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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

京都と近代日本画

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京都市美術館で所蔵品を中心に集めた『京都と近代日本画 ――文展・帝展・新文展百年の流れの中で――』という展覧会が開催されている。
約百点の展示のうち、前期分の初見はなかった。それは地元の利ということもあるからだが、やはり二十年近く日本画を愛してきたからだと思う。
六章に分かれている中から少しずつ感想を挙げる。

1.博覧会と京都画壇
栖鳳『池塘浪静』 タイトルどおりかといえばそうでもない。魚が静かに跳ねている。水音もしないような跳ね方。再び水に沈めば無限に波紋が広がるような。まだ二十代ごろの作品だが、汀に生う草の匂いまで感じるような作品だった。

原在泉『足柄山新羅三郎吹笙図』 これは京都博覧会に出された、と言う伝承のある作品だが、明治30年頃の時代性がなんとなくわかるようでもある。
先日『明治の京都』展で原の作品(鯉が跳ねている図)を見たが、その絵師が描く絵だと実感する。題材は太平記から。

都路華香『良夜』 先年の展覧会で世に知られた名作。明治45年と言うことは夏までに描かれているのだ。波の動きと橋と月明かりがなんとも言えずよい。しかしこれは決して日本の光景ではないといつも思う。

2.文部省美術展と京都画壇
西山翠嶂『広寒宮』大勢の楽女たちが林の中に来る。何度見てもいい。薄い薄い彩色で、描かれているのを見ると、いよいよ彼女たちから現実感が剥ぎ取られてゆく。
誰もが夢みるようなうっとりした表情なのである。

木島桜谷『寒月』 雪の里山を一匹の狐が歩いている。はっとなる緊張感がある。今回わたしは狐の足跡を辿ることに専心した。狐はどこから来てどこへ行くのだろう。
誰もそのことを知りはしないのだ。他ならぬ画家でさえもそうかもしれない。

栖鳳『絵になる最初』 本絵と大下絵が並ぶ。わたしが最初に見た栖鳳作品。これでてっきり美人画家だと思ったのだ。松園さんの師匠筋だし。次に見たのが『アレ夕立に』で、次が山種の猫だった。この着物の柄は栖鳳オリジナルで、高島屋が売り出したところたいへんな人気が出たそうだ。しかし今思ってもこのタイトルはいい。

3.帝国美術院と京都画壇
伊藤小坡『夏』 以前からこの女の着る薄い衣が何なのかわからずにいる。アッパッパ(関西特有の夏着)にしては袖があるし。ガーゼ地にも見える。今回もわからないままだった。

甲斐庄楠音『青衣の女』 タイトルだけ見れば東大寺お水取りの『青衣の女人』かとカンチガイするが、これはその当時の市井の女である。栗田勇『女人讃歌』によれば彼は安価なモデルを雇っていたそうである。薄い着物の向こうに崩れた線の身体が見える。
なまぐさいほどリアルな肉がそこにある。
『穢い絵』と決めつけた画家は清純そうな舞妓やおとなしそうな妓生を描いている。
わたしは甲斐庄の絵の方がずっと好きだ。

中村大三郎『ピアノ』 今回のチラシ。これを最初に知ったのは大学の頃で、新聞に名画紹介があったが、何故か北摂版は白黒だった。大阪市内の友人に話すと、カラー版だと言う。貰ったカラー版はとても綺麗だった。令嬢の優雅な着物と帯とが素敵だった。
この絵を見ると必ずそのことを思い出す。

池田遙邨『南禅寺』 御舟、松園、清方と本で知って愛した日本画家のあと、実物を見て初めて愛したのがこの池田遙邨だった。ほぼ二十年前に急逝し、回顧展で受けた衝撃は大きかった。どの作品が、と言うことではなく全体としてあまりに美しかったのだ。
この南禅寺は一見したところ、中世以前の社寺境内図そのままである。よく見ると小さな人々の営みや小動物なども見える。
遙邨はこうした系統の作品にも傑作が多い。『雪の大阪』『雨の大阪』(後者は今回ここにある)などもそこに含めていいと思う。

森守明『雨後』 水牛と子供がいる水辺。こうした画題は晩年の秋野不矩や杉山寧に見ることがあるが、ここの水牛は異国の牛ではなく、滋賀あたりにいそうな感じがする。
わたしの語彙にはないが<まったり>している、というのが一番ふさわしい。

菊池契月『南波照間』 この世にある楽園、現実の向こうの国、琉球の人々の理想の国。
そこではのんびりした時間が流れ、人々はそれなりに働いている。
ニライカナイと同義だと見做していいのだろうか。
なぜこんなにも大正末期から昭和初期には名品が多いのだろう。

橋本関雪『長恨歌』 これは五点組みの殆ど色彩を感じさせない作品である。タイトル通り、玄宗と楊貴妃の物語を描いている。この作品は近年よく展覧会に現れる。
とても好きなだけに、嬉しい。

三宅鳳白『花旦』 中国の京劇のヒロインは幾種か役が分かれている。この花旦は若くて機嫌のよい役柄だと言える。’30年の作だから無論男性である。梅蘭芳を描いたものではないだろうか。彼はその年来日公演を行い、多くの観客や芸術家を魅了している。
清方にも梅蘭芳を描いた作品がある。
この絵の背景はまるで曜変天目茶碗のようである。その中に花旦が立っている。
わたしは梅蘭芳は子供の頃から資料で見ていたが、京劇を見たのは映画『さらば、わが愛 覇王別姫』が初めてだった。

4.大礼記念京都美術館美術展覧会と市展
中村大三郎『女人』 おこがましいが、なんだか親しみを感じている。とても好きな作品である。

林司馬『舞妓』 ぼんじゃりした風情がいい。床机に座り可愛く草花を見ている。
昔、この画家を昔の中国人かと思っていた時期がある。絵ではなく名前を見て。
近年まで達者だったことにもちょっと驚いていた。京都には時々そんな人がいる。

5.改組帝展/昭和11年文展と京都画壇
前田青邨『観画』 満州族の貴婦人たちが絵を見る姿を描いている。絵そのものは描かず、それを見る群像図。どちらかと言えば男性像の多い青邨なので、彼の描く女性たちと言えば、すぐにこの作品が思い浮かぶ。

北野恒富『いとさん こいさん』 姉妹である。エエ氏の娘さんであっても妹はちょっとおてんば風である。親戚の三姉妹の真ん中さんは<中いとさん>と呼ばれてはったそうな。
これは船場言葉で、大阪市内の話。ついでに言うと大阪全般ではお嬢さんをとうさんと言うたが、アクセントはうの字にある。

寺島紫明『九月』 清方の弟子の中でも彼は師匠一家に随分信頼され、愛されていたそうだ。日焼けした膚を隠す芸妓二人。泳いだのだなー、真っ黒である。
これを見ると上村一夫『凍鶴』で立派な芸妓になった鶴の海でのエピソードを思う。

梥本一洋『鵺』 三人の女人が夜、小舟に乗り何かを嘆くようにしている。鵺の擬人化であり、謡曲を愛した梥本一洋ならではの作品。最初に見たのは彼の回顧展であった。

6.新文展/戦時文展と京都画壇
奥田元宋『盲女と花』 後年「元宋の赤」のイメージが強い画家の、人物画。人物画と言うよりむしろ、物語の女に見える。『春琴抄』のように。

不二木阿古『夏の日』 これは去年だったか、台湾の女流画家で日本で修行した陳進の回顧展で知った作品。同時代の美人画を集めていた素敵な展覧会だった。
人力車に乗るチャイナ服の美人二人。四馬路か虹口あたりの光景かもしれない。

樋口富麻呂『往く船』 琉球か奄美か、南島の女人たちが船を見つめている。眼差しはいずれも真剣である。二度と帰らぬ男を見送るのか、それとも出かける男の無事を祈って見送るのか。眉の濃い女たちの双眸はただただまっすぐである。
樋口は灘の酒蔵にいくつも美人画を残している。

三木翠山『維新の花』 芸妓・幾松が情人・桂小五郎のためにおにぎりを橋下にそっと落とす図。南篠範夫の小説に幾松のその後を描いた作品がある。その中で彼女は昔を懐かしんでいた。それこそこの時代を、この情景を。

今回本を買わなかった。あげた作品の大方は絵葉書などを持っているのが嬉しい。
観光シーズンの最中の展覧会、職員の対応のレクチャーが必要だと思う。内容が素晴らしいだけに、少し残念だった。

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コメント
京都の近代日本画
 しみじみとした良い絵が多く、良い時間を過ごしました。
 わたしには初見>再見だったのですが、色彩の再現や画像のサイズがイマイチのカタログはパスしました。絵はがきも前期・後期を取り混ぜた6枚セットでなければダメ!という抱き合わせ商法に恐れをなして、諦めました。
 ↑の記事でかなり思い出しました。ありがとうございました。
http://cardiac.exblog.jp/7636565/
2007/11/06(火) 09:30 | URL | とら #8WYMted2[ 編集]
展示室で、遊行さんの苦手な人を見たところですよ。
菊池契月の「散策」が、よかったです。
京都市美にしては「高いな」と、いう印象。
1000円と言われ、一瞬、「うそだろう」と、思いました(笑)。
ほとんど、自分のところの所蔵なのにねェ。
2007/11/06(火) 22:16 | URL | 鼎 #-[ 編集]
絵画から遠く離れて
☆とらさん こんばんは
展示品そのものは本当に素晴らしかったです。
やっぱり近代日本画はすばらしい、としみじみ実感いたしましたよ。
図録の件、とらさんに賛成です。


☆鼎さん こんばんは
契月の散策の少女についてはいづつやさんやテツさんが熱愛を寄せてはります。私も好き。
わたしも「うそー」でした。それでますます目が鋭くなったかも?(笑)
2007/11/06(火) 23:06 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
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