FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

名画の理由・前期

大阪市立近代美術館(仮)で『名画の理由』展の前期が開催されている。
ここは元・出光美術館だった場で、心斎橋にあるからとても行きやすい。
ハコを中之島に作るんだ、という夢は立派だがここで賃貸料払う方が合理的だ。
mir309-1.jpg

赤字タイトルは以下のURLに画像がある。

赤松麟作 孔雀 1894年  この孔雀を見ると、応挙の孔雀が岩絵の具をはがされて油の衣をまとった、そんな感がある。19世紀末の日本洋画はまだまだ試行錯誤の時代だったと実感する。この作品は座敷に飾れるように屏風仕立てなので、例えばそんな状況にあったとしたらこんな会話が成り立つだろう。
「ほぉ孔雀でっか、変わってますな、油絵?」「そうですねン、ちょとおもろい味がありますやろ」「南蛮漬けみたいなもんですな、わるぅはない…」

池田遙邨 雪の大阪 1928年 この作品は以前目黒雅叙園に収蔵されていたと思う。美術館が解散し、あの麗しい作品群がどこへ四散したのかと思うと、今も胸が痛くなる。
さて『雪の大阪』に描かれているのは昭和3年の中之島にかかる難波橋から大阪城方面を望む風景である。難波橋にはライオン像が袂にあるが、ここは橋の真ん中。そこからの景色。
こちらは描かれた建物の説明図。
クリックしてください。mir311.jpg

80年も経つと今や殆どの建物が失われ、形を変えている。府庁と大林組の外観はまだ今もそのままなのがうれしいが、正教会はどこへ消えたのだろう…当時の建物の写真を見たいと思った。わたしは田園・森林風景にあまり関心がないが、都市風景には深い関心がある。
だからこの作品も日本画の作品として眺めるのでなく、近代都市風景として対してしまう。

石崎光瑤 白孔雀 1922年 去年のここでの展覧会からこの作品が世に現れた。
その後回顧展も開催され、多くの人がこの艶麗優美な作品に魅せられた。熱帯の森の中、白孔雀が優雅に佇む。華麗なる白。グラン・ブラン。視界いっぱいに美が広がる…

岸田劉生 静物(湯呑と茶碗と林檎三つ) 1917年 麗子だけでなくこうした静物画を見ると、劉生の巧さと言うものに胸を衝かれる。北方ルネサンス絵画が日本の土着性と融合したような、到底現代では描けない作品だと思うのだ。この質感がたまらない。

北野恒富 涼み 1926年 浪花の悪魔派と謳われただけに独自の微妙な官能性がある。近年回顧展も開催されたが、こうした本絵もよいけれど、ポスター原画などの魅力を知るだけに、ここにもそうした作品を集めてもらえたら、と思った。

小出楢重 菊花 1926年 この菊花は不気味さグロテスクさを見せている。というより、咲く菊花には清純さを感じるが、切花になると途端に不思議な妖しさが漂うものだと実感する。活けられた菊花はもう明日には萎れるだろう。テーブルに落ちる花びらはその死を予感させる。菊慈童は菊の露で千年の長生を得たが、切られた菊は棺に収まる遺骸に寄り添うものなのだ。
小出は随筆・座談の名手だったと言うが、その随筆に時々ひやりとする恐怖が潜んでいる。彼はそれをざらりと曝け出す。そして冷徹な眼でそれを眺める。
この絵にもそんな感性が見出せる。

白瀧幾之助 復習(さらひ) 1903年 民家の二階でお針ごとをの手を止めて姉が妹に三味線の手を教える。「ほらそこや、こぉや、チントンシャンやのぉてチ…ントンシャンや」
そんな声が聞こえてきそうな情景だった。この頃まだ家庭には和の風景が生きていた。
そんな情景を油絵で描きとめる苦労と言うものを、やはり考えた。

福田平八郎 漣 1932年 先般回顧展が開催され、深い感銘を受けたが、この作品は釣り好きな福田が珍しくボウズだったときに水面を見て、着想を得たそうだ。
観念的な作風がニガテだったが、今では福田はわたしにとって好きな画家の上位に名を連ねている。この絵には無限の広がりを感じる。

藤島武二 カンピドリオのあたり 1919年 武二が巴里でなくイタリーに眼を向けたのは、日本近代洋画界にとって大変な幸福だったと思う。
町中の一隅。温度まで伝わる作品だった。

村上華岳 雲上散華之図 1938年 ほとけは天に舞う。散華するのは花なのか。働くほとけ。

満谷国四郎 杏花 1920年 満谷の色彩感覚が好きだ。艶消しというか煌くものは感じないが、柔らかな質感がそこにある。それがまったりと意識に収まる。
杏の花よりその枝振りが眼に残る。いい作品だった。

関根正二 天平美人 1917年 関根のイメージというと、重く厚い色調 それが脳裏に浮かび上がる。しかしここにいる天平美人はとてもあっさりしている。油彩とは思えない。
白い画面に月琴を弾く天平美人とタンポポ・アザミ、そして白孔雀、チューリップ連続パターン。与謝野晶子の和歌がそこに書かれてもいる。青木や武二の天平時代とは異なる描き方だが、天平時代のおおらかな豊かさがこちらにも伝わってくるようだった。

竹内栖鳳 惜春 1933年 薪を積み重ね集めた上に鶯がいる。桜の花びらが辺りに舞い散り時期の移行を感じさせる。桜は花の王と言う。(春はまだ続くというのに)王の死で春が逝くのを感じる繊細さ…この感性はいつまでもDNAに残しておきたいものだ。

土田麦僊 散華 1914年 今回チラシにこの作品が使われていた。丸顔の菩薩たち。チラシには出ないが左右それぞれに二人ずつ僧侶がいる。内側は若く、外側は老人である。
彼らは東大寺倶舎曼荼羅に描かれた僧侶をモデルにされている。その一方、舞い舞いする菩薩たちは浄土教の変相図から採られている。遠目には菩薩の舞が愉悦を思わせもするが、表情に陶酔はない。散華と言う言葉の本質がそこにあるのかもしれない。

これらの作品は以下のサイトで画像が見れる。
http://www.city.osaka.jp/yutoritomidori/culture/museum/shuzo/index02.html

菊池契月 婦女 1930年 この作品は北野の隣に並んでいた。どちらも白い絵だと思う。余白の美を味わわせる絵。色彩がなくとも線描の美に酔う体質が我々には受け継がれている。

木谷(吉岡)千種 浄瑠璃船 1926年 mir310-1.jpg

吉岡は旧姓、近松研究家・木谷蓬吟と結婚してこの姓になった。舟遊びに出た人々の前に、流しの浄瑠璃語りが舟で来る。語るのは梅川忠兵衛、他に政岡忠義談の本も見える。こちらの舟には瓜も摘んでいる。夏の楽しみはこんなところにもあったのだ。木谷千種は北摂に画塾を開き、大勢のお弟子さんをもった。
大阪は京都と違い、女が絵を描くことに反対などしなかった。以前浪花の女絵師たちといった趣の展覧会を見たが、この先も彼女らの遺作がここに集まり、日の目を見れば、と思っている。

小磯良平 コスチューム 1939年 日本の洋画家でバレリーナを描いて全く違和感のないのは、小磯と鬼頭鍋三郎だけではないか。背筋の美しさに惹かれた。小磯はいつ見てもいい。

小出楢重 裸女の3 1929年 寝転がる女。片方の胸だけ何故かピンク色。ワカメちゃんカットのような髪型。日本の女の身体もわるくない、と示したのは小出と満谷だと思う。

スイカのある静物 1928年 困るくらい、おいしそうなスイカ。夏が終わったのに、この絵を見た途端スイカが食べたくなってきた。とてもおいしそうなスイカだった。
mir310.jpg

里見勝蔵 雪景 1924-25年頃 ヴラマンクの影響が濃い。ここでいつも思うのは里見が佐伯を連れて行って「アカデミズム!」事件がおこったわけだが、ヴラマンク先生は自分の亜流のような里見の絵については何も言わなかったのだろうか。時々そのことを考える。

山口華楊 角とぐ鹿 1918年 岸派の流れを汲むだけに動物画がすばらしい。このときはまだ若描きで、色調も後年の軽快さがない。鹿が木の根元でツノをといでいる。がしっがしっがしっ。そんな音が聞こえてきそうだ。

山内愚僊 朝妻舟 1897年 白拍子のなりをした女が小舟に乗る。この美術館(仮)が生まれてから、京都でもよそでも山内の作品が表に出るようになった。
この白拍子姿の女は、江戸時代なら舟饅頭、戦後なら『泥の河』の女と同じ職業なのだった。

10/8までこのラインナップ、13日から11/25まで’30?’50年代のモダニズム作品に替わる。
関連記事
スポンサーサイト



コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア