FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

なにわ風俗を描く菅 楯彦の世界

芦屋市美術博物館で菅 楯彦の回顧展が開催されている。
mir392.jpg

浪速御民と名乗るほどに浪速の地で天皇を敬い、天神信仰も篤い日本画家だった。
大阪名誉市民第一号。
四十年以前に八十余歳を以って天寿を全うしている。
しかし。
しかしそんな人を大阪は顕彰もせず、作品も集めず(寄贈も断り)、回顧展もしないでいる。
今の大阪に文化なんかあるのか。
わたしは常々そのことを思っているが、今回久しぶりに沸沸と腹立ちが湧いてきた。

芦屋市は小出楢重あたりが住まうまでは漁村で、船員の家族が住んだ地だった。
「てて噛むイワシいらんかえー」
と物売りの声もあったようだ。
山手に巨大な邸宅が生まれるのはもっと後の話である。
つまり船場辺りで商売の成功した人々が大阪から脱出して芦屋に一家を構えたのが始まりらしい。
それだけに芦屋市には大阪画壇の作品が多く収蔵されている。
そしてそのことを大阪市はありがたく思わなくてはならない。

菅 楯彦の作品は軽妙洒脱で粋(すい)で、と表現されることが多い。
実際絵の前に立つと、その言葉に実感が伴う。
わたしが最初に菅の作品を見たのはもう随分昔のことで、ちょっと思い出せない。
つまり知らん間に見ていた絵の作者なのである。
mir393.jpg

菅楯彦と言えば、四天王寺舞楽・富田屋八千代・白雲庵・神宗・龍村平蔵・うちの天神さん・谷崎の挿絵 などなどが思い浮かぶ。
関西大学所蔵名品展を見たときも北野恒富と菅の絵が記憶に残っている。
二人ともそれぞれ金沢・倉吉で生まれ、大阪で育ち大阪で死んだ。
しかし二人の作品展は大阪では開催されない。所蔵名品展などのときに現れるくらいだ。

菅のロマンスと言えば南地の富田屋八千代のほかにはない。
昔の芸妓はブロマイドにもなり、兵隊さんの慰問袋にもたくさん納められた。
名妓・八千代さんのブロマイドを見ると、殆どコスプレに近い。
着物しか着ない芸妓さんの洋装姿と言うのは人気を呼ぶのか、たくさんの種類を見た。
ブロマイド撮影は光村利藻によるようで、綺麗な映りだった。
彼の愛妾はその八千代の妹分・豆千代。十六歳で引き、ずっと手元に置いた。
戸板康二『ぜいたく列伝』の光村のエピソードに興味深い話がある。
(古人から様々なエピソードを聞く楽しみがここにはある)

さてその八千代は絵の先生たる菅に焦がれて焦がれて、とうとう菅の友人・龍村に骨折りを頼み、菅家の人となったそうだ。
美人の押しに負けた菅だが、それこそ「琴瑟相和して」仲良く暮らし、一緒に絵を描いたりしていたようだが、お気の毒なことに美記子夫人(八千代の本名)は数年後に病没し、愛妻を亡くした菅は長らく打ち沈んでいたそうだ。
そしてその後の生涯は独り身を守り、折々に追想の書画を残している。

一方、初代龍村平蔵との友情が蝕まれる話を以前、龍村平蔵回顧展で知った。
龍村の綴れ織の新作などに図案を提供していた菅だが、宮家に納入するタピストリーの件で龍村と不仲になり、龍村はそれやこれやで心身ともにたいへんな苦悩をうけたそうだ。
(しかも七年もの歳月をかけて全身全霊を投じて作った作品も、菅の原画共々戦災で灰塵に帰してしまう)
今、大阪の綿業会館に掛かるタペストリーは菅の図案のものだと思う。

その龍村の作品集を紐解くと、菅の原画を基にした作品が多く現れる。
龍村は周知のように古代裂再現の人である。
そして菅は有職故実の研究家であり、何事もゆるがせにせず、些細なことをもないがしろにしなかった。
その二人のコラボレートによって生み出された作品の数々を思うと、菅の画風が「軽妙洒脱で粋(すい)」とばかり言えないことを知る。
芦屋の展覧会ではそちらの面での作品は出品されていなかったが、わたしは幸いなことに龍村の作品集でそれを確認できる。
…しかしわたし一人が楽しんでもいけない。
もっと菅楯彦の作品を世に出さねばならない。
大阪市は計画性のない第三セクターを作る前に文化事業に熱意を注ぐべきだったのだ。

大阪市立美術館にある『千槍将発』などは作画期が昭和19年と言うことを背景にしても、見事な戦国時代の将兵の一群描写である。

他にも菅は有職故実の知識を駆使して宮様のご婚礼の御帯の下絵を描いている。
それらはまことに優美である。無論織ったのは龍村の仕事である。
五十年以前には菅楯彦、龍村平蔵のような凄い人々が大阪にはいたのだと思うと、泣けてしまう。

さてその菅の描いた大阪…と言っても旧幕時代の浪速風俗をじっくりと眺める。
神宗所蔵・数めがねmir293.jpg


黄檗宗・普茶料理のお店のためにもムードある絵を描いている。
mir394.jpg

上は白雲庵所蔵、下は四天王寺所蔵・舞楽の様子。

これらの大半は関西大学と倉吉博物館と中之島図書館と四天王寺と大阪の博物館や美術館などが所蔵している。個人蔵のうちいくつかはうどんすきの美々卯や料亭・花外楼などだと思う。
去年九月には花外楼で菅の絵をいくつも見ている。
それで思い出した。
今橋の大阪美術倶楽部で、十年ほど前わたしは菅の面白い作品を見ていた。
大漁の鯛図二枚。赤い鯛と黒い鯛の対のような作品。めでたくていい感じだった。
あれらはどこへ売られたのだろう…

色々なことを考えさせられる一方で、菅の作品を眺めるとそんな難しいこと・憂いも腹立ちも消えて、明るくめでたいよい気分になるのだった。
失われた浪速風俗を描いた菅 楯彦・・・もっと多くの作品を気軽に見られるようでいてほしい、と強く願った。

谷崎潤一郎『月と狂言師』表紙絵。
mir395.jpg

関連記事
スポンサーサイト
コメント
はじめまして
はじめまして。柏木ゆげひと申します。
偶然ですが、菅楯彦さんの展覧会に
行って、その絵の魅力に魅せられてしまいました。
こちらのブログは検索で発見したのですが
とっても詳しく描かれていらっしゃるので
食い入るように読ませていただきました(^^)
2007/11/15(木) 00:14 | URL | 柏木ゆげひ #mQop/nM.[ 編集]
いらっしゃいませ
柏木ゆげひさん こんばんは
菅さんの絵には独特のユーモアと温かさがあり、見ていてほのぼのした気持ちになりますよね。
こんないい画家がいたことをもっと今の世の人が知ればなーと思います。
その意味でも展覧会は良い機会でした。
2007/11/15(木) 21:38 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア