安土桃山の豪華絢爛な障壁画を見た後、今度は近代国家黎明期の遺物などを見に出た。
丸太町通りを少し上がった寺町通り、要するに御所を眼前にした地に京都歴史資料館と同志社創立者の新島襄旧宅が並んでいる。さらに少し上がると鴨沂高校がある。
全て明治と縁がある。
鴨沂高校はもとは女紅場から府立一高女、そして共学高校となったが建物も立派に旧く、文物もすばらしいものを所蔵している。
歴史資料館は創立は昭和だが、収蔵資料がすごい。前回わたしが見学したのは『八瀬童子展』だったが、今回は『明治の京都』である。
平安奠都から東京奠都までの千百年、帝の在わした都も
東京都に帝を奪われていよいよ衰退の極みに陥るかと思ったとき、近代化の道を自ら切り開くことになった。
田邊朔郎博士による琵琶湖疏水、初めての市電、第四回内国勧業博覧会…
その辺りの資料が今回出ている。
画像は全てクリックしてください。
丁度昨日22日は時代祭が催行されたが、平安奠都千百年記念祭のための行列から、それが始まったそうだ。
百年以前からコスプレが横行していた、というわけではない。
この内国勧業博覧会の地図が素敵だ。

こうした鳥瞰図はいつもとても魅力的なのだ。
また『平安通志』を著した湯本文彦の資料も多く出ている。
今回の展覧会ではこちらのサイトが参考資料として役に立つと思う。
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi30.htmlその明治の時代にアメリカ帰りの新島襄が今出川に同志社を作った。
そして寺町御門のそばにこの旧宅がある。

鴨川の東は京大、西は同志社のシマだとつくづく感じる。
新島邸はベランダコロニアル様式の外観で、これなら暑い京都の夏をしのげるだろう、と感じた。

一階は主に洋間で占められ、オルガンやテーブルセットがある。
エレクトーンは弾けるがオルガンは演奏方法を知らない。
ちょっとにがいことを思い出した。
二階は和室も多く、しかし色んな工夫がされていて感心した。
キッチンがこれまたいい。

井戸なのは時代だが、このキッチンはさすがアメリカ帰りの男と会津の女傑の住んだ家だと思った。
家具を置けばまた感じも変わろうが、これはしのぎエエ家だった。
玄関そばのベル。なんか和風。

そこから下がると下御霊神社と革堂があるが、どちらにも寄らず向かいの進々堂でお茶をして、四条へ戻った。
高島屋で見た北斎展のことはまた後日に。
後になったが、京都市歴史資料館の展示は11/25まで。
この中で面白資料を見た。
新たな都市づくりのために、京都市の助役がベルリン(伯林市)に出かけ、立派な報告書を提出していた。
丁度百年ほど前の史料。
この時代の役人は、国家を・都市を造営しよう!とゴクゴク真面目に考え、全力で当たっていたようだ。
それって今のどこの国なんだろう、と一瞬思った。
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