江戸文化爛熟期の浮世絵
礫川美術館で「江戸文化爛熟期の浮世絵」を見に行く。
浮世絵で一番好きなのは、その爛熟期の作品だ。
子供の頃から広重に親しんでいたのもあるが、最初に好きになったのは国貞だった。
それから国芳に強烈に惹かれ、その一門にも気合が入った。
清方も国芳の系統と言うのが、考えたら凄いことだ。
大体なんでも文化の爛熟と言うものが好きなのだ。揺籃期より爛熟期から衰退期・・・
国芳 平知盛亡霊の図 源平盛衰記にもあるが、義経が大物浦から船出しようとして失敗する話、ここに知盛と平家一門の亡霊が現れると言うのが、大昔からよく画題になった。近代では前田青邨がしばしば描いている。『知盛幻生』など。
滅ぶものに惹かれるのは、日本人の特性だった。
既に滅んだもの―新中納言、これより滅び行くもの―九郎判官。
ここでは角の生えた鬼風の知盛がいて、刀に憑りつく霊もいる。薄い青色は死者の色である。それが額にべったりと配色されている。
義経を描く浮世絵の多くは、彼の死を描かない。彼の敗走で終わっている。
この大物浦から始まる敗走劇の終焉を、昔の客は喜ばなかったのかもしれない。
国貞 佐藤与茂七 尾上菊五郎 天保年間の絵だから三世だと思う。この三代目は鶴屋南北のお化け芝居で大活躍したそうで、今日まで残る色んな型や工夫を生み出した名優。
与茂七はむろん「四谷怪談」のキャラなので、そんなことを考えながらこの役者絵を見ると嬉しくなる。与茂七はいい役なのでキリッとしている。(与茂七とお岩さんの二役をすることが音羽屋には多い)
わたしが歌舞伎と浮世絵が好きになったのは、怖いけれどこの「四谷怪談」からなのだ。
国貞 見立て大磯の虎 瀬川菊之丞 見立てだから、本当に彼が大磯の虎を演じたかどうかは知らない。虎の身なりをした凄艶な女形の手には「美艶仙女香」がある。化粧品の宣伝浮世絵でもある。昔はこんなタイアップが普通だった。
国安 通俗水滸伝豪傑百八人之壱人 扇屋内花ぞの これも見立て絵。扇屋の花ぞのという花魁の裾にトラネコが噛み付いているので、花魁は手を振り上げてコラッ。
つまりこれは虎退治の武松の見立て絵。こういうのも面白い。
国丸 化粧を落す美人 バックに役者の紋がいっぱいデザインされていて、それがなかなかかっこいい。おしゃれ。紋もこうした使われ方をするとかっこいいものだ。
英泉 雲竜打掛の花魁 花魁とかむろだが、二人とも英泉らしい短躯。この短さがなんとも言えず色っぽくもある。ナマナマしさが。
国芳 菊慈童 全くの初見。明治初から戦前まで日本画家は菊慈童の名品を多く描いたが、浮世絵で見たのは初めて。黒目がちの美少女風。菊の花々と川の流れのその中に静かに菊慈童は佇んでいる。頬杖を衝いて艶かしく。ざんばら髪が綺麗だった。
国貞 新撰早替わり地紙 菊五郎の着せ替えヅラセット。扇形になっていて、6段ギアで、天竺徳兵衛・早野勘平・お祭佐七・大星由良之助・桜丸・元の菊五郎がある。楽しいよ。ちゃんと菊五郎格子の着物を着ている。
広重 浅草観音千二百年開帳雷神門外之躰 遠景に桜が満開の奥山が見える。赤色が目立つ。手前には茶店がある。遠近法は手前をリアルに、背景を書割に見せてくれる。
藤村の羊羹の札のついた荷を担ぐ男は多分、団十郎(目が大きいから)、おもちゃ屋、元祖七味飴は大和屋。傘に秀の字。坂東秀山かと思う。
ガラスケースの中には本があった。気軽に読める唐詩選は北斎の挿絵がある。
一方、タイトルは『百鬼夜行』だが、中身はどうやら花魁総見みたいなのが、国貞。
『開談夜之殿』かいだん・よるのとの・・・どう読んでもエロ小説らしい。おその六三郎のいちゃつく絵もある。それで一枚実に艶な女が描かれていた。
女の閉じた睫毛の長さ、鉄漿に舌・・・やっぱり国貞の描く女は艶かしい。
「ウンスントうめく声おそろ猪」ふふふ、巧いね。
画像は一件も見つけられなかったので、わたしのええ加減な文で「およっ」と思った方は後楽園の礫川へGO!
ここのコレクションは個人の嗜好で集められているから、ちょっと楽しすぎるものが多くて、なかなか面白いのだった。8/24まで。
- [2008/08/15 20:06]
- 展覧会 |
- トラックバック(0) |
- コメント(5)
- この記事のURL |
- TOP ▲
フェルメール展
本当は8/10の朝一番に向うはずだったが、コロー、対決と見た後で道なりに都美に入ってしまった。
フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち。
「対決」よりは空いていたが、それは展覧会が始まり日がまだ浅いからか。
二階にフェルメールが集まっているそうだが、やっぱり流されるまま一階から見て回った。
昨秋ミルクメイドが来て、それで初めてフェルメールの描く「光」に目が開いた。
数年前大阪に青ターバンの少女が来たが、それよりはミルクメイドがいい。そして今回は7点も来るというのでびっくりした。
一階にはデルフトの巨匠たちの絵が並ぶ。
ネーデルラントは新教の国だから教会の内部構造も旧教のそれとは違うはずだ。
それを楽しみに建物の絵を見る。
ヘラルト・ハウクヘースト デルフト新教会の廻廊 白い柱が並ぶ。列柱の美と迫力に惹かれた。やはり教会建築にはこうした美が必要だ。
現実の写真をラストに見たが、やはり真白の列柱だった。
ここにはウィレム沈黙公の廟墓もあるらしい。こうした絵は建造物の記録としても、わたしにはとても興味深いのだった。
ヘンドリック・ファン・フリート オルガン・ロフトの下から見たデルフト新教会の内部
こちらも当然ながら白い列柱が見える。
しかし同じところから見た「旧教会の内部」にも白い列柱がある。そしてここでは、何をしているのかわからない人々がいる。地図を見て指差しているのか、それとも西洋コックリさんをするのかわからない人々。
カレル・ファブリティウス 楽器商のいるデルフトの眺望
これは絵と対面の壁になにやら仕掛けものがあり、それを覗くとこの絵が眼鏡絵というのかそんな種類だと知る。
で、改めて本物をもう一度みたが、そんな大仕掛けではないように思った。
仕掛け物が好きなので、この程度では喜べないのか、わたし?
ファブリティウス 歩哨
街の一隅にこんな場所があると、ついついそこに行きたくなる。しかしそこには歩哨がいて、見張っているのか居眠っているのかわからぬが、どちらにしろそこに先にいる。黒犬が可愛い。蓄音機はないが、そんなタイプの犬に見えた。
去年のオランダ風俗画でもそうだが、犬や猫のいる風景画がとても多いように思う。
ピーテル・デ・ホーホ 幼児に授乳する女と子供と犬 この室内を見て妙な懐かしさを覚えた。
祖母がいた頃の台所にはこの暗さがあった。荒神さんが飾られ御札が貼られていた。
ここに大皿が置かれていて、なにかアーチ型のボックスも見えるが、懐かしい暗さは共通する。
奥にいる子供はあまり可愛くないが、この空間に行きたいような気がした。
デ・ホーホは『女主人への支払い』を二枚ばかり描いている。オランダの風俗を知らぬから、この意味を深くは読み取れない。
窓辺で手紙を読む女 中流階級の女なのか、いい感じの部屋にいる。テーブルに掛かる布地もステキだし、なによりその窓のグリッドも細工が綺麗だ。17世紀オランダの家具を見ることも出来る絵。
いよいよフェルメールとご対面である。
7枚も来るのは空前らしい。絶後になるかどうかは知らない。
意外と見やすくなっていた。ミルクメイドのような厳戒態勢ではない。
マルタとマリアの家のキリスト この画題そのものには色々言いたいことがあるが、別にそれはフェルメールの主義思想とは別問題かもしれないので、省く。
