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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ロシア皇帝の至宝展

国立国際美術館で『ロシア皇帝の至宝 世界遺産クレムリンの奇跡』展を見た。
これは東京で既に開催されていたが、大阪で待っていた。国立国際美術館は肥後橋のこちら側に移転してから、随分集客が増した。いいことだ。
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さて、わたしは実は日本史、中国史の次にロシア史が好きだ。
ドイツ、フランス、イタリア、イギリスよりもロシア史の方が好きだと言う理由は一つ、少女時代に池田理代子のマンガに夢中だったからだ。
『オルフェウスの窓』でロシア革命にハマリ、『女帝エカテリーナ』でいよいよ高まり、小説や資料を読み耽ったことで、すっかり好きになった。
映画でも『ドクトル・ジバゴ』『REDS』『追想』に夢中になったが、本当に今でも好きで仕方ない。
私にとって最初のロシアとは何か。
30代以上の関西人なら誰もが知っているあのパルナス(今は廃業)の歌。
http://www.youtube.com/watch?v=tFlqIstTEi8

それから『石の花』などの煌くような映像。
さすがにロシア民謡華やかなりし頃(歌声喫茶の時代)は親の世代なので知らないが、ソ連とロシアは違うのだ、とはごく幼児の頃から知っていた。

ボリシェビキが権力を握るまでは宝石が随分幅を利かせていた。ロシア正教会も活きていたが「宗教は麻薬だ」の台詞で抑圧されてしまった。
ロシア革命自体は立派なのだが、反動はいつの世でもムチャクチャだ。
政治が変わると色々なトラブルが起こる、と言うのをここからも学んだように思う。

さてこの展覧会。行く前に近所のリーガロイヤルホテルに寄ったら、ウスペンスキー大聖堂の砂糖菓子が展示されていた。入り口のイコンまで再現されている。ス・ゴ・イ。
しかも展示場ではクレムリン・エッグも再現しているそうな。これは早く行かなくては。

7章に分けられた構成だが、6章までは歴史区分で、最後だけ絵画と版画でクレムリンを描いたものが集められている。
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1.12世紀半ばから16世紀初頭
この少し前のケルジェネッツの戦いのことなど思う。『話の話』『霧の中のハリネズミ』などで知られるユーリ・ノルシュタインの初期作品でそのことを学んだが、あれはイコンを動かしていた。
なにもかも見事な装飾。ヨーロッパではないことを思う。ウラジーミル公国以前の大昔のこの地のことを思う。黄金装飾の遺宝を多く残した南ロシアの騎馬民族などを。

2.14.15世紀大公国のモスクワ
イコンがいくつかある。以前はイコンがニガテだったが、今はなにか懐かしくさえ感じる。15世紀の吊り下げ香炉に関心がゆく。明代の遺品にもこんなのがあった。袖用の香炉だったが、これはやや大きい。
オクラド、とある。飾りのこと・カバーのこと。
これだ。mir272.jpg

イコンを飾る金ぴかに宝石ザクザクのカバーのこと。絵にあわせて形が刳られている。
イコンは失われたが、オクラドだけ遺されたものもある。
瑪瑙、電気石、紫水晶、真珠など・・・宝石と貴石が張り付いている。見ているだけで眩暈がする。幻惑される。わたしはトルマリンに惹かれてしまった。
「ダッタンの頸木」の時代にもパネルの説明は触れている。出た、アレクサンドル・ネフスキー。ネフスキー大通りという地名がペテルブルグにある。メインストリート。ネフスキーとは即ちネヴァ川のことだ。

3.16世紀の首都モスクワ
オクラドつきの遺宝が凄まじく並んでいる。見る側も大変だ。
みんな口開けて眺めている。私もそう。イコンに見蕩れているのではなく、オクラドに、その金と宝石とに。エルサレム入城のイコンが二枚ある。どちらも丁寧な作画で、メインの絵の周囲四方にコマ絵が続いているが、ちょっと曼荼羅絵を思い出す。
一つ一つにも深い意味があるのでそれを見るのも面白いが、オクラドに眼を奪われてしまった。
イワン雷帝の説明もある。読みながらアンリ・トロワイヤの小説を思う。エイゼンシュテインの映画のいくつかのシーンが脳裏に浮かぶ。歌舞伎から発想を得た構図も多い。

4.17世紀ボリス・ゴドゥノフからピョートル大帝の時代まで
また面白い時代になった。とにかく偽物が多く現れ、僭称するのがロシア史の面白いところで、日本ではせいぜい天一坊事件くらいしか思い当たらない。
ピョートル大帝はわたしにとってポチョムキン公と同じくらい魅力的な男性だ。ときめいてくるしくなる。
この時代はまたすばらしい遺宝が多い。どうもナゾなひしゃくとかカービン銃、長杖などがある一方、メロンを模したフルーツ皿のタワー?もある。
いやもう実に見応えがある。よくもこれだけ作ったものだ。

