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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

夏目漱石展をみる

夏目漱石の展覧会が江戸東博で開催されている。
これまで漱石の展覧会は文学館などが多かったので、こうした複合的性格を有した施設での展覧会は初めてらしい。
かなり大掛かりな展覧会だった。
来場者を見ると、文学好きそうな人・団体観光・子供に教養を与えたくて、という人、色んなタイプがいる。
夏目漱石だけは「聞いたことない」とは言えない作家だと思う。
きっちり内容を知らずともタイトルだけでも「ハイハイ」と挙げれる作家なのだ。
一体いつからそんなことになったのか。
その辺りを調べると面白いだろうが、パスする。
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チラシは明治大帝の大葬の際、喪章をつけた肖像写真。そこに『猫』がまといついている。

近代人の苦悩を描いた、というコピーがしばしば漱石にはつく。
しかし近年、どうもわたしは漱石の随筆・旅行記などに関心が深まっている。
近代小説家・漱石より、江戸っ子の戯作者としての面に惹かれているのだ。
チラシ裏面・クリックしてください。mir336.jpg

弟子や友人たちとの書簡が展示されている。
特別面白かったのが小宮豊隆への巻き手紙。
小宮豊隆は漱石の弟子の中でも、なかなかユニークな人物だと思う。
(私はすぐに『中村吉右衛門論』の冒頭文を思い出す・・・)
渋谷文学館にある写真パネルが展示されている。文学者の宴席の記念撮影で、小宮豊隆はちょっと楽しいポーズをとっている。
彼は師匠に「お父さんになって」という懇願をしている。それへの返事が面白かったのだ。
「…僕はこれでも青年だぜ…なかなか若いんだからさ…僕はオヤヂで散々手古摺った…旧幕以前なら火あぶりにでもなる倅だね…」
巧い、と思いつつ「おもろいなー」が先に湧く。
ニガイ思いもこうした洒脱な文章が、その胆汁を忘れさせる。
また他にも面白い手紙があった。相手はやはり小宮豊隆。
これは『猫』の成功の後、滑稽新聞が戯画を載せているのをわざわざ漱石本人が模写している。
漱石の顔をした猫の図。新聞のそれは写真などで我々がイメージする漱石ご本人の顔なのだが、漱石自身の模写になると、やたらハンサムになっている。そしてそこに
「できることならば、あんなばかげたことを生涯書いていたい」
・・・いい、すごくいい。
ここで思い出したが、久世光彦は向田邦子との思い出話に必ずこのエピソードを入れていた。漱石の作品で最初に『猫』を読むか『坊ちゃん』を読むかで、その人の漱石観が変わる、と。二人は猫派なので作中のあほらしいくだりを延々と口述しあう。
わたしは『坊ちゃん』派だが、段々と宗旨替えしそうな気配がある。
江戸の戯作の伝統が、漱石の身内に蓄積されている・・・それが面白い。

この展覧会では漱石の英文ノートが多く展示されている。
たいへん几帳面な文字である。成績表も見る。理系に強いのにはびっくりするくらいだ。

それにしても弟子もえらい。
なき師匠の大切な蔵書を疎開させた…しかも一冊二冊ではない、三千冊余を疎開させて守り抜いたのだ。
そのことを思うだけでも感心する。
現在、東北大学所蔵のそれらを眺めると、戦前の師弟のあり方に胸が温かくなる。

わたしは漱石自身の書いた書物は読むが、研究書・評論は読まない。
他の作家が対象の文芸評論や研究書は好きなのだが、漱石論は読む気になれないのだ。
だから自分で見た漱石の文章しか知らない。

『草枕』などでオフィーリアを想起させるエピソードや、『薤露行』『幻影の盾』など、英国世紀末浪漫嗜好に基づいた作品などを読めば、漱石が深くラファエル前派ファンだということが見える。
『夢十夜』の第一夜でも白百合が輝いている。このイメージもまたたいへんなロマンティシズムがあふれている。
そして美禰子や藤尾などはファム・ファタールそのものではないか。
実際、漱石はヴィクトリア朝絵画のファンで、画集も所持していた。
漱石の蔵書より。
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オフィーリアの死、シャロットの女、神託…