中庸たることへの諌め、か。
キリストの青衣、白いテーブルクロス、マリアの赤ブラウス・・・見事な色の対比が目を惹いた。この画題ではマルタは気の毒な立場なので、背景色と変わらないような地味な色の上着に、くすんだ白しか与えられない。光は手前にしか当たらない。マリアの髪と頬杖をつく右手とが光る。
ディアナとニンフたち 際立った個性のない女たち。オレンジ、黄土色、赤い袖が並ぶが、色は対立することなく馴染みあっているように見える。
ディアナの足を洗う女の茶色い衣服の肩が光って見える。そこだけがまるでシルクのように。背を向けた一人を除き、全員がディアナの足をみつめる。
左端で控える斑柄のわんこがいい感じ。
小路 これは今でも絶対にあるだろう、と言う気がした。描かれていない部分には衛星放送のアンテナが立っているだろうが。当然ながら煉瓦はオランダ積み。一段一段を確認することは出来ないが、嬉しい気分になった。わたしは市中の建物が好きなのだ。
リュートを調弦する女 なんとなく女の表情が不穏に見えた。丸いおでこに光が当たる。
テーブルのレースが古い。きっとどこかがほつれているに違いない。
ワイングラスを持つ娘 慣れ慣れしく近づく男、距離を取れないほどに入り込まれている。赤・・・というより朱色、ヴァーミリオンと言うべきか、その色。色鉛筆には赤の代わりに何故かこの色ばかりがよく残っていた。
ドレスの娘はちょっとわたしにはわからない表情を浮かべている。困惑で苦笑しているのか、それとも邪悪な愛想笑いをしているのか、にんまりしているのか。
こういうときにわたしは表情を測りかねるのだった。
それにしても窓の色ガラスが綺麗。
ヴァージナルの前に座る若い女 この絵が真作だと認められるまでのドラマティックな実話が、配布されていた新聞の特刷に書かれていた。
黄色いショールを見ていて思ったが、フェルメールは無地の衣服を好んだのか、柄物は見ないような気がする。しかしテーブルクロスなどはなかなか凝った織物だったり、綺麗な図柄を見せてもいる。同時代の他の画家の絵と比較すると、どちらの方が多いのだろうか。
この娘の髪型、なんとなく親しみがある。
手紙を書く婦人と召使 色ガラスから差し込む光で手紙を書いている。白い髪包み、うなじ、右袖に光が当たる。テーブルクロスの豪奢な織物と布張りの椅子と、市松柄の床。
床の白い板は大理石だろうか。
背後にはモーゼが拾われたときの情景の絵が掛けられている。
オランダの裕福な婦人は、一体誰に手紙を書くのか。
ブリューゲルあたりで、オランダのことわざを絵画化して一枚の画面に鏤めた作品があるが、なかなか楽しいお国柄だから、ここにもちょっと想像の余地があるだろう。
召使がにんまりとわけ知り顔なのも、にくめない。
対面の壁に絵の見どころが解説されていた。いいことだと思う。
そして別なフロアでは壁一面に世界中のフェルメール作品のパネルが貼られ、それも面白く思えた。なにしろこういうのを見ると、『ハンニバル』のラストを連想するのだ。
世界中のフェルメール作品を見ようと旅に出たバーニーが諦めた一枚のことを・・・
バウルス 中庭の女 中庭で働く女がいる。赤い布にハッとなる。柵にかかっている。
その絶妙なバランスがよかった。
フレル 子供と本を読む女のいる室内 おっネコ発見!茶色い大きなネコが小椅子でくつろいでいる。こういうのを見ると和むな〜。オランダの絵画には犬だけでなく猫も多く出るのが嬉しい。
デル・ブルフ 士官と女 犬がいてくんくんしている。壁紙が素敵。
フェルコリエ 使者 恋人たちのもとへ「使者」が来る。男は去らねばならない。壁には恋人の死を暗示する「アドニス」の絵が掛けられている。ポインター犬は静か。
使者はふわふわした金髪の若い男だった。
楽器を持つ優雅な男女 あの「使者」らしき男と、残された恋人らしき女がいる。黄色い服が目を惹く。手を握り合う。ここにも犬はいる。
ウィッテ ヴァージナルを弾く女 タイトルどおりの女がいるが、彼女だけではない。彼女の左にはベッドがあり、そこに男がいる。そして奥の部屋では女が掃除をしている。
この絵が世に現れたとき、依頼主はどんな顔をしたろう。それを思うことも楽しい。
デ・マン カード遊びをする人々 女はこちらを向いている。男はその女をじっとみつめる。視る・視られる関係を観る。『ブリキの太鼓』の男と女を思い出した。
四百年前のオランダの人々や町の様子にときめいて、会場を後にした。
12月まで続く長い展覧会。どれほどの人がここへ来て、何を思うのだろうか・・・
- [2008/08/14 22:53]
- 展覧会 |
- トラックバック(2) |
- コメント(6)
- この記事のURL |
- TOP ▲
「対決―巨匠たちの日本美術」を楽しむ
東博に行った。
『対決―巨匠たちの日本美術』 見に行く人々、多いなぁ・・・と東洋館のベンチから眺める。
最近東博の特別展はどれもこれも大入満員の大繁盛なので、並ぶのはイヤやなとか思いつつ、平成館に入る。まぁ混んでるけど好きなものをじっくり眺めるのに無理はなかった。
元々あんまり対決と言うのも、勝ち負けと言うのも関心がないので、これがスキあれがイイくらいの軽いキモチで眺めて廻る。まぁいつものことか。
でもこういう企画、面白いね。一挙に書くので長くなってます。
- [2008/08/13 20:43]
- 展覧会 |
- トラックバック(3) |
- コメント(11)
- この記事のURL |
- TOP ▲
コロー 光と追憶の変奏曲

いよいよコロー展も今月末で上野から去り、神戸へ移る。
そのコロー展に行く。有終の美を飾るのかどうか知らないが、お客さんも多いし皆さんニコニコしている。
コローは昔々から日本の老若男女に愛されている。「コロ」と表記されていた頃から人気だったが、近年はコローの田園風景より人物画に評価が高くなっているようだ。
わたしも人物画がいい。というより田園風景にあんまり関心がないのですよ。
それで気に入ったものだけジーッと眺め、ニガテな田園は軽く眺め・・・ということにならないのが、さすがにコロー。
人混みの中でなんだかんだ言っても一点一点じっくり眺めましたのさ。
<初期の作品とイタリア>
コローの描いたイタリアの風景は二百年近い前の風景なのだが、不思議とそんな遠い過去の景にも見えない。
イタリアの風土がそうさせるのか、それともコローの絵に近代性の明るさがあるからなのか。
特に気に入ったのは『ヴィラ・メディチの噴水』だが、この絵の隣にはドニの同じものを描いた絵が並んでいた。コローから80年後の絵。こういう試みはなかなか面白いが、実はわたしはコローには申し訳ないが、近代のドニに惹かれるのだった。
ヴィラ・デステ庭園
この少年が可愛いなぁと思ったら、構図のバランスをとるために後から描き加えた少年だったそうだ。
わたしが「コローの人物画」に惹かれるのは、一枚絵のそれではなく、風景の中にいる人物なのだ。
<フランス各地の田園風景とアトリエでの制作>
フォンテーヌブローやヴィル=ダヴレーという地名を知ったのは、コローやミレー辺りのおかげなのだが、ヴィル=ダヴレーじたいは往年の名画『シベールの日曜日』で見知った。
だから今でもわたしにとって画家の描くヴィル=ダヴレーはシベールとポールのいた森と言うイメージがある。
ホメロスと牧人たち ホメロスの話を聞く三人の少年たちが可愛い。体の線は柔らかで、撫でるときっと若い脂を指の腹に感じるだろう。
ホメロスと言うよりどことなくプラトンを思い出す構図だった。
少年と山羊
可愛い、可愛いとしか言いようがない。日本の美術館でコローを多く持つといえば村内美術館と山梨県立美術館と山形後藤美術館、東京富士美術館などだが、これはその村内コレクション。こうした作品を所蔵するのを知っては、やはり行かねばなるまいと決意が湧いて来るものだ。山羊の無邪気さが本当に可愛い。
<パノラマ風景と遠近法的風景>
ちょっと見ただけでもドランやシスレーが目に入る。百年の歳月を少し考えたが、コローにはあまりそうした差異は関係ないのかもしれない。
ドゥエの鐘楼 卵色の壁などや白い雲を見ると、昼間なのだと感じられた。手前に少し大きな窓があり、画面奥に長く延びる時計台でもある鐘楼が見える。
道行く人々は小さく描かれている。視覚、というものをよく考えてある作品。
その隣にはシスレーの『アルジャントゥイユの大通り』が並ぶ。一年違いの作品。
近代の町並みという感じがある。薄紫の雲の表現がいい。けれど二枚並べると、老大家も中堅もそんなに大きな差を持たないように思えた。
<樹木のカーテン、舞台の幕>
このコーナーでは実はコロー以外の絵にばかり気を取られてしまった。それはやはり好きな画家の絵があったからだと思う。
モネ『木の間越しの春』、ピサロ『夏の木蔭の小路』などが特に良かった。春のよさ・夏の楽しさをあからさまに見せてくれているようで、見ていてとても気持ちよかった。
コローの作品には特に何も感じなかった。
しかし実はそれこそが、コローの素晴らしさだという証明でもある。
描かれた森の中に、わたしはいる。
特に目を惹いたのはそれだけが周囲と違うから―――。
つまりコローの描いた森の中にいるからこそ、他の絵に気づくのだった。
<ミューズとニンフたち、そして音楽>
個人的にはこのコーナーが一番わたしの好みに合う。
鎌を手にする収穫の女 ちょっと不思議な感じがあった。衣服から大きくのぞく左肩の肌色、その石膏のような白さと青さを潜ませた雲と、向うで働く人々と。
音のない世界。女の口が少し開いている。何か言うのか、笑うのかはわからない。
黒目がはっきりとこちらを見ているのに、とても遠い。
手を伸ばしても決して届かない距離がそこにある。
本を読む花冠の女、あるいはウェルギリウスのミューズ 今回、青いドレスの女が二人ばかり展示されている。チラシにも選ばれている当世風ドレスをまとった『青い服の婦人』と、こちらと。
この古代の女神のドレスにも惹かれた。シンプルで、そしてとても触り心地のよさそうな衣服。裾から除く白い足先。
「背伸びして ミューズのあしを くすぐらん」
こんな俳句もあるが、わたしはその白い爪先をゆっくり踏んでみたい気がした。
ルイーズ・オディアの肖像 しっかりした顔立ちの、欧州にしかいない感じの婦人。どことなく、さいとうたかをの描くイギリス婦人を思い出したが、きっとそれは鼻の形なのだ、と思った。
若い娘の肖像が数点あるが、どれもとても柔らかで優しい作品だった。身づくろいをしたり、物思いに耽ったりしている。何気ない仕種の一瞬を捉えられ、それが永遠を生きる。
彼女たちは皆、頬の肉の実感を掌に感じさせてくれるような娘ばかりだった。
髪を指で梳く娘には、ムンクの『思春期』の少女と同じような不安ささえ感じられた。ただし神経症的な不安ではなく、漠然たる心配。
かつてわたしもこんな表情を人に見られていたのだろうか。
真珠の女 チラシに選ばれているひと。わたしは彼女の細く白い指に惹かれた。白い額でも、薄いばら色の唇でもなく、優しい胸元や静かなまなざしでもなくに。
上に置かれた左手の優美さに惹かれ、そこばかりをじっ とみつめた。指輪、第二関節、爪。手首の影にも惹かれ、その手ばかりに意識が残った。
マンドリンを手に夢想する女 白い胸元が綺麗だと思う。こんなブラウス、着る当てはないが、何故か惹かれる。彼女が何を夢想するかはわからない。彼女を見るわたしが何を想っているかも、彼女にはわからない。
ジョルジュ・ブラックもこの絵にインスパイアされた絵を描いている。
塗り方がステキだと思う一方で、あのブラックが?と不思議に思う。
エデ どんな物語が背景にあるのかはわからない。
どこを見ているかもわからない女。長い上着や頭飾りからそれを探ろうとするが無駄な気がした。コローの女たち、視線をこちらに向けていない方に、惹かれる。
水浴するディアナ 綺麗な裸婦。膝が少し赤いことにも惹かれる。綺麗な身体、綺麗な彩色。
同じく神話からもう一人呼び出されている。
傷ついたエウリュディケ この傷から彼女は地獄へ流され、挙句は二度にわたる別離の悲しみを味わうことになるのだった。そのことを思いながら絵を見ると、彼女のあまりに無防備な姿に、小さな痛みを覚えた。
芝生に横たわるアルジェの娘と、マティスのオダリスクを眺める。
どちらもとても好きなのだが、この二つの作品の間には50年の歳月があることにも気づく。
コローのアルジェの娘には実感があり、マティスのオダリスクには憧れによる夢想がある。
今回残念ながら東京富士美術館の『ユーディット』が出なかった。わたしはコローの描く人物のうちでも殊に彼女が好きなのだが。
不思議な技法の版画も眺め、少しばかりおっとりした気分になって、最後の<想い出と変奏>を楽しんだが、ここでは個々の感想を書くことはもういらないと思った。
優しい気持ちで森の中を散策する。小川や池があり、木々が風に揺れている。
それだけで幸せになる。
田園風景がニガテだとはいえ、コローをここまで見て回ると、自然といい気持ちになっていた。
嬉しい限りだった。
- [2008/08/13 00:09]
- 展覧会 |
- トラックバック(1) |
- コメント(8)
- この記事のURL |
- TOP ▲
8月の首都圏ハイカイ
例によって夏の首都圏をハイカイしました。
来てみて感じたのは、「関西よりマシやん、暑いの」・・・というコワイことです。
暑いのは暑いけど、関西の暑さは湿気が多いから、よけいひどいと言う感じ。
さてその暑い中、上野に到着。展覧会の詳細はそれぞれ後日あげます。
実は今回、見た展覧会のほぼ全てが、ご招待チケットでした。
奇特な方々からいただいたありがたいチケットで、ハイカイしたのでした。
ありがとうございます。
道なりに歩くから、まず西洋美術館。コローさん。人気あるなぁ。
そこから東博で対決を見たけど、グッズがけっこう高値なのでサヨナラ。
で、弥生美術館へ歩こうと思ったけど先に都美に入ることにした。
いろんな方のブログで二階のフェルメールから見よ、と教えを受けていたはずが、これまた道なりに見て回ったのよね。混んでたけどメチャ混みと言うわけでもないから、まぁまぁ機嫌よく見て回れた。
なんかフェルメール作品しか絵葉書なかったような気がする。
暑い日の下を歩くと、一年前を思い出す。
去年の夏も上野から弥生へ向かったけど、ちょっと荷物が重すぎて体調不良になったのだった。
あれから一年とは早いものよの・・・
さて弥生で少女のイコンとして、ロマンティックな挿絵などを見る。ときめくなぁ。
そこからまた歩く。東大の構内を歩くけど、クラクラするな。でもそれでも木々が並ぶから日差しが遮られて、マシ。三四郎池、初めて見た。水に惹かれるけど時間がないんだな。
本郷3丁目の近江屋洋菓子店でぐったり。おいしくパンやボルシチ、西瓜ジュースなどをいただく。
復活〜〜。実はわたしの今日のお昼は東博のベンチで、持ち込みのうどんとモモだったのよ。
とにかく中途半端な時間に近江屋で色々いただいたから、これが後の幸いになることを期待しよう。
そこから礫川で浮世絵を見たが、初見が色々あり、嬉しかった。
さて一旦ホテルで荷物を置いてから、今度はサントリーへ向かう。
小袖の展覧会、松坂屋のコレクションだから、会場内売店は松坂屋の領域になっていた。
次に三井へ行った。8/10までは8時閉館なので助かる。
しかしさすがに13時間に亙って動いたりなんだらかんだらしたので疲れている。
明日も同じか、と誰も恨むわけにもゆかず、ホテルへ帰るが、オリンピックの開会式が長すぎて、途中で寝てしまう。
翌朝はやっぱり早く出かける。御茶ノ水でホリデーパス買うて、鎌倉へ。
暑いな、本当。清方記念館の近所に可愛い紫の花が咲いているのを見たけど、名前はわからない。記念館の人もわざわざ見にいってくれたけど、わからないまま。
ナゾの花。
鎌倉大谷へ行くのはやめて、そのまま横浜へ出る。
横浜駅に行くと必ず崎陽軒に入る。
ここで重めのランチを食べたが、海老と野菜の柚子塩炒めがおいしすぎる。嬉しいわ。
神奈川歴史博物館を見ただけで横浜を去るのは勿体無いけど、仕方ない。
なんせ八王子行きの快速に乗らねばならぬ。
桜木町で待ち合わせのに巧く乗れた。
この線では必ず寝てしまうので、風景を見たことがない。町田では起きるがすぐに寝る。
さて八王子。夢美術館に行くが、これが今回ツアー唯一、その場でお金払った展覧会。
帰りのバスは京王だったけど、愛想悪いのと運賃体系が違うので、もう一つのバスに乗るほうがカシコイ。
西国分寺から南浦和へ。そこから北浦和の埼玉近代美術館の閉館までおり、隣のうらわ美術館の夜間開館に参加する。
楽しい気分で表に出ると、やたら浴衣の人を見るからハテナと思ってたら、うらわ競技場とやらで花火大会だったそうな。
大阪でも淀川の花火が開催されたが、今年は都内にいたからTVで中国の花火を見るしか出来なかったなー、残念。
さて最終日の日曜。この日は遅めに出てもいいから気楽。とは言えやっぱりあちこち行く予定あり。・・・けっこう涼しかった。昼の二時になるまでは、しのぎやすかった。
まず六本木一丁目に。
泉屋分館・ホテルオークラのアートコレクション・大倉集古館・菊池記念智美術館を巡った後、白金台に出る。庭園美術館。
一輪だけ咲いていた百合。
そこから出光に向かったけど、三田線とJRどちらがよかったか検証する必要性があるな、と思ったのでした。
出光から歩く。
銀座ハイカイ。
交詢社のそばにもこんなビルがあったのね。
窓の意匠
と玄関の蛸のレリーフ
がヴォーリズを思い出させるけど、調べたりナンダカンダするのは次回に廻す。アタマが動かなくなっている〜〜
暑くなってきた時に限ってなんで歩くかなぁ、わたし。答)脳天ファイラーだから。
汐留の松下で村野藤吾展を見たが、関西の建築家なのでノスタルジィに溺れる。
早く帰ろうというキモチになるのさ。
新橋から羽田へ。会社の奴らへは東京バナナがお土産。
普段はタクシーで帰宅だけど、バスがあった。走りましたよ、わたし。
バスに乗るのに全力疾走するのは奈良以来。うう〜〜わたし、まだ走れるのだなー。
でもバスは停留所が多いから、帰宅に時間がかかるかかる。節約は出来たけど時間のことを考えるといったいどうなのだろう・・・
まぁとりあえず夏の首都圏ハイカイツアーも無事に終わったのでした。
次は多分十月に出没する予定・・・
- [2008/08/11 23:09]
- 観光する |
- トラックバック(0) |
- コメント(8)
- この記事のURL |
- TOP ▲