5.18世紀の古都モスクワ
ピョートル大帝は自分の守護聖人ぺテルの都と言うので、新しく人工的に作り上げた都市にその名をつけた。当時はロシア語そのままの地名ではなく、ドイツ語の地名をつけることが慣例だったので、その都はザンクト・ペテルブルグと名づけられた。
このコーナーではピョートル大帝の肖像画などがあり、嬉しくなった。
なにしろ2mを超えた大男だから銅像も大きいのを写真で見ている。
女帝エカテリーナ、この人のおかげでエルミタージュ美術館が後に生まれたのだ。漂流した大黒屋光太夫も女帝に同情されて、ロシアでは良い暮らしが出来たそうだ。
展示されている一点一点が、そんなわけで親しく思えて仕方ない。


6.19世紀における国民的伝統の復活
感心したのはクレムリンのスパスキー門の鍵。大きい鍵で銀色がひかる。鍵一つにしても故意に大きいものにするところがいい。なんとなく西本願寺の飛雲閣への鍵を思い出した。
近代になるほど派手さは潜めてゆく。
このときに例のクレムリン・エッグが作られたのだ。全く感心する・・・
会場を出たらshopではリーガロイヤルホテルのパティシェによるチョコレート細工があったが、実物とあまり変わりがないのが、凄かった。

最後の皇帝ニコライ二世とその家族の肖像などがある。この人は皇太子時代に日本へ来て『大津事件』の被害者になり、家族仲は円満ではあったが、ドイツ語しか解さない皇后の不人気さもあり(当時のロシアの上流階級では、フランス語が使われていた)、日露戦争にバルチック艦隊はまさかの負けを喫するわ、1905年に『血の日曜日』はあるわ、皇太子は血友病で、いかがわしい怪僧ラスプーチンにすがるわで、惨憺たる有様になってしまった。
生まれてきてはいかん時代に生まれてくる人間、と言うのは確実にあるなと思う。
しかもどういうわけか必ず王族に生まれてくる。王族に生まれるから、そんな運命を担わされるのかもしれない・・・。
ラスプーチン暗殺ドキュメントは池田理代子の『オルフェウスの窓』でどきどきしながら見た。今でも台詞を思い出すくらいだ。実行者ユスーポフ公がラスプーチンにナイフを振りかざしながら独白する。
「祖国ロシアのため、皇帝陛下とロマノフ王朝の御為、天に代わってそなたを討つ」
・・・しかし手遅れで、最初はメンシェビキが次にボリシェビキが実権を握って、とうとうロマノフ王朝は倒れてしまった。
だから展覧会の展示物は1917年までのものに限られている。

個人的に気合の入る展覧会だった。いい物をいっぱい見せてもらった。
遺宝はモスコーのクレムリンからの貸し出しだが、わたしの憧れはピョートルの都ペテルブルグである。
今、私の脳裏には唐十郎の一文が浮かんでいる。
「浦塩に行ってみたいと僕は思う。それも夢野久作の書いた浦塩の町である。」
沿海州や極東にも憧れつつ、わたしも唐風に書くのなら
「聖彼得堡に行ってみたいと私は思う。それも池田理代子の描いたかの地へ」
莫斯科にはまだまだ行けそうに、なかった。
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コメント
こんにちは。

クレムリンの武器庫見学が苦痛だった記憶だけが残っていて、ついこの展覧会は回避してしまいました(ガイドのロシア女性がひとつひとつの展示をこれでもか!というくらい長々と解説していたせいです、きっと)。記事読ませていただいて、やっぱり行っておけばよかったかもと少し後悔。

私も「パルナスの歌」で育ちました。今月5日発売のCD「心と耳にのこるCMのうた」に収録されているそうですが、発売されたのでしょうか。ケーキも好きだったのに残念です。
2007/09/11(火) 12:35 | URL | キリル #-[ 編集]
♪夢のお橇が運んでくれた~
キリルさん こんばんは
案内ガイドさんによって好き嫌いが生まれるのは残念無念ですよね、わたしは近江八幡がそれなんです。トラウマになるくらいです。

リュスを名乗られるキリルさん、お小さいときはパルちゃん(あのキャラですね)と仲良しさんでしたか!
あれは関西圏だけのCMかと思いますが、こちらのご出身でしたか。
うーんFrom Russia with a love~ですね(なんなんだ?)
2007/09/11(火) 21:28 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
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