この展覧会には漱石の描いたミレイの模写などがある。彩色は漱石オリジナル・カラー。文人画もいいが、模写もよく、前述の戯画もいい。
そしてそうした美術への歓びを持つだけに、漱石は自著の装丁の見事な美麗さにも喜んでいたろう。
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橋口五葉によるアールヌーヴォー調の装丁、『猫』の表紙絵も素敵だ。猫の戯画は浅井忠。(浅井忠はけっこう楽しい戯画が多い)
他にもいろいろ。IMGP2530.jpg

津田青楓の木版画も綺麗だ。
そして漱石自身がチョキチョキ切り抜いたイラストなどを眺めると、本当に好きなのだとわかる。
楽しそうな漱石が見えるようだ。
(尤も漱石の随筆を読むと、いろいろとフクザツなものが見えてくるが)
…神経衰弱や病気でしんどかったろう、と思いつつも漱石の中の<楽しい部分>に、わたしは最近随分惹かれている。

漱石がガウン代わりに着ていた女物の長襦袢が展示されていた。・・・アールヌーヴォーな柄である。長襦袢と聞けばすぐに丹下左膳や念仏の鉄(・・・)を思うが、漱石は上の二人のような色っぽさとは違う意図で着ていたろう。色合いも柄も綺麗だから、それが何より気に入っていたのだろう。

初めて見たものがある。臨終直前の写真。苦しそうだ。迷信でこういう状況になるとは、漱石も不本意だったのではないか。
その後のデスマスクは静謐な安らぎを浮かべているが、やはり臨終の写真は可哀想だ。
生まれてすぐに迷信と縁ができ、死ぬときも迷信と縁ができた。
展覧会の始まりの場所に、漱石の実物大1/1フィギュアが展示されていて、作られた声がする。
実際にこんな声なのか・話し方なのかは知らない。
しかしなんとなく出口でそれを思い出した。

出口にはグッズショップが広がっていた。
『猫』デザイングッズが多い。欲しくてクラクラしたが、なんとなく業腹なのでやめた。
図録は朝日新聞社から発行されている。
特別摺りの中から。クリックしてください。mir338.jpg

'95と’98に京都・思文閣美術館で漱石の展覧会があった。
そのとき駒場にあった日本近代文学館の刊行した『漱石・芥川・川端』という本を手に入れたが、そこには中村真一郎の評論があり、巻末には当時副館長・中村稔氏の文学館の危機についての随想があった。
江戸東博ニュースには、閉館した東京都近代文学博物館に勤務されていた行吉氏の『猫との再会に想う』と題されたエッセーがある。
どちらもせつない内容である。
この特別展で<文学>そのものに眼が開かれる人々が生まれることを祈りたい気持ちである。
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コメント
こんばんは。
TBありがとうございます。

この展覧会こそ遊行さんと
ご一緒したかったです。
きっと何十倍も楽しめたはずです。
2007/10/12(金) 23:50 | URL | Tak #JalddpaA[ 編集]
Takさん こんばんは
嬉しいことを言われました。(てへっ)
本当にこれはファンにとっては怒涛の展覧会でした。
文学衰退の時代であっても、深く楽しめる展覧会でした。
2007/10/13(土) 00:12 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
TB御礼
こんばんは。
TB気がつくのが遅くなり、お返事しそこねました。すばらしいページですね。感服いたしました。自分のページは恥ずかしいです。
2007/11/02(金) 22:30 | URL | ねこじじ #-[ 編集]
ねこじじさん こんばんは
ありがとうございます。
今わたしの方からもねこじじさんのところへ寄させていただきました。
2007/11/03(土) 01:13 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
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