした。
今は、5作までもあって、カラーで挿絵があるんですねぇ。
「おばあさんのひこうき」は息子が読みましたよ。ほのぼのとした、でも本当に編み物上手なおばあさんが飛んできそうでした。
心が浄化できる素敵な世界です。
連作気になりますので、図書館ツアーせねば、と思ったのでした。
物語に息を吹きかけた村上勉の絵にも
癒されます。愛しい世界です。
2007/09/08(土) 22:54 | URL | あべまつ #-[ 編集]
あべまつさん こんばんは
シリーズは5作ですが、番外編なども多いんです。
昔は『わんぱく天国』はあまり好きではなかったのが、今ではついつい手に取り好きな頁から読む本になりました。コロボックルは気合を入れて読むのに。
おばあさんのひこうきは本当に素晴らしいです。ただ、今回改めて絵本原画を眺めているうちに、「おばあさん燃え尽き症候群になってないか」と心配になったりしてます。
佐藤さとるの描くキャラたちに愛情と友愛が湧くばかりです。
どうか息子さんにもどんどんおススメください。
2007/09/09(日) 00:51 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
懐かしい~。
佐藤さとるさんのコロボックルシリーズ
大好きで、文庫本持ってました。
でも、お話の内容が全然思い出せません。
(それで好きと言って良いのか?!)
第5作は多分読んでないと思います。
続きがあったのですね。
2007/09/09(日) 18:38 | URL | meme #-[ 編集]
memeさん こんばんは
4から5の間に長い長い時間がありましたからね。5が出たときのショックは大きかったです。「うそ~~」という感じで。
これからも長生きして佐藤さとる先生にはどんどん物語を書いていってもらいたいです。
『赤んぼ大将』も25年後に新作が出まして、そちらもびっくりでしたが、とても感動しました。きちんと25年の歳月の空間が活きている・・・そのことにも感動でした。
やっぱりいいものはいいです。
2007/09/09(日) 21:07 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
うそ~ん、いや~ん、懐かしい~~!
娘にも読んで聞かせて、大人になってもう一度再会しました。
コロボックルは今もうちの庭で遊んでますよ♪
でも、あれ?5巻は読んでないような…

音楽の教科書も懐かしいです。
そうそう、これ、私も使ってましたよ~
昔の挿絵は変に子供に迎合してない、寧ろ子供の美意識を
引き上げるような良いものが多かったですね。
2007/09/11(火) 14:07 | URL | 山桜 #-[ 編集]
山桜さん こんばんは
再会、が嬉しいですよね~
5巻は'80年代に入ってから出版されてるんですよ、図書館へgogo!

今の教育状況って本当に知らないので、こうして教わると、わたしたちは恵まれていたんだなーと思うばかりです、本当に。

森のクマさんは小学校の音楽鑑賞会のとき、朝比奈隆さんの指揮で、みんなで輪唱した懐かしい歌でもあるのでした♪
2007/09/11(火) 21:34 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア